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日本語は天才である(12)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年12月10日(月)17時09分29秒
          「日 本 語 は 天 才 で あ る」 (12)

[1]「地面師」!!
つい先日、新聞紙上で「地面師」という言葉を初めて知り、本当に驚きました。新聞報道によると「積水ハウス」が約15人で構成する「地面師」グループ(それぞれ役割を分担)から63億円をだまし取られ、犯人は次々と逮捕(1人は海外逃亡中)されたとのこと。
恩師や老師、医師に教師など、「師」のつく言葉からは「敬うべき人」や「この道一筋」というイメージが思い浮かびます。では「地面師」はどうでしょう。他人の土地の所有者になりすまし、勝手に売却を企てたりする悪い輩(やから)のことを指します。何とも奇妙なネーミングですね。
ところで、主として公的資格を表す漢字に「師」と「士」の二つがあります。いずれも厳しい試験に合格した人だけが名乗ることを許され、関係法律に「資格名」が明記してあります。一方では公的資格ではないものもありますが、国語辞典などでは表示が統一されています。
まず「師」=「教師」「牧師」「医師」「看護師」「美容師」「調理師」「柔道整復師」…。
次に「士」=「弁護士」「社会保険労務士」「不動産鑑定士」「司法書士」「行政書士」…。
ところで、同じ医業に携わる「医師」に倣って「看護師」といいますが、一方では、同じく歯科医師とともに歯科医療に携わる人は「歯科衛生士」です。以前は「看護婦」と呼ばれていましたが、男性にも門戸が開かれ「看護師」という公的資格になりました。同じく医療に携わる「看護師」は「師」で、「歯科衛生士」は「士」。どうしてこのように「師」と「士」に分かれるのでしょうか。
「地面師」のほか、どうしても「尊称」とは思えない「師」に「詐欺師」「ペテン師」などがあります。このような「反社会的」としか思えない人に「師」という尊称をつける理由は?一種のギャグ?

[2]「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」
現代仮名遣いで、私たちがもっとも迷うのが「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」の使い分けでしょう。私自身も、「エッ!どっちだろう?」と迷うことがしばしばです。私たちは日常会話の中で、「じ」と「ぢ」、そして「ず」と「づ」を区別して発音することはほとんどないからでしょう。辞書を引くときやインターネットで漢字変換するとき、「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」を間違うと正しい文字は出てきません。
私は、漢字で「し」と読む字の濁り読みは「じ」、「ち」は「ぢ」で、同じく「す」と読む字の濁り読みは「ず」、「つ」は「づ」と信じてきました。ところが、このルールに当てはまらない熟語が意外に多いのです。具体的な例をあげましょう。以下は「広辞苑」で確認したものです。
まず、ルールどおりの読み。「鼻血=はなぢ」「入れ知恵=いれぢえ」「底力=そこぢから」「近々=ちかぢか」「湯飲み茶碗=ゆのみぢゃわん」「横綱=よこづな」「お小遣い=おこづかい」…。
ルールどおりでない読み。「地震=じしん」「築地=つきじ」「地面=じめん」「世界中=せかいじゅう」「稲妻=いなずま」「常磐津=ときわず」「躓く=つまずく」…そのほかにも多くありますが、これらは、昭和61年7月内閣告示(平成22年11月一部改正)によるものです。
(これから例に挙げる「沼津市」については、本欄で数年前に一度とり上げました)
静岡県に「沼津市」と「焼津市」があります。「沼津」は「津(つ)」の濁音ですから、当然「ぬまづ市」、アルファベットで書くと「Numadu City」のはずです。ところが、沼津市の現地に行ってみると、「JR沼津駅」は「ぬま『ず』駅」(Numazu Station)で、道路標識もすべて「ぬまず」(Numazu)となっています。同じ静岡県には「焼津市」がありますが、先日、焼津観光協会に電話で確認したところ、何と「やい『づ』市」が正式なふりがなであることが分かりました。おなじ静岡県でも「津」が「ず」と「づ」の二つに分かれているのです。
なお、私の手許にある「日本地図」(成美堂出版)では、「沼津市」は「ぬまづ市」、「焼津市」は「やいづ市」と、いずれも「づ」と表記されています。正しい仮名遣いからすれば、当然のことでしょう。

[3]「鳥肌がたつ」
「鳥肌がたつほどの素晴らしい演奏」…このような表現を最近よく見聞きしますが、日本語として正しいのでしょうか。
「鳥肌がたつ」とは、本来は寒さや恐ろしさに遭遇し、肌が鳥の皮膚のようにぶつぶつになることを言うのですが、近年「感動で鳥肌がたつ」などという言い方する人が増えています。近年の文化庁「国語に関する世論調査」によりますと、男女とも40歳以下の世代を中心に、その意味で使う人が増加傾向にあるという調査結果が出ているそうです。この調査を受けてかどうかは分かりませんが、それ以降に改訂した国語辞典では、「感動で鳥肌がたつ」という意味を新たに加えるものが増えてきています。
このような表現を「誤用」と考えるべきかどうか、意見が分かれるところです。辞書は規範を重んじるべきものか、言葉の現象を追いかけて、それを記述すべきものなのか、さまざまな考えがあるからです。後者は「言葉は時代とともに変わるもの」を具現化したものでしょう。
広辞苑で確認してみました。広辞苑では「鳥肌」を「立毛筋の反射的な収縮により、皮膚に鳥の毛をむしり取ったあとのようなぶつぶつを生じる現象」としたうえで、「鳥肌がたつ」を「寒さや恐怖・興奮などの強い刺激によって、鳥肌が生じること」と解説しています。さらに加えて、「近年、感動した場合にも用いる」として、使用例に「名演奏に鳥肌がたつ」を挙げています。
広辞苑といえば、今年10年ぶりに大改訂した第7版で、「やばい」の欄で、「不都合である、危険である」の本来の意味のほかに、正反対の「のめり込みそうである」を追加し、使用例として「この曲はくせになって『やばい』」をあげて話題になりました。

[4]「週末」(ウィーク・エンド)
私たちが日常会話の中でしばしば使うにも関わらず、実態が意外にバラバラな言葉の一つに「週末」があります。この言葉は英語の「Week end」からきたものですが、「今度の週末に会おうよ」と言われたとき、皆さんは具体的にいつのことだと思いますか。
 (1)土曜日、(2)金曜日と土曜日、(3)土曜日と日曜日、(4)金曜日の夜から日曜日の夜
各種の日本語辞典でもそれぞれ違った定義をしています。広辞苑では「土曜日、また土曜日から日曜日へかけていう。近年は金曜日を含めてもいう」と総花式に解説しています。
「完全週休2日制」が定着したことが、「週末」の意味を変えたのでしょう。今から半世紀前の「完全6日制」(休みは日曜のみ)の時代は「週末」とは日曜日しかなかったのです。

《おまけ》 続・続「立ちション」  Yさん(静岡県函南町)から、ある日本食レストランの男子トイレで見かけた張り紙の紹介がありましたので転載します。
  「一歩前、脇にたらすな松茸の露(つゆ)」 ウーン! けだし名(謎?)川柳!!

                    平成30年12月11日  古賀幸治
 
 

日本語は天才である(11)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年11月11日(日)10時34分35秒
           「日 本 語 は 天 才 で あ る」(11)

[1]「狼狽」(ろうばい)
本欄の主要なヒント源である日経新聞の「遊遊・漢字学」(筆者は漢字学者・阿辻哲次さん)の7月8日号から短縮・再編集して「盗用」します。(阿辻さん、いつもありがとうございます)
≪「うろたえる」と入力して変換キーを押すと、画面に「狼狽える」と表示された。パソコンやスマホでは「狼狽」(ろうばい)が「うろたえる」の漢字表記に充てられているようだ。
あわてふためき、とまどうことを意味する「狼狽」はどちらの漢字にもケモノへんがついているように、本当は二種類の動物を並べた熟語である。「狼」はもちろんオオカミで、きわめて獰猛なこの動物は、人里に下りて来て家畜を襲うなど、古くから人間社会に大きな害を与えてきた。しかし人間も負けてはおらず、オオカミを捕らえて肉を食べたり、毛皮から衣服や敷物を作ったりしてきた。またオオカミの糞は燃料として使われ、燃やすと煙がまっすぐに上がることから、ノロシを上げる時の燃料にもってこいであった。ノロシを漢字で書くと「狼煙」と書くのはそのためである。
ところでもう一方の「狽」は想像上の動物で、もともとはオオカミの一種だったという。そしてこれはなかなか滑稽な姿の動物だった。
明(みん)時代の随筆集に、「狼は2本の前足が長く、後ろ足が短かった。一方の「狽」は逆に前足が短く、後ろ足が長かった。狼は狽がいなければ立てず、狽も狼がいなければ歩くこともできなかった。お互いに離れれば、「狼」「狽」とも歩くこともできなかったのだ。
それで、あわてふためき、うろたえることを「狼狽(ろうばい)」というようになった≫

[2]珍名「バス停」
全国で「バス停」は約25万以上もあるそうです。今日はその中で思わず「エッ!」と唸る珍名バス停を紹介します。これはインターネット情報からの「盗用」です。
まずドキッとするのは「女体入口」(にょたいいりぐち)。長野県駒ヶ根市にあるこのバス停の由来には諸説あり、かつて近隣にあった「女体」という集落の入り口にあたる場所だから、あるいは中央アルプスの山脈が女性の横たわる姿に似ており、中央アルプスの入り口になぞらえて、という説もあります。
女性つながりでいくと、西鉄バスには「姉」(あね)というバス停があります。佐賀県神埼市の「千代田町姉」という地名から名付けられたバス停名です。福井県おおい町には福井鉄道の「父子」(ちちし)というバス停があり、兵庫県三田市には神姫バスの「母子」(もうし)があります。家族全員が揃いそうな勢いです。
「伯母様」(おばさま)というバス停もあります。神奈川県伊勢原市にある神奈川中央交通のバス停で、「伯母様」は地名でもありますが、一説には室町時代に神奈川県一帯を治めていた北條家康の家臣の「おば」である梅林理香大姉のことだそうです。彼女がこの地を所領していたことから、文字通り本物の「おば」をルーツとする地名が生まれ、バス停近くには「伯母様橋」という橋もあります。
一方、北海道で特に多いのが、個人の名前がそのままバス停に使われるパターンです。網走市にある網走観光交通の「柏崎さん宅前」や「荒木さん宅前」、同じく網走市にある網走バスの「北村宅前」や斜里町の「寺口宅」、西興部村にある名士バスの「寺口宅」など、その人の家の近くだから、という理由でつけられたバス亭名が多く見られます。これらは、北海道の地方部では一つの地名がかなり広範囲を示すうえに、住宅以外の目印がどうしても少ないためです。上に挙げたうちの一部では、すでにその人が住んでいない所もあるとのこと。

[3]続・「立ちション」
昨月号で採り上げた「立ちション」については、多くの読者から反応がありました。「私は自発的に『座りション』を実践している」「駅などの公衆便所の床面がびしょびしょなのは立ちションのせいだ」「昔、田舎では田んぼなどでお婆さんが立ちションするのをよく見かけた」などなど。
一方では、配信の翌日(10月12日)にインターネット上に「便座離婚、あなたは大丈夫?」という私にとってはショッキングな記事が掲載されました。要約して転載します。
《熟年男性はご存じだろうか、最近、主婦のコミュニティーサイトなどで「便座離婚」や「トイレ離婚」という言葉が飛び交っているという。例えばこんな書き込みだ。「うちの旦那は何度言っても便座を上げっぱなしです。愛情を感じられず空しくなります」(広島の主婦・38歳)、つまりオシッコ後、便座を上げっぱなしにしているのは、次に使う妻への気遣いがないというわけだ。「そんなの、いちいちやってられっか」という熟年男性もいるだろうが、これはどうか。
「夫が出た後はオシッコの滴が床に飛び散って、すごく汚い。トイレ掃除をしながら、いっそのこと離婚したいと思うほどです」(パート主婦・52歳)。本人に直接その不満を聞いた。「便座を上げてオシッコしても、便器の掃除はしない。正直、私を家政婦か何かと勘違いしている夫と別居したいくらいです」。
また、他の奥様方にも夫のトイレに関する不満を聞いたが、出るわ出るわ。「『大』がこびりついたままにして出る。その後に入る気持ちはもう最低」(38歳)。「布製の便座カバーが濡れていることがあるんです。気づかずに座ったときは、本当に夫の頭を蹴りたくなります」(39歳)。夫はオシッコのとき鍵をかけないんです。中学生の娘が鉢合わせすることがあって…すごく嫌がっています(43歳)。トイレだけに(?)奥様たちの不満は溜まりに溜まっている。男性読者は「便座を下げないくらいで離婚されたらたまらない」と思うだろうが、その慢心が危ない。前述のパート主婦がこんな話を明かす。「実は、私の友達に『トイレを掃除しているときに離婚を決意した』という人がいるんです。ある日、ダンナが汚したトイレを掃除していると、突然『もう、こんな人のためにトイレ掃除をするのは耐えられない』と思ったそうです。積もり積もったうっぷんがトイレ掃除で限界に来たんだろうけど、彼女の話は女の私には、よく分かります」》
〈古賀記〉 昨月号では気楽な気持ちで「立ちション」を書きましたが、「トイレ(便座)問題」がこんなに深刻だとは思いもしませんでした。私自身も大いに自戒、反省!

《おまけ》 恐れながら、あなたの日本語力を試すクイズ(第29回)です。
『問題』 次の文章で「あわ」はどちらが正しいでしょう。
「景気が良かった頃は、土地を売っただけでも大儲けができた。まさに濡れ手に『あわ』だったよ」
 ①「泡(あわ)」、②「粟(あわ)」
正解は②「粟」。「濡れ手に粟を掴めば粟(食用の穀物)がたくさんついてくる」ことから、「大した苦労もなく、多くの利益を得る」ことを言います。「泡」と「粟」の発音が同じことから誤解が多い。「濡れ」と「泡」が両方とも「水」に関連することも「混同」の原因かも知れません。
                     平成30年11月11日  古賀幸治
 

日本語は天才である(10))

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年10月10日(水)16時08分59秒
        「日 本 語 は 天 才 で あ る」 (10)

[1]「一・二・三・四シリーズ」(第3回) 「二の舞」
あなたは「二の舞を踏む」という言い方をお聞きになったことはありませんか。自分はいつもそう言っているという人もあるかも知れません。しかし、この「二の舞を踏む」は誤った使い方で、「二の舞を演じる」が正しい言い方だとされています。私が使っているパソコンのワープロ・ソフトでも、「二の舞を踏む」と入力すると「二の舞を演じるの誤用」と教えてくれます。「二の舞を踏む」が誤用である理由は、「二の足を踏む」との混同から生まれた言い方だからだと説明されることが多いようです。
「二の舞」とは舞楽(舞が伴う雅楽)の曲名で、「安摩の舞の次にそれを見ていた二人の舞人(笑い顔の面の老爺と、腫れただれた顔の老婆)が滑稽な所作で安摩の舞を真似て舞う舞。安舞の舞に対する答舞」のことです。人の後に出てきて前の人と同じ事をしたり、滑稽なしぐさをしたりすることから、「二の舞」は前の人の失敗を繰り返すという意味になります。そしてそのような「二の舞」を“演じる”が本来の使い方だというわけです。
ただ、古い文献に「二の舞を踏む」という使い方をしたものもあり、最近の国語辞典には「二の舞を踏む」を誤用説を紹介せずそのまま載せるものが増えてきていることから、「二の舞を踏む」があながち間違いともいえないでしょう。

[2]「立ちション」
7月19日づけ日経新聞の第一面コラム「明日への話題」に「立ちションと草食男子」というエッセー(筆者は江波戸哲夫さん=作家)が掲載されました。ほぼそのまま転載します。
《「わが家は夫も息子もトイレでの立ちションはご法度です」。先日のバラエティー番組で、某ママ・タレントが胸を張ってこう言うのを見た。
近年、若い母親のこの種の発言をよく耳にする。ションのしぶきが立って便器や壁が汚れ、臭うからだそうだ。その度に私は「なんだかなあ」と思う。ションの作法は、犬のオス・メスで違っているように、動物によって大いにセクシャリティー=性の在り方に関わっている。LGBTなんて言葉生まれるずっと以前にL(レズ)の機関紙で男役の人が「ああ、立ちションをしてみたい」と切望している投稿を見て、目からうろこが落ちた。ママ・タレが嫌う立ちションは、男役には憧れの“男性・性”なのだ。男児・女児両方を育てた親ならたいていは知っているだろう。多くの男児が、生来、乱暴に動き回り、大声を上げ、衣服を汚し、女児より扱いにくいのを。
ところが、最近の若い母親や学校はそれを嫌い、一日中たしなめている。「静かにしなさい」「走り回らないように」「そんな汚いものには触らないように」と。寄ってたかって男児生来の「男性・性」を薄めようとしているのだ。そこに「立ちションはさせない」が加わったのだ。“男性・性”が薄められた「草食男子」はますます多くなるだろう。
脱乱暴、脱大声、脱汚れ…は成熟社会では「正義」なのかも知れない。しかし草食男子が増えすぎることに不安を覚えるのなら、母親にも学校にも何か工夫の余地がないだろうか?》
≪古賀記≫ 皆さんはどう思いますか。私は「ション」の都度、ズボンとパンツをずり下げ、便器にしゃがみ込むことを考えただけでも恐ろしくて身震いがしますがね…。

[3]「杜撰」(ずさん)
「いいかげん」という意味の「杜撰(ずさん)」という言葉がありますね。「杜」を「ず」、「撰」を「さん」と読む例はほかにはほとんどないので、読みにくい言葉です。でも、そもそも「杜撰」と書いてなぜこの意味なのでしょうか。
まず「撰」(せん)には「詩文を作ったり、編集したりする」という意味があります。「勅撰和歌集」といった使い方をします。そして「杜」は古く中国人の人名に由来すると言われています。その人が誰なのかについては諸説がありますが、宗(そう)の時代の詩人「杜黙(と・もく)」という説が有力です。杜黙のつくる詩は作法に合わずいい加減なことが多かったため、「杜が詩を作る=杜撰」という言葉が、「いいかげん」の意味で使われるようになったのです。
また、別の「杜」さんだったという説もあります。唐(とう)時代の文学者「杜光庭」(と・こうてい)です。杜光庭が書物を書くと、でたらめが多かったからなのです。
これらの説から、「杜撰」は詩文などの限定して「誤りが多いこと」を意味しました。今は詩文以外でも、「いいかげん」なことを指すようになっています。

[4]「もりば」&「ホッカイキセン」
私も含めて、誰でも勘違いがあるものです。その「勘違い・読み違い」をする相手に注意・指摘をするかどうかは、難しい問題です。場合によっては、相手の方は不愉快に思うかも知れないと思うと、つい躊躇しますね。
このことについて、私には10年・5年も昔のことで、今も忘れない2つの「事件」があります。
≪はとバス事件≫ もう10年以上も前、私は東京周辺を巡る「はとバス」に乗りました。バスが東京に戻るとき、女性バスガイドさんは「間もなく新宿に到着します。新宿は東京でも有数の『もりば』です」とガイドしました。私は一瞬、「エッ!『もりば』?…何のことだろう」といぶかりました。しばらくして「あ!これは『盛り場』(さかりば)」の読み違いだろうと気づきました。私はよっぽど本人に注意しようと思いましたが、私の座席が遠かったこともあり、声をかけませんでした。
その後数年間も彼女は読み違いをしたままガイドを続け、数百人・数千人の乗客は「何のこと?」と思いながら過ごしただろうと今でも思います。多分、はとバスにはマニュアルがあって、ガイドさんはそれを丸読みして「もりば」と呼んだのでしょう。今も私は「あのとき注意しておけばよかった」と後悔しています。
《台湾ツアー事件》 5年ほど前、私は台湾ツアーに参加しました。北は台北から南は高尾を経て台湾を一周する5日間のバス・ツアーです。台湾のほぼ中央部には「北回帰線」があり、そこには巨大なモニュメントがあって観光名所にもなっています。台湾人バスガイドさん(女性)は流暢な日本語で、「ここが有名な『ホッカイキセン』です」と言いました。私は一瞬「エッ!ホッカイキセン?」といぶかりました。しばらくして「ああ、これは「北回帰線」(きたかいきせん)の読み違いだろう」と気づきました。私は休憩時間に彼女に小声で「日本では『ホッカイキセン、ナンカイキセン』とは言わないんですよ」と注意しました。彼女はびっくりして「日本ではどう呼ぶのですか?」と聞きました。私は「日本では『きたかいきせん、みなみかいきせん』と呼ぶのです」と教えました。彼女はその後すぐに「きたかいきせん」と言い直しました。私の注意がなければ、彼女はその後も「ホッカイキセン、ナンカイキセン」と呼びつづけて、日本人ツアー客を悩まし続けたことでしょう。そう思うと、私の「余計なおせっかい」も役に立ったのだろうと今も思い出します。
                      平成30年10月11日  古賀幸治
 

日本語は天才である(9)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年 9月 9日(日)09時55分24秒
  この序文は、早稲田大学に学んだOBの皆さんだけに配信します。

8月29日づけ日本経済新聞の最終ページ「文化」欄に「早大生と歩んだソバ屋『三朝庵』が7月末日に112年の歴史に幕」という、三朝庵女将・加藤峯子さんの随想が掲載されました。
早稲田に学んだ人で「三朝庵」を知らない人は多分一人もいないでしょう。在学中一度も行ったことがない人もほとんどいないでしょう。馬場下の交差点の角にある「三朝庵」、まさに大学への入り口にあり、当時は木造2階建てで、1階は倚子席、2階は座敷でした。5年ほど前に行ったときは、2階が歯科医院になっていました。
三朝庵の建物はもともと大隈重信侯の持ち物だったそうです。その後、井伏鱒二や尾崎士郎などの文人が足しげく通い、仕事場代わりにも使いました。一方「早大雄弁会」のたまり場にもなり、のちに首相になる竹下登や小渕恵三なども三朝庵を集合場所のようにしていたそうです。

私にとっては三朝庵はまさに「こころのふるさと」(校歌「都の西北」の一節)でした。私は九州・佐賀で高校卒業(18歳)まで育ちました。佐賀では「うどん」は常食といえるくらいにほとんど毎日食べましたが、「蕎麦屋」などまったくなく、蕎麦は食べたことはもちろん、見たことさえありませんでした。早大進学のため上京し、初めて蕎麦を食べたのが三朝庵でした。そのとき「蕎麦って何とおいしい食べ物だろう」と驚いたことは60年近く経った今も鮮明に覚えています。
とくに3年と4年次には馬場下に下宿しましたので、三朝庵まで徒歩3分、大学への通路にありますから通算して100回以上は三朝庵に通ったと思います。以来、蕎麦は病みつきになり、私にとって今では蕎麦は生きていくうえに欠かせない食べ物で、周囲の人からは「古賀は蕎麦狂いだ」と言われるほどです。

私の蕎麦の食べ方、「蕎麦はのど越しに食べるもの、噛まない。蕎麦つゆは先っぽの2、3センチほどつけるだけ」も三朝庵で学び、今も実践しています。これが私の最高の食べ方です。
三朝庵が廃業することが事前に分かっておれば、惜別の念に堪えかねて多分一人で行ったことでしょう。女将さんも随想の中で、「事前に告知すると常連さんだけでなく昔を懐かしむ人たちが殺到してしまうから、ひっそり最終日を迎えた。後日に閉店を知った方々にお詫びしたい」と書いています。

わが青春のふるさと、ありがとう!「三朝庵」!!


     「日 本 語 は 天 才 で あ る」 (9)

[1]「一・二・三・四シリーズ」(第2回) 「二つ返事」
「二つ返事」とは、「はい、はい!」と返事を二つ重ねて、気持ちよくすぐに承諾することですね。一方では「返事は一回!」と教えられてきた世代(私もこれに属します)にとっては、返事を2回重ねるのはおかしいと思っている人も多いでしょう。私などにとっては「はい、はい!」は何だかふてくされて返事しているようにも聞こえます。
ところが、ある言語学者によると、「二つ返事」と「一つ返事」のどちらが正しい言い方かというと、「二つ返事」が正しく、「一つ返事」は従来なかった言い方だそうです。広辞苑で確認してみました。「二つ返事」とは「ためらうことなく、すぐ承諾すること」と解説し、例として『二つ返事で引き受ける』を挙げています。一方の「一つ返事」の項はありませんでした。
しかし文化庁の調査によると、「一つ返事」と答えた人(46%)の方が「二つ返事」(43%)と答えた人より多いという結果が発表されています。同調査によると、従来はなかった「一つ返事」と言っている人の割合が高かったのは、北陸・中部・近畿・中国・九州といった西日本の各地域でした。なぜ西日本に「一つ返事」が多いのか、その理由は学者にもよく分からないそうです。
文化庁の調査によると、もう一つ不思議なことが分かりました。それは年配者になるほど「一つ返事」の率が増えるということです。男性では60歳以上、女性では50歳以上になると「一つ返事」の割合が「二つ返事」を逆転してしまうのです。通常、言葉の誤用を調査した場合、誤用率が高いのは若者層の方ですが、この語は逆なのです。
私は「はい!」の「一つ返事」派ですが、これは私が西日本(九州)育ちからでしょうか、それとも「年配者」のせいでしょうか。ところで、あなたは「一つ返事派」? それとも「二つ返事派」?

[2]「差別用語」
多分もう30年以上も前から、いわゆる「差別用語」が厳しく制限されるようになりました。目の不自由な人を「め○ら」、耳の不自由な人を「つ○ぼ」、足の不自由な人を「ち○ば」などと呼ぶことを「差別用語」といいます。これは新聞やテレビなどメディアが、たとえ不用意に使った場合でも社会的に大ブーイングが起きますし、私たちが日常会話で使うこともほとんどなくなりました。これは、わが国の文化水準や民度が向上したことの表れで、素晴らしいことです。
ところが、これには不自由なことがあり、またいくつかの疑問もあります。
不自由の一つが「古典落語」です。私は古典落語の大ファンで、とくに「六代目・三遊亭円生」(1900~1979)の熱狂的な信奉者です。20枚近くのCDをもっています。しかし戦前や30年ほど前までの録音・録画には、差別用語が盛んに出てきます。当時は「差別用語」という概念もなかったのですから、落語家にとっては当然のことで、ユーモアの一種として彼等に何の落ち度もありません。ところが、今ではそのような「差別用語」がでてくる古典落語をテレビなどで放送することがほとんどなくなりました。私にとっては少し淋しいですね。
「障害者」という言葉が「差別用語」だと非難されるようになったのは、他の差別用語から遅れること約30年で数年前からのこと、「障がい者」と表現すべきだというものです。多分、障害者団体からの主張でしょう。私は、なぜ「障害者」が「差別用語」で、「障がい者」が差別用語でないのか不思議でした。案の定、「障がい者」という新しい用語の普及は中途半端で、新聞・雑誌などの最近の記事を読んでも、「障がい者」よりも従来通どおりの「障害者」が圧倒的に多いようです。ちなみに、わが国の法律で、心身が不自由な人の雇用を促進するため、企業に一定率の雇用を義務づける法律は「障害者雇用促進法」で、「障がい者雇用促進法」ではありません。国が「差別用語」を公的に使っているのでしょうか。(最近では、国の主要省庁が障害者の雇用数を誤魔化して大きな問題になっています)。
私が永く住んでいる横浜市には、観光地としても有名な「外人墓地」があります。総面積2万㎡の広大な墓地には、嘉永7(1859)年のペリー来航時に事故死した乗組員など、40か国4500人が眠っています。かつては「外人(がいじん)墓地」と呼んでいましたが、今は「外国人(がいこくじん)墓地」と呼ばれるようになり、現地の標識も「外国人墓地」と変更されています。これも「外人(がいじん)」が差別用語にあたるからだそうです。なぜ「外人」が差別用語で「外国人」が差別用語でないか、私は今も分かりません。そういえば、プロ野球やサッカーには多くの外国人選手がいますが、アナウンサーや解説者は多くの場合、「外国人選手」と呼んでいます。
「黒人」(または「二グロ」「ニガー」)は差別用語でしょうか、最近では「アフリカ系」と称することが多いのも、何だか不自然ですね。
一方、「バカ」「アホ」「キチガイ」「オカマ」などは一般的には「差別用語」とは言いませんね。

[4]「時計回り」と「反時計回り」
昨月号の「山手線は内回りvs外廻り? それとも「右回りvs左回り?」の続編です。
「右回り」を「時計回り」、「左回り」を「反時計回り」ともいいます。時計は屋外表示はデジタル表示が主流になりましたが、腕時計は今でもアナログ時計が圧倒的に多いですね。アナログ時計が何故「時計回り(右回り)」になったかというと、「日時計」がそうであったからだそうです。日時計は、固定した指針に太陽の光が当たってできる影の位置によって時刻を知るものですが、太陽は東から西に向かって移動するので、できる影は西側から東側に移動、つまり「右回り」の移動となります。それを思い浮かべれば「右回り」と「左回り」を間違えることはありません。
時計が右回りなので、世の中のほとんどが「右回り」かというと、そうでもありません。トランプ・ゲームは「反時計回り」(左回り)です。陸上のトラック競技(長距離走)も、スケートの長距離走も自転車競技もすべて「反時計回り(左回り)」です。
ところが、競馬場は「時計回り」と「反時計回り」の両方があるそうです(私は競馬についてはほとんど知識がない)。お馬さん(競走馬)には「右利き」と「左利き」がるとすれば、お馬さんにとって「今度の競馬場は左回りだから出場したくない!」という選択権はないのでしょうね。

《おまけ》 久しぶりに、失礼ながらあなたの日本語力を試すテスト(28)です。
問。次の2つ文章で、正しい使い方はどちらでしょうか。
①父は娘に対し、「腫(は)れ物に触(さわ)るような」言い方をしていた。
②父は娘に対し、「腫れ物に触らないような」言い方をしていた。

正解は①(触る)。腫れ物に触ると痛くて機嫌が悪くなるという意識が働くのか、近年「腫れ物に触らないように」という言い方が増えていますが、これでは「恐る恐る接する」ことになりません。言葉として整合性を欠いています。
                   平成30年9月11日  古賀幸治
 

日本語は天才である(8))

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年 8月10日(金)17時22分53秒
           「日 本 語 は 天 才 で あ る」 (8)

[1]「一・二・三・四シリーズ」(第1回) 「人一倍」
「彼は人一倍の努力家だね」「俺は今回の件では、人一倍頑張ったよ」などといいますね。この「人一倍」の「一倍」とは何倍のことでしょうか。
「一倍」は数字だと「×1」なので「人一倍頑張る」とは、「人並みに頑張る」ということですね。人よりも頑張るのなら、正しくは「人二倍」というべきではないでしょいうか。
一方、「日本国語大事典」によると、「一倍」は「二倍の古い言い方で、ある数量にそれと同じだけのものを加えること」とあります。江戸時代には、親が死んだときに返却する約束で借りる「一倍銀」(いちばいがね)というものがあったそうです。もちろん借りた額だけ返せばいいという慈善事業のようなものではなく、2倍にして返さなければならない相当な高利貸し事業でした。
無理に理屈をつければ、「倍」そのものに「二倍」の意味があるので、「一倍」は「倍」が一つで「2倍」なのだと説明できないでもありません。しかし、実際の日常語としてはそんな厳密なものではなかったでしょう。だから、やがてそれが転じて、「人一倍」のように正確な数量を表すのではなく、ほかと較べて程度が大きいという、「いっそう」「ずっと」の意味になったものと思われます。
したがって、「人一倍頑張る」は人の2倍も頑張る必要はなく、人よりもちょっと頑張れば、「1.1倍や1.2倍程度」でもいい、という意味ではないでしょうか。

[3]「よろしくお願いします」の不思議
(このテーマは数年前に一度とりあげましたが、先日ある友人から提起があり、新たな構想で再度とりあげます)。
私たち日本人は日常会話の中で、しばしば「よろしくお願いします」と言いますね。どういう場合にこの言葉を使うかを分析してみました。
(1)初対面の人と挨拶を交わすとき=私的・公的、親類、先輩・後輩などを問わず、初めて会う人に対して、「○と申します、どうぞよろしくお願いします」は常套句です。この場合の気持ちは「未熟者ですが、どうぞ末永いおつきあいをお願いします」という意味でしょう。
(2)ビジネスで取引先の担当者と初めて会うとき=「○社の△と申します。どうぞよろしくお願いします」と挨拶するのが常識です。この場合の「よろしくお願いします」は「お取引を始めるに当たって、お互いに譲り合うことは譲り合って、両社にとってビジネスがうまくいくよう頑張りましょう」という意味でしょうか。
(3)テレビのトークショーなどでコメンテーターが司会者から紹介されたとき=テレビのニュースやトークショーなどで、招かれた学者・評論家・専門家などのコメンテーターが、司会者の紹介に応じて「○です。どうぞよろしくお願いします」と言いますね。この場合の「よろしくお願いします」は不思議なことばですね。私が「忖度」するには、「番組のなかで、間違ったことや失言をするかも知れませんが、そのときは何とぞご容赦ください」と予防線を張っているようにも聞こえます。
(4)友人・知人と食事して別れる時=私たちが友人と飲食などをしたあと、別れ際に「奥さんによろしくお伝えください」などと言います。この言葉も実に意味不明ですね。帰宅して妻に「Aさんが君によろしくと言っていたよ」と言われても本人(妻)はどういう意味の言葉か理解不能でしょう。単に「Aさんはキミ(妻)のことは覚えているよ」という意味しかないようにも思えます。
《番外編》 プロ野球の試合終了後、勝利チームの殊勲選手がヒーロー・インタビューで「お立ち台」に立っていう常套句は「応援よろしくお願いします」ですね。「こいつ、他に言葉を知らないのか」と思ってしまいます。

このことについて、5月号で紹介した旧友Greg(アトランタ市在住・米国籍)に英語圏ではどのように表現するかを聞きました。以下は彼からの回答です。上記(1)(2)(3)(4)の順に…。
(1)It´s nice meet you.  It´s my pleasure to meet you.?
(2)My name is Robert Brown. Please call me Bob.
(3)Thank you for inviting me.  Im glad to be here.
(4)Please give my best regards to your wife.
《古賀記》 意味は日本語とほぼ同じですね。ただ、(2)は少し違いますし、日本人としては少し照れます、(3)は日本の場合は視聴者に対する挨拶のようであるの対し、英語圏では司会者に対する挨拶のように思えます。

[3]「18歳」と「81歳」
Tさん(福岡市)から、『「18歳」と「81歳」』という思わずニヤッとする投稿をいただきました。ほぼそのまま転載します。「1」と「8」をひっくり返しただけですが、明日の我が身を考えて…。
・恋に溺れるのが18歳、風呂で溺れるのが81歳
・道路で暴走するのが18歳、道路を逆走するのが81歳
・心がもろいのが18歳、骨がもろいのが81歳
・偏差値が気になるのが18歳、血圧・血糖値が気になるのが81歳
・まだ何も知らないのが18歳、もう何も覚えていないのが81歳
・東京オリンピックに出たいと思うのが18歳、東京オリンピックまで生きたいと思うのが81歳
・自分探しをするのが18歳、皆が自分を探しているのが81歳

[4]山手線は「外回りvs内回り」? 「右回りvs左回り」?
先日、テレビで「送電線の故障で、山手線の外回りが不通!」とのテロップが流れました(よくあること)。私は「エッ? 外回り」ってどちら方面に回る山手線のこと?」と一瞬考えました。
ご存じのように、「山手線」は東京の中心部を循環する、都民だけでなく私達も日常的に利用する最重要な交通手段です。私は数秒考えました。「わが国ではクルマは左側通行だから、外廻りとは右回りのことだろう」と思いつきました。つまり、東京→品川→渋谷→新宿→池袋→神田→東京と、右回りの電車のこと。左回りはその反対です。このケースでも、「内回り」といわれても、「左回り」と思いつくのに数秒の時間が必要です。
テレビなどの緊急報道は、簡単明瞭で一瞬に理解できる言葉が必要なはず。なぜ「右回り」といわず「外回り」というのか、私にはその理由が分かりません。
ご参考までに、「JR山手線」はかつて長い間「やまて線」と呼ばれていましたが、1972(昭和47)年から「やまのて線」と呼ぶようになりました。これは、東京の中心部の高台地区を昔から「やまのて」と呼ぶことから、これに合わせたものです。

                  平成30年8月11日  古賀幸治
 

日本語は天才である(7)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年 7月10日(火)16時07分52秒
           「日 本 語 は 天 才 で あ る」(7)

[1]「牛耳(ぎゅうじ)る」
「牛耳る」という言葉があります。広辞苑(第7版)によると、「首領となって、組織を意のままに操縦する」という意味です。例として「会社を牛耳る」を挙げています。国語辞典(三省堂)では、「思うままに支配すること」と解説しています。
一部の政治家の中には、議席さえ維持できれば信念や公約はたちどころに翻し、さっさと次のバスに乗り換えるという、常人には真似のできない独特の素質があるようです。海千山千の猛者がわんさといる中を巧みに泳ぎわたる能力がないと、あの世界では生きていけないに違いありません。権謀術数がうずまく政治の世界を、マスコミはしばしば戦国時代に例えますが、戦国時代の領主たちは、誠実で確固たる信念がありました。現代の一部の政治家などと一緒にされたら迷惑だと、彼らはあの世で憤慨していることでしょう。
国中が戦国状態にあった中国の春秋戦国時代では、覇者の地位を求めて攻防が繰り返されましたが、その動きの中で彼らは、しばしば近隣の諸国と同盟を結び結束を固めました。王たちが集まって同盟を締結することを「会盟」といいい、誓った内容を石や玉に書いたものを「盟書」といいました。
文献によると、同盟を結ぶ時にはまず盟書を読み上げて内容を確認し、次に神に捧げる牛の耳にナイフを入れて生き血を取り、それを全員が唇に塗って、盟主のもとに団結し、裏切らないことを誓い合ったそうです。ある団体や組織の中で主導権を握って行動することを「牛耳を執る」、またはそれを縮めて「牛耳る」というのは、この時の同盟の主催者が、生けにえとする牛の耳をつかんで会場に入り、みずから牛の耳に刃物をあてて生き血を取ったことに由来する表現です。
現代の政治家どもに教えてあげたい「金言」ですね。

[2]「河」と「川」
水の流れる道を「かわ」と言いますが、これを漢字で書くと「川」と「河」がありますね。「河川(かせん)」という言葉があるくらいですから。この「川」と「河」の違いを考えてみました。
広辞苑によると、「川」も「河」も、「地表の水が集まって流れる水路、河川」と素っ気ない解説です。つまり「川」と「河」を区別していないのです。手許の和英辞書で調べてみると、単に「a river」と書いてあり、英語でも「川」と「河」を区分していないことが分かります。
しかし常識的に考えると、日本語で「川」は比較的に小さい、または短い「かわ」で、「河」は大きな、または長い「かわ」を指すでしょう。その証拠に、NHKの1年間の長期ドラマは「大河ドラマ」といい、「大川ドラマ」とはいいません。人工的な大きな「運河」も「運川」ではありません。
ところが、世界地図帳で調べてみると、あの世界一長い「アマゾン」さえ「アマゾン川」で、「アマゾン河」ではありませんし、エジプトのど真ん中を流れる「ナイル」も「ナイル川」です。世界中の「かわ」で「河」を名乗っているのは、中国の「黄河」だけです。そうすると、日本語でなぜ「川」と「河」の2つの文字があるのか不思議ですね。
同じく自然現象を表すことば(二字熟語)に「森林」「湖沼」「道路」などがあります。広辞苑によると、「林」とは「「樹木の群がり生えたところ」とあり、一方の「森」とは「樹木が茂り立つところ」とあり、ほとんど同じ意味です。しかし常識的には「林」は樹木がせいぜい10本ほど小規模に生えているところ、一方の「森」はそれより大規模に樹木が群がり生い茂っているところの意味ですね。
「湖沼(こしょう)」も、「沼」は比較的小規模の水のたまり場で、一方の「湖」は「海」にも匹敵するほどの広い面積のものをいう言葉です。「ミシガン湖」「琵琶湖」などがそうです。
一方、「道路」の「路」は「路地」という言葉があるように車も通らない小幅で短い道のこと、一方「道」は一般的に長い「みち」を表します。
このように、同じことを意味する言葉が2つもあり、その区分がはっきりしないのも、日本語の特徴でしょうか。その他では「温暖」「寒冷」などもあります。
ところで、「海」と「湖」の違いをご存じでしょうか。私のシロート知識では、「海」は、太平洋、インド洋、大西洋、北極海、南極海をはじめとして世界中の海とつながり、すべて塩水です。それに対して「湖」はこれら海とのつながりがなく(川でつながっていることは多い)、単独で存在します。基本的には「淡水」ですが、塩水湖もあります。
一方、「湖」であるにも関わらず「海」と名乗っているものが私が調べた限りでは世界に2つあり、その代表が「カスピ海」。ロシア、アベルバイジャン、イランなどに囲まれた日本全体より広い大面積で、しかも塩水湖。なぜ「湖」なのに「海」でしょうか。その理由はもともと「海」だったものが、太古の昔、地殻変動で世界の海と隔離されて、「湖」となったからだそうです。

[3]「小」(こ)
「小春日和」(こはるびより)という言葉がありますね。これを「春の温かい日」と思っている人も多いと聞きますが、本当の意味は「10月(秋)ごろの温かい日」のことです。この場合の「小」とはどういう意味でしょうか。広辞苑によると、「小」とは「小さい」という意味のほか、「いうにいわれない、何となく、の意を表す」と解説してあります。つまり、季節は「春」ではないが、まるで「春のような陽気」のことです。
「小京都」(こきょうと)という言葉もあります(広辞苑には載っていない)が、これは「金沢市(石川県)」のことを指します。つまり、「まるで京都のような風情の街」という意味です。一方では「小江戸」(こえど)という言葉もあります。これも「まるで江戸のような風情の街」という意味で「川越市(埼玉県)」を指す言葉です。
最近の新聞で「小尾瀬」(こおぜ)という言葉を初めて目にしました。これは「玉原高原(たんばらこうげん)」(群馬県)を指すそうです。玉原高原には尾瀬と同じく水芭蕉が繁茂しており、「まるで尾瀬を思わせる光景」という意味でしょう。そうなると、「小○○」という言葉は今後、数多くでてくるかも知れませんね。「小橫浜」(こよこはま)など…。

《追記》 ここまで書いたところで、念のため広辞苑とインターネットで再確認してみました。「小京都」は「こきょうと」と読むとばかり思っていましたが、正解は「しょうきょうと」でした。しかも、「全国京都会議」というものがあり、全国で約40の市町が参加し、「小京都」を名乗っており、肝心の金沢市は脱退したそうです。一方、「小江戸(こちらは「こえど」と読む)サミット」もあり、川越市のほか栃木市、厚木市、彦根市など6市が参加し、共同活動をしています。
しかしいずれにせよ、本命は「小京都=金沢市」、「小江戸=川越市」でしょう。なぜ「小京都」は「しょう」で、「小江戸」は「こ」でしょうか。「きょうと」は「音読み」だから「しょう」、「えど」は「訓読み」だから「こ」? 私も頭が混乱してきました。
                      平成30年7月11日  古賀幸治
 

日本語は天才である(6)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年 6月10日(日)11時15分2秒
        「ハイネケン」(誤) → 「バドワイザー」(正)

4月21日に配信した「中欧4か国を往く」の中で、思わぬ落とし穴(ミス)がありましたので、このテーマについて再度とりあげます。

第1ステップ=本文の中で、ツアーガイドの説明を基にして、「チェコが現在のラガービール発祥の地であり、一人あたりのビール消費量は日本の3倍である。『ハイネケン』はもともとチェコの地ビールのブランドであったが、この会社で修行した人が『渡米』してビール会社を設立し、勝手に『ハイネケン』と名乗ったことから国際的な裁判になった」と書きました。

第2ステップ=これに対して、複数の読者から、『ハイネケン』はオランダの会社だから、『渡米して』ではなく『オランダに渡って』が正しいのではないかと指摘がありました。
私は翌月号で、「私も『ハイネケン』がオランダの会社であることは知っているが、ツアーガイドは『渡米して』とはっきり表現した。設立したビール会社が「アメリカ」か「オランダ」かは、(1)ツアーガイドの勘違い、(2)私(古賀)の聞き違い、(3)創業地はアメリカで、その後なんらかの理由で会社がアメリカからオランダに移転した、のいずれかではないか。その経緯を知っている人は是非情報をご一報ください」とお願いしました。

第3ステップ=早速、Iさん(西東京市)、Aさん(東京・世田谷区)、私の長女R子(長野市)から情報が寄せられました。3人からの情報は表現に多少の違いはありますが、内容はほとんど一致していました。それによると、『ハイネケン』は間違いで、『バドワイザー』のことではないか、というものでした。つまり、チェコの地ビールのブランドは『バドワイザー』で、ここで修業した人が『渡米』してアメリカで会社を設立し、『バドワイザー』を名乗ったことから国際的な裁判になった、というものでした。特に実際にチェコに行ったことがあるR子からの情報では、『バドワイザー』のチェコでの読みは『ヴァードヴァー』で、世界中でもっともおいしいビールの一つであるとのコメントもありました。
『バドワイザー』は今もアメリカを代表するビール会社ですから、すべての点で矛盾がありません。とんだことでお騒がせしました。お詫びして訂正します。
私の結論は、この件はツアーガイドの勘違いで、正解は『ハイネケン』ではなく『バドワイザー』でした。これにて一件落着。

          日 本 語 は 天 才 で あ る (6)

[1]財産のシンボルだった「貝」
この欄でお馴染みの日経新聞2月25日づけ「遊遊・漢字学」(筆者は漢字学者・阿辻哲次さん)を大幅に短縮・再構成して掲載します。
《惚れた女が望むなら、少々の無理をしてでも何とかかなえてやりたいと男なら思う。しかし、その要望が絶対に不可能なら、そんな要求などいっさい相手にしない方がよい。
まさか月世界から来た女とは夢にも思わないから、貴族たちが求婚したところ、かぐや姫は「黄金を茎とし、白玉を実としてたてる木」とか、「龍の首の五色に光る玉」とか、実に無茶苦茶な要求を出す。「竹取物語」のこの一節を読むたびに、私は男という生き物がどうしようもなく悲しく感じられる。
このかぐや姫が出す無理難題の一つに、「燕(つばくらめ)のもたる子安貝」というのがある。子安貝は熱帯から亜熱帯の海に生息するタカラガイのことで、姫はさらに、燕の巣の中にあるそれが欲しいという。そんな無茶をいう女とは、さっさと縁を切るのが正解だ。
平安時代の日本人は、「こやす貝」など恐らく見たこともなかっただろう。だが見たこともない貝の名前がなぜ物語の中に登場するのか。それは中国からの伝承であろう。
「貝塚」が示すように、貝は古代では重要な水産資源だったが、同時にまた「財産」の象徴でもあった。だからこそ「財」や「貴」「貧」「賤」「貯」など『貝』にによって意味を与えられる漢字には、金銭や地位・身分などに関係するものが多い。
しかし「貝」なら何でもよかったわけではない。近くの川や池、または浜辺でたやすく手に入る貝が財産の象徴になるのであれば、誰だって大金持ちになれる。しかし、古代中国で財産の象徴として使われた子安貝は、はるか数千キロ離れた東南沿海地方から黄河流域にまで運ばれた、貴重品中の貴重品だった。
江南省安陽市郊外から発見された殷時代の墓からは、七千枚近くの大量の子安貝が出土した。もしかぐや姫が殷時代の中国に降臨していたならば、地上人の妻となっていたかも知れない》

[2]「有田焼と伊万里焼」、「陶器と磁器」
私は九州・佐賀ののどかな農村で、10人兄弟の9番目の子として生まれ、18歳の高校卒業まで佐賀で育ちました。東京に出て卒業したW大学の創立者・大隈重信侯も佐賀出身で、卒業と同時に入社し定年まで在籍、その後も5年以上にわたってビジネス関係にあった大手事務機メーカーR社の創業者・市村清も佐賀出身です。親類のほとんどが今も佐賀を中心に九州に住んでおり、私も1年に1~2回は佐賀に帰省します。こう考えると、18歳以後の大半を東京と横浜で生活しているとはいえ、私は一生佐賀とは縁が切れない「さがんもん」です。そこで、今回は佐賀にまつわるお話をしましょう。

佐賀県は、福岡県と長崎県に囲まれた人口約90万人の小さな県ですが、吉野ヶ里遺跡、唐津(風光明媚で「くんち」と「唐津焼」が有名)、嬉野温泉、祐徳稲荷神社、名護屋城址(秀吉の朝鮮出兵の拠点)、世界バルーン大会、サガン鳥栖(サッカーJ1)、佐賀牛、むつごろう、などいくつかの有名な観光地や産物のなかで最も有名なものの一つが「有田焼」でしょう。
数年前に新聞か雑誌で「佐賀県には『有田焼』と『伊万里焼』がある」という記事を読んで驚いたことがあります。多くの人が誤解しているようですが、「有田焼」と「伊万里焼」は呼称が違うだけで、本当は同じものです。有田焼は、16世紀末、豊臣秀吉が朝鮮出兵のおり、朝鮮から連れてきた陶工・李 参平(日本名・金ケ江三平)が磁器に適した「石」を発見し、有田磁器が生まれました。李は有田焼の「陶祖」として陶山神社に祀ってあります。
このように有田はわが国の磁器の発祥の地です。やがて有田焼がその美しさからヨーロッパで絶大な人気を呼び、輸出が盛んになりました。有田は海に面していませんから、隣接する伊万里港から欧州に大量に輸出されるようになり、海外ではいつの間にか「伊万里焼」と呼ばれるようになったのです。
多くの場合、「陶磁器」とひとくくりに言いますが、「陶器」と「磁器」は材料がまったく違うことをご存じですか。まず「陶器」は「粘土」をこね、轆轤(ろくろ)を回して形を作り、炉で焼きます。一方の「磁器」は特殊な「石」を砕いてこねて形を作り、焼きます。原料は「粘土」と「石」と、まったく違うのです。一般的には、厚手のごわごわした感じの器は陶器、薄手で透明感のある器は磁器です。有田焼はほとんどが磁器です。なのに、毎年4月から5月にかけて開かれる全国的に有名な有田焼の大々的な展示・即売会をなぜ「有田『陶』器市」というのでしょうか。
私自身も以前から疑問に思っていましたので、先日よせばいいのに有田観光協会に電話で問い合わせしました。担当者の回答は次のようなことでした。「陶器市」と呼ぶ理由の一つは、多くの人は「陶器」と「磁器」を合わせて「陶器」と呼ぶことが多く、「瀬戸物」と呼ぶこともある。二つ目は、有田陶器市は有田焼以外の陶磁器も展示・即売する…とのことでした。何とも釈然としない回答でしたが、これ以上問い詰めるのも大人気(おとなげ)ないと思って、それ以上は追及しませんでした。
ちなみに、同じ佐賀県の有名な唐津焼は典型的な「陶器」です。
そういえば、「陶芸家」という言葉はありますが、「磁芸家」という言葉は聞きませんね。
ご参考までに、わが家の食器・花器はほとんど有田磁器(主として香蘭社)です。

[3]「~しなさい」
本欄の常連投稿者であるHさん(我孫子市)からの、思わず「なるほど!!」と思う投稿です。
《「~なさい」は、通常は「~すること」を指示(または命令)する場合に用いる言葉ですね。「勉強しなさい!」「我慢しなさい!」など。ところが、次の2語は、そうではない使われ方です。
(1)「お帰りなさい」…外出先から帰宅(または帰社)したとき、戻って来た人が「ただいま(戻りました)」と声をかけると、中にいる人が「お帰りなさい」といいますが、これなんか、「指示」ではなく、歓迎とねぎらいの意味合いですよね。
(2)「おやすみなさい」…今から自分が就寝しようとするときに「おやすみなさい」という言い方をしますが、これなんか、相手の人に対して「もう寝ろよ!」と指示命令しているのではなく、「私はもう寝ますね」のつもりで言っている表現ですね。ただし、「おやすみなさい」は文法形式でみると「指示命令形」にあたるので、目上の人に対してこの言葉を使うと気分を害する人もいるかも知れないので、「お先に休ませていただきます」と言った方が無難だと、どこかで読んだ記憶があります》。  《古賀記》 なるほど! 私も気がつかなかった不思議な「日本語」ですね。

                平成30年6月11日   古賀 幸治
 

日本語は天才である(5)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年 5月11日(金)16時16分4秒
          「日 本 語 は 天 才 で あ る」 (5)

[1]「膾炙」(かいしゃ)
世間に広く知れわたることを「人口に膾炙する」といいますが、その語源について、本欄でおなじみの日経新聞1月14日づけ「遊遊・漢字学」(筆者は漢字学者・阿辻哲次さん)から大幅に割愛して転載します。
《今のもっともポピュラーな肉料理がバーベキューやビフテキであるように、古代の肉食でも最初に行われたのは肉を直火(じかび)で焼いて食べる方法で、漢字ではこれを「炙」で表す。「炙」は《月》(ニクヅキ)と《火》からなり、まさに火の上に肉をかざした、そのものずばりの字形である。
この漢字を使った成語に「人口に膾炙する」がある。これは孟子の表現で、「膾」は動物の肉を生で食べる料理だから、「膾炙」とは要するに肉の刺身と焼き肉のことである。「膾」と「炙」はいつでも人々が賞味する美味な料理の代表だから、そこから、誰かの素晴らしい行動や優れた詩文などが多くの人に讃えられ、世間に広く知れ渡ることを「人口に膾炙する」というようになった。
この「膾」を使った成語でよく使われるものにもう一つ、「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」がある。「羹」は肉や野菜を煮込んだスープのことで、熱いスープをすすって口にやけどをした人が、それに懲りて、膾のように冷たい料理をわざわざ吹いて、冷ましてから食べようとする、つまり一度の失敗に懲りて、それ以降はばかばかしいまでの注意をすることをいう》

[2]「敬称」の不思議
昨年11月号でも取り上げたように、日本語は世界中の言語と比較して、よく言えばもっとも多様性・柔軟性に富んだ言語、悪く言えば「複雑怪奇」な言語でしょう。その一つに「敬称」(尊称)があります。「様」「さま」「さん」「殿」「氏」「先生」「君」「くん」「ちゃん」…上司や先輩に「君づけ」するなど使い方を間違うと、とんでもないことにもなりかねません。このうち、この数年の間に大きく変わったのが「氏」と「さん」です。かつて一昔前は女性に「氏」をつけることはありませんでした。ところが最近の新聞などでは女性を「○氏」と呼ぶことが多くなりました。主として政治家・経営者や学者などが対象です。「野田聖子氏(政治家)」「小渕優子氏(政治家)」「南部智子氏(DeNA社長)」「寺田千代乃氏」(アート引越センター社長)、「小保方晴子氏(科学者)」…。
一方で、スポーツ選手などには敬称をつけません。テレビで「次のバッターは○さんです」などあ
りませんし、日常会話で「氏」を使うことはありませんね。「○△『氏』が~と言った」などと言うことはありませんし、人を呼び止めるとき「○△『氏』!」ということもありません。
最近の新聞の死亡記事を丹念に調べてみました。日経新聞の死亡記事を私なりに分類すると、「一般ニュース」「死亡告知」「追想録」に分けることができます。「一般ニュース」とは、政治家・経営者・文学者・スポーツ選手などを問わず、有名人が亡くなったときにニュースとして大きく報道される記事、「死亡告知」とは社会面の最下欄に小さく「氏名・役職・告別式の日時場所」などを最小限に記載します。「追想録」とは職業などを問わず、死亡した「大物・有名人」の経歴や社会的貢献などを物語風に記事(毎週金曜日)にします。この場合に、「一般ニュース」と「追想録」では、同じ人物が「氏」と呼ばれたり、「さん」づけされたりします。例えば、「野中広務『氏』(もと官房長官)が死去」、「豊田達郎『氏』(もと豊田自動車社長が)死去」、一方では「早坂曉『さん』(「夢千代日記」などの作家)が死去」と報道されました。一般ニュースでは、政治家や経営者は『氏』ですが、文化人などは『さん』づけ。ところが「追想録」ではそれぞれ「野中広務『さん』」、「豊田達郎『さん』、「早坂曉『さん』」になります。
最近の大ニュースとしては「星野仙一『さん』が死去」と新聞報道。ところが後日の新聞報道では「星野仙一『氏』の背番号77が永久欠番に」とありました。
一方、社会面最下欄に小さく載る政治家や経営者の「死亡告知」では、同じ日本人・外国人でも男性は「氏」、女性は「さん」づけされることが多いのです。「真屋順子『さん』(「欽どこ」の母親役)が死去」、「フランス・ギャル『さん』(「夢見るシャンソン人形」で知られるフランス歌手)が死亡」。そう考えると、女性に対する敬称は、存命中は『氏』、死亡後は『さん』でしょうか。
一方で、皇族の皆さんには「さま」をつけますね、しかも漢字の「様」ではなく「ひらがな」で。「天皇さま」「美智子さま」、最近では「真子さま」。私たちが手紙を書くときは「様」と表記し、「さま」とは普通書きません。「さま」と「様」はどう違うのでしょうか。
英語圏での敬称について旧友のGreg(アトランタ在住・米国籍)に問い合わせました。彼からは丁寧な回答がありました。それによると…
(1)日本では男女共通の敬称として『氏』が使われているようだが、アメリカでは男女共通の敬称はない。未婚女性(Miss)と既婚女性(Mrs.)を合わせた「Ms.」はあるが、男性にはない。最近では性転換をした人が多くなったが、この人たちには転換後の性(男か女か)で呼んでいる。
(2)男女共通の職業は、人種差別や性差別に敏感なため、いろいろな呼び方がある。businessman→businessperson、fireman→firefighter、housewife→homemaker、anchorman→anchor、policeman→policeofficerなど。
《古賀の主張》 このようにわが国で敬称がこの数年で大きく変わったのは、文化庁の行政指導によるもではなく、恐らく新聞・テレビなどメディアが申し合わせたものでしょう。特に新聞紙上の『氏』と『さん』の使い分けは理解不能です。日本語の敬称はいよいよ複雑になり、外国人にとってはほとんど理解不能でしょう。私は、職業、男・女、生存中・死後を問わず『さん』づけが簡潔・明瞭で、しかも生前の社会的地位や身分による差別もなく、もっとも正しい敬語だと思います。

[3]「男」と「男性」
これは「敬称」とは直接関係ありませんが、新聞などメディアは「男(女)」と「男性(女性)」を使い分けますね。
《○日深夜○時ころ、○駅前の歩道で、○歳くらいの「男性」が、○歳くらいの「男」に刃物で刺され、○円入りの財布を奪われた。その際、「男性」は重傷を負い救急車で病院に搬送され、犯人と思われる「男」は駅の反対方向へ逃走し、警察が行方を追っている》
このように、被害者(と思われる)人は「男性(女性)」で、犯人(と思われる)人は「男(女)」と表現されます。「男性」と「男」は日本語としてどう違うのでしょうか。広辞苑によると、「男性」も「男」も「一方の性である男子」とあり、同じ意味であることが分かります。
このことについても、前記のGregに問い合わせました。彼からの回答は『日本では犯人(容疑者)」を「男」、被害者を「男性」と器用に区分しているようですが、何となく言葉の遊びのようですね。米国の新聞などでは、犯人(容疑者)・被害者とも男性は「Man」、女性は「Woman」と書いています』。
                 平成30年5月11日  古賀 幸治
 

中欧4か国を往く

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年 4月21日(土)09時37分13秒
           中 欧 4 か 国 を 往 く

3月13日から22日まで10日間、中央ヨーロッパに行きました。中央ヨーロッパ(中欧)とはどの国を指すのか正式な定義はないと思いますが、手許にあるガイドブックでは、「ドイツ」「ポーランド」「チェコ」「スロバキア」「オーストリア」「ハンガリー」の6か国を指すようです。今回は行った順に、ドイツ(旧・東ドイツ)⇒チェコ⇒オーストリア⇒ハンガリーの4か国です。私にとっていずれも初めての国(旧・西ドイツには行ったことがある)で、以前から一度は行ってみたいと強く願っていたところです。今回、その願いがようやく叶いました。しかし、なにしろ遠かった。成田→ドイツ・ハンブルク(帰りはブダベスト→成田)、途中のドバイ乗り換え時間を含めていずれも片道20時間以上。あのとても狭い機中での苦痛の20時間、地球を半周する旅は気力と体力を試すものですね。機内では、「タダ酒」(ビール・ワインなど)を飲めるのが唯一の楽しみ…。
この旅行記は、読者の皆さんにもこの感動を共有したいとの思い以上に、私にとって一生の思い出として記憶に残すために書いたものです。今回のツアーの特色は「中欧4か国『芸術』紀行」の名のとおり「芸術」(主として名画)を観賞する機会が多いのが特色でした。
書く順序は、まず全般に通じることに触れ、次に行った国(都市)の順に書きとどめます。

《まず4か国の概要》
「ドイツ」 面積=36万?(日本の94%)。人口=8270万人(日本の65%)、首都=ベルリン。
「チェコ」 面積=8万?(北海道並み)、人口=1020万人(日本の8%)、首都=プラハ。
「オーストリア」 面積=8万4千?(北海道並み)、人口=820万人(日本の6%)、首都=ウィー ン。
「ハンガリー」 面積=9万3千?(北海道よりやや大)、人口=1010万人(日本の8%)、首都= ブダペスト。
いずれもEUに加盟し、今は国境検問所(入出国審査)はなくノンストップで通行できますが、まだその遺物(建物の一部など)が残っており、ここで働いていた人たちはEU加盟の犠牲者で、うまく転職できたのだろうかと、私は妙な心配をしました。
各国の通貨は、ドイツとオーストリアは「ユーロ(?)」ですが、チェコとハンガリーは今も自前の通貨。ほとんどの店でユーロも通用しますが、おつりは自国の硬貨ですから、日本に持ち帰っても無価値(円に戻すことはできない)、どのようにして使い切るかに苦労します。

《厳寒の中を歩く、歩く…》
私たちが旅行日を3月中~下旬に決めたのは、春に入り、中欧も寒さが抜けているだろうと考えたからです。ところが、中欧では大寒波が蒸し返し、プラハでは朝起きたら外は吹雪、次のオーストリアでも連日の厳寒、毎日昼間も氷点下2~5度の寒さの中での観光でした。でも出発前から情報が入っていましたので、防寒着を持参し、特に不安はありませんでした。
今回のツアーの特徴は、自由時間・自由食事(勝手に行動・食事)が多いことでした。地理もレストランも知らない街での自由行動は苦労も多かったのですが、一方では自由気ままな行動を楽しむ余裕もありました。毎日の歩く時間も多く、多い日は1日で約2万歩、ほとんどの日で1万歩以上でした。前回(一昨年秋)のモロッコの旅もそうでしたが、今回も参加者中で私が最年長でした。でも足に自信のある私は何の苦労もなく、いつも先頭を切って歩きました。(エライ!)

《中欧のクルマ事情》
私は海外行く度に、日本車がどのくらい走っているかに注目します。それが、日本とその国の関係の象徴だからです。結論から先にいうと、日本車は走行中・駐車中のクルマをふくめて、100台中1~2台(1~2%)でした。当然のことながらほとんどが欧州車で、タクシーの半数以上は、日本では高級車の代表格である「ベンツ」、あとは「VW」など。中欧では日本車はほとんど走っていません。ところが最後に行ったハンガリーでは事情が一変し、日本車が3~4割に急増します。「TOYOTA」「NISSAN」「HONDA」のほか「SUZUKI」が頑張っていました。
駐車場についても一言。中欧4か国とも、ほとんどの道路の両側に十分な駐車スペースがあり、「駐車自由・無料」です。車購入にあたって車庫証明も不要。ドライバーは見事までに整然と駐車しています。わが国に多くある「有料駐車場」はまったくありません。
日本企業の看板や商品広告も、1~2の例外を除いてほとんど見かけませんでした。経済交流の面では、日本企業は中欧に魅力がないのでしょうかね。

《ネオンサインと自販機》
中欧では、日本で氾濫する大型看板や大掛かりなネオンサインはほとんどありません。自販機もまったくありません。街の美観を損なうからでしょう。法律で規制されているのか、それとも企業が自粛しているかは私には分かりません。
特に自販機。わが国では街中いたるところに自販機が林立していますね。私は自販機ほど街の美観を損ねるものはないと思っています。電気エネルギーの浪費でもあります。私は自販機で飲み物を買うことはまったくなく、自販機がないことに何の不自由もありません。

《ハプスブルク家》
ヨーロッパの歴史を学ぶとき欠かすことができないのが「ハプスブルク家」です。長期政権で知られる日本の徳川幕府が265年、ロシアのロマロフ王朝が300年であるのに対し、神聖ローマ帝国皇帝をほぼ独占したハプスブルク家の歴史は実に650年。その間、多少の盛衰はあったものの、イギリスとフランスを除く全ヨーロッパ大陸(一時はは米大陸の一部も)を支配したのですから、世界史上、最強・最長期の王朝であったことが分かります。
神聖ローマ帝国皇帝とは、世界の歴史に疎い私にとっては、その本質を理解するのが難しいのです(もしこの記述に誤りがあればお許しください)。神聖ローマ帝国皇帝は、「古代ローマ」の復活を夢見るローマ法王(バチカン)が指名しますが、実態は有力な領主を含めた「7人の選帝侯」が選びます。建前は、ローマ法王に代わってヨーロッパ全土を統治することで、従来はドイツ皇帝が就任する習わしがありました。13世紀、ある事情で神聖ローマ皇帝に空白期間が生じました。七選帝侯は、新しい神聖ローマ帝国皇帝が強力な権力をもつことを恐れて、辺鄙な地区の小さな領土で経済力も弱く、戦力も小さなスイスの小領主「ルドルフ1世」(ハプスブルク家の初代領主)を選任しました。ところが、七選帝侯にとってこれが大誤算。ルドルフ1世は、次の戦いで圧勝し、次々に領土を拡大、その本部を辺鄙なスイスからウイーンに移し、本格的な領土拡大に取り組みました。
ハプスブルク家の統治権者は、途中スペインに移りましたが、スペイン・ハプスブルク家は「血統」を重んじた結果、近親結婚を繰り返し、精神的・肉体的な異常者が頻発し、やがて実権はウイーンに戻りました。
一般的には、領土拡大は「戦争」ですが、ハプスブルク家は違いました。戦争ではなく、政略結婚で諸領主と盟約を結び、次々と領土拡大に励みました。スペイン・ハプスブルク家が滅亡したのは、政略結婚ではなく、血族結婚を繰り返したからでしょう。
ハプスブルク家からは歴史を飾る人物が輩出しましたが、ここでは特に有名な人物だけを取り上げます。既述のようにハプスブルク家の創始者はルドルフ1世ですが、実質的な功労者は6代後のマキシミリアン1世(1459~1519)です。彼は類まれな優れた戦略家で次々と領土を拡大し、その後のハプスブルク家の基礎を築きました。
時代は大きく下って、女皇帝「マリア・テレジア」(1717~1780)と「マリー・アントワネット」(1755~1793)。マリア・テレジアは初の女帝として政治に邁進しました。しかも、繁忙な仕事の傍ら16人の子どもを生みました。現在のオーストリアの政治・経済・文化のほとんどのインフラは彼女が作ったとも言われています。市民とも親しく触れあい、今も「国母」とも呼ばれ敬愛されています。一方では、大きな悲劇にも遭遇しました。最愛の娘マリー・アントワネットの死です。政略結婚によってフランスのルイ16世に嫁がせたのですが、わがままだったこともあって国民の信頼を失い、フランス革命によって「断頭台の露」と消えたのです。ただ幸運なるかな、アントワネットの処刑時にはテレジアはすでに他界していたので、愛娘の処刑を知ることはありませんでした。
次に「エリザベート后妃」(1837~1898)。彼女は、次項で述べる皇帝フランツ・ヨーゼフのお見合い相手である姉に、面白半分についていきました。ところがフランツは妹(エリザベート)がの方が気にいり、強引に結婚することになりました。しかし結婚後、エリザベートは宮廷の古いしきたりや単調な行事に耐えられず国事を半ば放棄し、気晴らしに外国旅行に明け暮れました。彼女が心血を注いだのが「美貌」の維持でした。世界で一、二ともいわれた絶世の美女で、その維持のために、今でいうスポーツジム通い、食事制限、ミルク風呂…。3人の子どもを産む一方、身長170㎝、ウェスト50㎝、体重50㎏を維持するために、あらゆる犠牲を払いました。そして旅先のスイスで無政府主義者に暗殺されたのです。
このようにエリザベートは后妃としての重要な仕事を拒み、ハプスブルク家にはほとんど貢献していません。しかし彼女は今もウイーンでは「シシー」の愛称で親しまれ、今も「シシー博物館」があるほどです。「美女」であるだけでこのように歴史に残るとは…。
最後は「フランツ・ヨーゼフ」(1830~1916)。言わずと知れたハプスブルク家最後の皇帝。「最後の皇帝」といえども、決して愚鈍ではありませんでした。プロイセンなど大国の攻勢に立ち向かい、むしろ有終の美を飾ったといえるでしょう。彼と妻・エリザベートの間には多くの悲劇が起きました。後継者と期待した息子の情死(ピストル自殺)、メキシコ皇帝に推挙した弟の公開処刑、そしてエリザベートの暗殺…。彼が86歳の高齢で亡くなったのは第一次大戦のさなかでしたが、その前日まで政務に没頭していました。後継者もないままハプスブルク家は事実上消滅します。

《世界的芸術家を輩出》
私は、バッハやベートーベン、モーツアルト、クリムト、エゴン・シーレなどの大芸術家がどこの国の出身かを考えることはあまりありませんが、今回の旅行で、これら世界的作曲家や画家の多くが中欧諸国の出身であることを初めて知りました。前記のほか、ドボルザーク、スメタナ、リスト、バルトーク…もう数えきれません。中欧はまさに世界的芸術家を輩出する主要な地域でしょう。

[第一部] ドイツ(ベルリン、ライプチヒ、ドレスデン)
私たちはハンブルク空港に入国しましたが、ここはスルー、そのままベルリンに直行。
ベルリンといえば、何と言っても「ベルリンの壁」です。ドイツは第二次大戦の敗戦国として、戦勝国の米英仏ソによって東西ドイツに分割され、さらに東ドイツ領内にある首都ベルリンも東西ベルリンにに分割されるという二重分割にさらされました。有名な「ブランデンブルク門」(1791年建造)を境に東西ベルリンを隔てるのが「ベルリンの壁」です。高さ約3メートルに及ぶ「ベルリンの壁」は、「東」から「西」へ逃れるため多くの人が「死」を賭して挑戦し、銃殺など様々な悲劇を生みました。悲願であった東西ドイツの統一を機に、その「ベルリンの壁」が取り除かれたのは今から29年前の1989年のこと。ベルリンの壁の一部(長さ1.3㎞)は今も保存され、スプレーで描かれた絵画(世界大戦とは無関係の絵が多い。日本の富士山の絵も)で飾られています。これは新人画家の登竜門としてコンペで選ばれ、5年に1度全面的に描き換えられます。今では「ベルリンの壁美術館」として観光客の必見の場所となっています。
「ベルリンの壁博物館」のすぐ近くには「壁博物館」もあります。1961年のベルリン封鎖当時から1989年の壁崩壊まで28年間の厳重な警備の中、命がけで西側への脱出を試みた市民のドラマ(手づくりヘリコプターなど)が展示され、往時の悲劇が生々しい。
「ライプチッヒ」=旧・東ドイツではベルリンに次ぐ2番目の大都市。バッハ、シューマン、ワーグナーゆかりの地。私はここの骨董品店で古色蒼然としたビール・ジョッキ(陶器)を買いました。値段は6?(約700円)、今では毎日これでビールを飲んでいます。おいしさも今までの2倍以上(こんな安い記念品はない)。
「ドレスデン」=ここには、楽聖バッハの遺体を安置した教会があります。私は面会を求めましたが、残念ながら断られました。ドレスデンのすぐ隣町に、磁器で有名な「マイセン」があります。今回はここには行きませんでした(女房殿に高価な食器・花器を買わされずにすみ、ホッ…と)。
ライプチヒ、ドレスデンとも、重厚な中世の建物とおしゃれな近代的な建物が見事に調和し、落ち着いたすばらしい街です。

[第二部] チェコ(プラハ、チェスキークルムロフ)
年配の皆さん(私を含めて)は「チェコスロバキア」を一つの国と覚えていました。「チェコ」と「スロバキア」はもともと別の国だったのですが、1918年に合併、そして第二次大戦後にソ連型社会主義を導入し、それぞれ別の国に独立しました。国の分裂には「流血」がつきものですが、チェコとスロバキアの分離には一滴の血も流れませんでした。なお、現在の首都はチェコが「プラハ」、スロバキアは「ブラチスラバ」です。
首都・プラハ。11世紀から18世紀にかけてのさまざまな時代の様式の建築物が残るプラハ市街地区を中心に世界遺産に登録されています。日本の都市では考えられない見事な景観。プラハの代表的な名所に「カレル橋」(長さ530m、14世紀建造)があります。モルダウ川に架かるこの橋の欄干には30体の聖人像があり、その中には日本に関係の深い「フランシスコ・ザビエル」があります。でも、私が抱いていたイメージとはいささか違いましたがね。
チェコを代表する街は「チェスキー・クルムロフ」です。高台にあるチェスキー・クルムロフ城から見下ろす街全体はまさにこの世のものとは思えないほど素晴らしい景観です。モルダウ川が半円形に大きく蛇行することでできたこの半島では、屋根は薄い褐色に統一され、整然とした町並みは、「世界でもっとも綺麗な街」(世界遺産)といわれる由縁です。高層の近代建築はまったくありません。計画的な街づくりがいかに大切か、チェスキークロムロフを見ればよく分かります。日本では岐阜・白川郷の合掌づくり村くらいでしょうか。
チェコが、現在のラガービールの発祥の地で、「ビール王国」であることも初めて知りました。国民1人が飲むビールの量は日本の3倍だそうです。今では世界的なブランドとなった「ハイネケン」はもともとチェコの地ビールの会社名で、ここで修行した職人が渡米しビール会社を創立、「ハイネケン」を名乗ったことから国際的な裁判になったことがあるそうです。

[第三部] オーストリア(ウイーン)
私にとってウィーンは永遠の憧れの都でした。そのウイーンに3泊も滞在。
まずウインナ・ワルツ。今から30年ほど前、私はヨハン・シュトラウスの虜(とりこ)になりました。ほとんど毎日、レコードでウインナ・ワルツを聴きました。「美しく青きドナウ」「ドナウ川のさざなみ」「ウイーンの森の物語」「皇帝円舞曲」…。今はほとんど聴くことはなくなく、今回の旅でも、残念ながらウインナ・ワルツを聴く機会はありませんでしたが、本当に懐かしい思い出です。
もう一つ、それは「ウイーン美術史美術館」。今回の中欧の旅の最大の楽しみはこの美術館に行くことでした。私は美術鑑賞が最大の趣味で、旅行先で真っ先に行くのがその地の美術館です。これまでに世界有数の美術館のほとんどに行きました。まだ行っていないのは、「エルミタージュ美術館」(ロシア・サンクトペテルブルク)と「ウイーン美術史美術館」くらいでしたが、ようやくその夢の一つが叶ったのです。今回初めて行って驚いたのは、世界に名だたる名画が「これでもか、これでもか」というほど展示されていることでした。アルチンボルド、カラバッジオ、クラナッハ、ジョルジョーネ、ティチアーノ、デューラー、フェルメール、ベラスケス、ボス、ホルバイン、ラファエロ、ルーベンス、レンブラント(五十音順)…もう数えきれないほどの名画がところ狭しと展示されています。1日だけでは到底ムリです。
その中で私がもっとも感銘を受けたのは「ブリューゲル」です。有名な「バベルの塔」を初め「農民の婚礼」「冬の景色」などが、所せましと展示されています。超満足の半日でした。
ウイーンには「ベルベデーレ宮殿」があり、今は美術館に変身、ここには有名なクリムトの大作「接吻」があります。私も含めて、この名画をみるためツアーに参加した人も多いでしょう。幅約1m超、高さ約1.5m超のこの大作は、金箔をふんだんに使い、従来のフォルムとはまったく違う官能的な異色作です。私はこの絵の前に立ったとき、あまりのショックに気が動転しました。時間が過ぎてもこの「接吻」の前から離れることができないくらいでした。私も一生に一度くらいはこのような濃厚で目もくらむような「接…」をしたいものと…。
美術館を後にして、世界三大オペラ座(パリ・ローマ・ウイーン)の一つ、オペラ座のカフェでのんびりサンドイッチを食べ、コーヒー(ウイーンで「ウインナ・コーヒー」と頼んでも通じない)をゆっくり飲んだのも今では楽しい思い出です。

[第四部] ハンガリー(ブダペスト)
ハンガリー国民の95%が、9世紀ごろ中央アジアから移動してきたアジア系の騎馬民族・マジャール人です。ハンガリー国民は今でも自国のことを「マジャール国」と呼ぶそうです。その点が他の中欧諸国とやや異なる点でしょう。
ハンガリーの首都は「ブダペスト」。ブダペストは川幅1キロに及ぶドナウ川をはさんで、「ブダ地区」と「ペスト」地区に分かれていました。「ブダ地区」は王宮や大聖堂などが立ち並ぶ旧市街地、「ペスト地区」は行政機関などが立ち並ぶ新市街地です。昔はドナウ川を越えることは難しく、親の死に目にも会えないほどでした。それが1849年に長大な「くさり橋」(ライトアップで使われる電球が光の鎖のように見えることからそう呼ばれる、世界遺産)が完成し、「ブダ」と「ペスト」が合併し、現在の「ブダペスト市」ができました。その後も多くの橋が完成し、「ブダ」と「ペスト」は完全に統合されています。
ブダ地区には、ハプスブルク家の領地だった関係で、前記の最後の皇帝フランツ・ヨーゼフとエリザベート后妃が戴冠式を挙げた教会が残っています。私も入館しましたが、往時を偲び、その後の悲劇に思いを馳せ、感慨に浸りました。
ずばり、本当に綺麗な街です。ドナウ川を挟んで「ブタ地区」からみた「ペスト地区」も、そして「ペスト地区」からみた「ブダ地区」も、まさに一幅の絵をみるような素晴らしさです。建物も中世風と現代建築(高層建築はない)が微妙に調和し、見事です。皆さんんも、是非一度はブタペストに行ってみてはどうでしょうか。ついでに、「物価」が格別に安いことも魅力です。

《雑感1》 お土産用小袋
観光地に限らず、日本のお店では、例えば同じお土産を5個買ったら、黙っていても5個の小袋をくれますね。私はその習慣に染まっているせいか、ウイーンでお土産を5個買ったとき、近くにあった小袋を当然のように、取ろうとしました。ところが女店員は、まるで泥棒を防ぐように私を制止しました。小袋のコストは1枚せいぜい2~3円でしょう。このような小袋をなぜをくれないのかまったく理解できません。一方では「日本のおもてなしの心はすごい!」とつくづく感じました。

《雑感2》 ホテルの常備品
皆さんも多分すでに気づいていると思いますが、欧州諸国のホテルの常備品には大きな不満がありますね。その最大の不満はスリッパが置いていないことです。日本のホテルでは考えられないことです。欧州では、ホテルに着いたら寝るまで靴を履いていろ、という意味でしょうか。外で歩き疲れた身にとってはこれほどきついことはありません。もっとも、過去の海外旅行で経験済みですから、私たちはスリッパを持参しましたので、特に不便はありませんでした。

《雑感3》 訪問国の数
私は今回の海外旅行を機に、私がこれまでに行った海外の国・地域(台湾・グアムなど)を数えてみました。その結果、最初の訪問国・アメリカから始まって、今回の最後の訪問国ハンガリーまで合計32の国・地域におよぶことが分かりました。「よくぞ行ったものだ」と我ながら感心した次第。
「健康」と「好奇心」、これこそ海外旅行に欠かせない二大要素でしょう。

私の個人的な旅行にまつわる駄文・愚文におつきあいくださいましてありがとうございます。心よりお礼を申し上げます。 エッ!関心がないのでほとんど読んでいない? あっそう!!

                    平成30年4月
                     気まぐれトラベラー 古賀 幸治
 

日本語は天才である(4)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年 4月11日(水)09時05分39秒
           「日 本 語 は 天 才 で あ る」 (4)

[1]「スメハラ」
「セクハラ」に始まり、「パワハラ」「マタハラ」「モラハラ」など世はまさに「ハラスメント」時代です。
最新版が出たばかりの「広辞苑」にも載っていませんが、「スメハラ」という言葉が新たに登場しました。「におい」(スメル)によって人を不快にする(ハラスメント)ことです。パワハラやセクハラのような深刻な人権侵害ではないにしろ、職場の環境を損なうとの見方が広がっています。
嗅覚は五感のなかでも特別らしい。平山教授(東海大学)が昨年に出版した「『香り』の科学」によれば、視覚や聴覚などと違って嗅覚情報は大脳の別のところで処理される。ここは記憶や喜怒哀楽に関わるところ。いってみれば、「におい」は思い出や感情をじかに刺激します。
すでに前世紀のことですが、接客をなりわいとする人が「みだしなみ」の大切なポイントとして「香り」を挙げていました。「服装や髪形に劣らず、その人の印象を左右する」と。社会人とすればエチケットやマナーの一つとして日常的に気をつけなければならないのでしょう。ただ、いざ実行となると悩ましい。
自分の「におい」は気付きにくい。香水など人工的なもののほか、体質(汗など)や口臭(にんにくなどの食べ物)などが原因で、指摘を受けるまで自覚しないのが普通ではないでしょうか。その一方、よほど親しい人でも「くさい!」と告げるのは気が引けますね。ヘタをすれば人間関係にもヒビが入り職場の雰囲気を悪くしかねません。難しいテーマです。
これは職場だけの問題ではなく、電車・バス・劇場など人が集まる場所でも気になることです。私自身も気をつかっているのですが…。

[2]会社合併後の「社名」
(これは私の個人的な考えで、特定の会社を誹謗・中傷するものではありません。私の思い違いがあるかもしれません。もしそうであれば、私の無知を笑ってご容赦ください)
去る1月31日づけ日本経済新聞の記事を読んでびっくりしたことがあります。「新社長紹介」の欄に「損保ジャパン日本興亜ひまわり生命保険」という18文字の社名がありました。ほとんど覚えられないほどの、3社分とも思える長い社名です。まず「ジャパン」と「日本」という同じ意味の言葉が重なり、さらに「損保」と「生命保険」という異なる二つの言葉が混ざり合っています。これは、合併に合併を重ねた結果の社名でしょう。
かつて一昔前は、会社合併は業界の寡占化により公正な市場競争を妨げるとして、法的に規制されたものです。ところが現在ではそれとは正反対に「会社合併」が推奨される世の中に変わり、相次ぐ会社合併です。その主な要因は「激しくなった世界的競争に負けない体力づくり」です。
「第一三共」という大手製薬会社があります。これは「第一製薬(株)」と「三共(株)」が2005年に合併した後の社名です。私は最初、「第じゅうさんきょう」かと思いましたが、本当の読みは「だいいちさんきょう」です。多くの人は「じゅうさん」と読むのではないでしょうか。
私が思うに、このように合併前の社名を残す理由は、合併前の旧社名への愛着が捨てられないこと、社名を残すことによって一時的な客離れを防止すること、そして合併後は社長などの要職を交互に選出する約束が暗黙にあるためでしょう。
「三井住友銀行」の例をあげましょう。日本では「三井」が先で「住友」が後です。ところが国際的な正式社名は「Sumitomo Mitsui Banking Corporation」、つまり「住友」が先で「三井」が後です。これは私の邪推かもしれませんが、合併前の「三井銀行」と「住友銀行」が譲り合って国内と海外
の社名を分け合った結果ではないでしょうか。何とも姑息な内外の社名ですね。
「三菱東京UFJ銀行」も「三菱・東京・UFJ」の3つの銀行が合併にあたって現在の社名になったものです。(今年4月1日づけで「東京」が取れて、「三菱UFJ銀行」に変更)
逆に、合併前の社名を捨てて成功した例が「みずほ銀行」だと私は思います。同行は「第一勧業銀行」(その前は「第一銀行」と「日本勧業銀行」)と「富士銀行」が合併した銀行ですが、合併にあたってお互いの旧社名をきっぱり捨てて「みずほ銀行」にしたのです。合併後しばらくは社員も顧客も戸惑ったでしょうが、今や誰もが知っている「超一流のブランド」に定着していますね。
そのほかの成功例として、旧社名を捨てて大合併した会社に「JFEスチール」(川崎製鉄+日本鋼管)などがあります。

《古賀コメント》 会社合併にあたって、新社名は元の会社へのしがらみなどすっぱり切り捨てて、思い切った斬新な社名にすべきだと思います。「みずほ銀行」が、もとは「第一銀行」「日本勧業銀行」「富士銀行」だったことなど、今ではほとんどの人が知らないし、知る必要もないのです。

[3]「高齢者のクルマ運転」
2月17日づけ日本経済新聞の第一面コラム「春秋」に、「高齢者のクルマ運転」について興味あるエッセーが載りました。短縮し再編集して掲載します。
《子どもにとって、高齢期を迎えた親と語りにくい話題は何か。数年前、米国の非営利団体がそんな調査をしたそうだ。「葬儀の計画」や「家の売却」などを抑え、首位になった回答は「車の運転やめることの必要性」。およそ3人に1人が、この選択肢を選んだという。
米国のオフィスを舞台とするNHKラジオの「実践ビジネス英語」も、先ごろこの話を取り上げていた。働く世代にとって「自分の親から車の鍵を取り上げるつらさ」は、それだけ身近で切実な悩みということだ。テキストの解説記事は、運転が便利さだけでなく、生きる誇りも支えてきたがゆえの難しさを指摘している。
日本の警察庁が昨年の交通死亡事故の傾向をまとめた。総数は年々減っているが、75歳以上の「高齢運転者」による死亡事故は、この世代の人が増えこともあり高止まりしている。昨年は団塊世代が70代を迎え始めた。地方から上京して大都会に家を建て、休日にはマイカーでドライブを楽しんだ集団が75歳に近づく。
米国ではベビーブーマーの高齢化に合わせ、運転で気をつける点をネットで学び、受講者には保険料を割り引く試みが始まっている。わが国では、高齢者が免許証を返納した場合、一定の報奨金が支給される。しかし、「免許返納」だけでは抵抗があろう。タクシーの料金制度(高齢者には割引など)や、過疎地での小型バスの定期運行、買い物代行など町づくりまで、きめ細かい工夫を重ねたい》
《古賀記》 私は32歳のとき免許証をとり、生涯で4台のクルマに乗りました。うち3台はフォルクスワーゲン(VW)。しかし60歳を過ぎるころ、クルマを運転する機会が激減し、やがてクルマを手放し今は「ノーカー族」です。旅行は飛行機や新幹線を使い、買い物などは地下鉄の方がはるかに安全で便利です。大都会に住んでいると、まったく不便を感じません。
                     4月11日  古賀幸治
 

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