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日本語の不思議(2)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2019年 2月10日(日)11時05分1秒
         「日 本 語 の 不 思 議」 (2)

[1]「虹(にじ)」「蛸(たこ)」はなぜ「虫ヘン」か
またまた日経新聞平成30年5月27日づけ「遊遊漢字学」(筆者は漢字学者・阿辻哲次さん)からの「盗用」です。大幅に短縮・再編集して掲載します。
《「虫」という漢字を昔は「蟲」と書いた。要するに新字体と旧字体の違いだが、しかしもっと古くは、両者はまったく違う漢字だった。
いま、私たちが「むし」という意味で使う「虫」は、本来は「毒蛇」である「まむし」を意味する漢字だった。「虫」は頭の大きな蛇の形をかたどった象形文字で、音読みは「チュー」ではなく「キ」。その「虫」がやがて「まむし」から意味が広がって、さまざまな小動物を表すようになった。
それに対して、「蟲」(音読みは「チュー」)はその「虫」を三つ組み合わせたかたちで、こちらは昔からもっぱら「むし」という意味で使われてきた。
両者はそのように別々の漢字だった。それがいつの間にか「蟲」の簡略形として「虫」と書かれるようになり、やがて「虫」が日本でも中国でも「むし」を意味する正規の漢字となった。
「虫ヘン」がついている漢字が昆虫だけに限らないのは、以上のような理由による。「虻」(あぶ)や「蟋蟀」(こおろぎ)、「蝉」(せみ)などはムシの類といえるが、「蝮」(まむし)や「蟒」(うわばみ)はヘビだし、「蜥・蜴」(どちらも「とかげ」)、「蠍」(さそり)などにも「虫ヘン」がついている。
「虹(にじ)」はかつて山から山にわたる大きな龍と考えられたので「虫ヘン」がついている。さらには「蛸」(たこ)や「蛤」(はまぐり)、「蝦」(えび)のような水中の小動物まで「虫」の仲間だ。
子どもから「タコは虫じゃないのに、どうして「虫ヘン」がついているの?」と聞かれ、適当にごまかしてきたお父さんやお母さんはいないだろうか》

[2]重複表現・二重敬語
「重複(「ちょうふく」と読みます)表現」という言葉があり、「二重表現」ということもあります。要するに、同じ意味の言葉を無駄に重ねることです。
新聞やテレビなどでよく「親交が深い」や「注目が集まる」などという言葉を見聞きします。
まず「親交が深い」。もともと「親交」とは「交際が深い」ことでしょう。なぜ「親交が深い」というのでしょうか。「親」も「深」も発音が同じ「しん」であることも影響してか、私には「重複表現」のような気がして目障り・耳障りです。
次に「注目が集まる」。「注目」とは文字どおり「目が注がれる」ことですね。それを、なぜ「注目が集まる」というのでしょうか。テレビや新聞などでも「注目が集まっている」という表現をしばしば見かけますが、私にはこれも重複表現としか思えません。
「もちろん、~は当然のことです」や「過半数を超える」、「もちろん、~は言うまでもない」、「この件はすでに報告済みです」「まず最初に~」「日程はまだ未定です」なども明らかに重複表現。
話しは代わりますが、「難易度」という言葉にも私は違和感があります。なぜ「難度」ではいけないのでしょうか。オリンピックの人気種目に「体操」があります。「鉄棒」などで、「A選手が難易度の高いわざを試みた」などの表現をときどき見ますが、正しくは「難度の高いわざ」または「高難度のわざ」でしょう。「富士山は日本でもっとも高低度が高い山です」といえばおかしい表現ですね。正しくは「富士山は日本でもっとも高度な(または「高い」)山」でしょう。
重複表現とともに「二重敬語」もあります。先日テレビを見ていたら、約1週間のうちに、3人のアナウンサーが「作家のAさんが~とおっしゃられました」、「元大臣のBさんがお亡くなりになられました」「~をご覧になられて下さい」というのを聞いて、私は目が飛び出るくらいに驚きました。
最近では去る1月20日の大相撲初場所の中日(なかび)に天皇陛下ご夫妻が国技館においでになりましたが、NHKアナウンサーが「今日は天皇陛下ご夫妻が『大相撲をご覧になられました』」と言ったときも驚きました。「言葉が命」のアナウンサーがこのような二重敬語を平気で使うなんて信じられない気持ちになったのです。

[3]「難しい」の発音
あなたは「難しい」という言葉を口にするとき、どう発音していますか。「むずかしい」「むづかしい」「むつかしい」…。このうち、「むずかしい」と「むづかしい」は、仮名遣いの問題ですから、発音としてはほとんど同じでしょう。しかし、「むず(づ)かしい」と「むつかしい」は明らかに発音がちがいます。私自身は普段どう発音しているかを振り返ってみました。そして意外にも両方の発音をしていることに気づきました。私は急に自身の国語力が不安になって、広辞苑で確認しました。
「広辞苑」によると、意外にも「むずかしい」「むづかしい」「むつかしい」の3つが載っています。つまり三つとも正しいということです。私は「むつかしい」はいわば俗語で、「話し言葉」かと思っていましたので、本当に意外でした。「むつかしい」も正しい日本語なのですね。

[4]ラフカディオ・ハーンと「雪意」(せつい)
去る1月22日づけ日経新聞の第一面コラム「春秋」に興味深いエッセーが載りました。大幅に短縮・再編集して掲載します。
《ラフカディオ・ハーン(日本名「小泉八雲」)ゆかりの地といえば島根県松江市が有名である。ハーンはここで妻となるセツと出会い、日本文化へ深い理解を育んだ。だから今も市をあげて顕彰しているが、実はハーンの松江滞在は1年ちょっとにすぎない。
その理由は寒さだったといわれる。明治23年の夏に中学校教師として松江に赴任したハーンは、年末から翌年正月にかけての寒波に音(ね)を上げた。宍道湖が氷結するほどの寒さは、ニューオリンズやカリブ海沿岸に住んでいた彼には耐えがたかったろう。次の冬が来る前の11月、セツを連れて熊本へ去るのだ。
もっとも明治の昔、寒いのは松江だけではなかった。東京でも9年1月に氷点下9.2度まで下がった史上最低気温の記録がある。その時代、それに近い寒気はときどき首都を襲っているから、やがて上京したハーンも震えつつ冬を乗り切ったはずだ。名作「雪女」の情景にも寒さへの畏怖が滲んでいる。興膳宏さんの「漢語日暦」をめくっていると、底冷えのする日の鉛色の空の気配を「雪意」(せつい)と呼ぶと知った》
古賀記 : 私は「雪意」という言葉を初めて知りましたので広辞苑で確認しました。広辞苑では「雪意」とは「雪が降りそうな空模様。雪模様。雪気」とありました。何とも情緒的な日本語ですね。今年も「大寒」が過ぎて「立春」も終わりましたが、ハーンが過ごした松江の城下にもこの冬、「雪意」が漂ったことでしょう。ところで、似たような言葉に「雨模様」があります。これも、実際はまだ雨は降っていないが、「今にも小雨が降り出しそうな空の様子」のことですね。

                    平成31年2月11日   古賀 幸治
 
 

「日本語の不思議」(1)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2019年 1月10日(木)09時54分32秒
         「日 本 語 の 不 思 議」 (1)

皆さま「アケオメ」「コトヨロ」
「あけましておめでとうございます」「今年もよろしくお願いします」の省略体です。
今年から「タイトルを『日本語の不思議』に改名します。別に大した意味はありません。単なる気分転換です。

[1]「ヘボン式ローマ字」のヘボン博士
昨年10月29日づけ日本経済新聞の第一面コラム「春秋」に、ヘボン式ローマ字の考案者ヘボン博士の記事が掲載されました。要約して掲載のあと、私の雑感を述べます。
《ヘボン式ローマ字を考案した米国人医師で宣教師のヘボン博士は、初の和英辞典の編纂者でもある。幕末に来日し、7年かけて2万の日本語を集めた。望月洋子著「ヘボンの生涯と日本語」によれば、日本語への関心を高めた理由の一つは「心情的」な言葉の多さだった。
「せっかく」「せめて」「どうせ」「いっそ」…。和英辞典「和英語林集成」をみると、「せっかく来たのに療治をしてもらわぬことが残念」「いまさら療治をしても治りません」などの用例が載っている。今の横浜市に開いた施療所で患者が吐く言葉を、ヘボンは後で書き留めた。情のこもった言葉の微妙な味に引き込まれていった。
日本語は敬語や繊細な表現がいくつもあり、外国人が習得するには簡単ではないとされる。けれども、ヘボンのように、興味が湧いて学べば日本への理解も深まる。国会で成立した外国人材受け入れ拡大策も、いかに日本に親近感をもってもらうかという観点が大切だ。
良質の日本語教師の増員は欠かせない。実はヘボンにも先生がいた。本国への手紙で、ヤゴロウというその人物について、「話しぶりもきわめて正確で、美しい日本語を話す」と書いている》
〔古賀記〕 ヘボンがいう「心情的な言葉」は、確かに外国人には正しく理解することが難しいでしょう。私は手許にある「和英中辞典」(旺文社)で調べてみました。(すべて最初に出て来る英単語・熟語のみを掲載します)
「せっかく」=with much trouble、「せめて」=at least、「どうせ」=anyhow、「いっそ」=rather
いずれも翻訳者の苦心が偲ばれますね。しかし、どれも日本語の「情緒的な文言」とはかけ離れているように私には思えます。
日本のローマ字の原点はいうまでもなく「ヘボン式」ですが、現在では随分変化していますね。例えば「東京」「京都」のローマ字表示は、ヘボン式ではそれぞれ「Toukyou」「Kyouto)」のはずですが、実際はそれぞれ「Tokyo」「Kyoto」と表示されています。ヘボン式ではそれぞれ「トキョ」「キョト」になります。わが愛する「阪神タイガース」の未来の4番打者「大山」のユニフォーム裏面に表示するローマ字は「OHYAMA」です。これをヘボン式で読むと「オヒャマ」です。
ヘボン式ローマ字はすでにその歴史的使命を終えたのでしょうか。

[2]「退社」!?
ある日の夕方ごろ、私は旧知の親友T君に用事があって彼が勤務する会社に電話をしました。すると、電話口に出た女性社員が「Tはすでに退社しました」といいます。私はびっくりして「エッ!あれほど会社を自慢していたのに、どうして会社を辞めたのだろう。ひょっとして悪いことでもして会社をクビになったのではないか」と心配しました。
後日、彼とある会合で会う機会があって、「お前、会社を辞めたんだって!」と聞いたところ、彼はキョトンとして、「俺が会社を辞めるはずがないだろう。何というデマだ!」と怒りました。とんでもない誤解があったのです。その理由はやがて分かりました。
電話口にでた女性社員は「退社」を「一日の仕事が終わって家路(または「飲み屋」?)に向かった」という意味で言ったのに対し、私は「会社を退職した」という意味にとったのです。
私は急に自分の国語力が心配になって広辞苑で調べました。
広辞苑では、「退社」には2つの異なった意味があって、「①社員がその会社を辞めること、例として「昨年退社した」を挙げ、反対語は「入社」と解説しています。一方では「②一日の仕事を終えて社員が会社から出ること」、例として「定時に退社する」、反対語は「出社」としています。
このように、同じ「退社」にはまったく異なる2つの意味があるのです。日本語って本当に不思議ですね。

[3]「殿様改革」
昨年11月11日づけ日本経済新聞の第一面コラム「春秋」に「殿様改革」という興味深い記事が載りました。一部割愛・加筆して転載します。これは、「日本語は天才である」昨年5月号の「敬称の不思議」の続編のようなものです。
《「殿様改革」が進んだのは、時代が昭和から平成に移るころだった。役所の文書の宛名のことだ。いかめしい感じの「○○殿」から、やわらかい雰囲気の「○○様」へ。「言葉の行政改革」が進行中だと当時の新聞にある。たしかに近年は「殿」はあまり見かけなくなった。
敬意をあらわすレベルは、そもそも「様」がいちばん上だ。それを考えれば世の中のたいがいの場面で、書き言葉なら「様」、話し言葉なら「さん」が妥当だろう。ところが不思議なことに、国会や地方議会では「○○君」が頑張っている。明治以来の伝統で、なんと!幕末に吉田松陰が松下村塾で使ったのがそのまま受け継がれているという。
「君さん改革」に躍起なのは、野田聖子・予算委員長だ。先ほどの予算委員会で「内閣総理大臣、安倍晋三さん」とやったのはなかなか新鮮であった。もっとも「さん」づけは四半世紀も前に、ときの土井たか子衆院議長が試みたが定着しなかった。議場では「君」の方が威厳があるように感じるせいだろうか。
敬称、呼称はかくも難物であるらしい。会社によっては上下関係に関わらず「さん付け運動」があるが、ほとんど定着していない。ヒラ社員が社長に向かって「さん」付けで呼ぶのは大変だ。出世した同期から「○○君」などと呼ばれたらガックリくる。呼称改革も働き方改革なみに一筋縄ではいかぬわけだ。そういえば永年勤続などの賞状には、あの「殿様改革」を乗り越えて「殿」が健在である》
〈古賀記〉 本誌昨年5月号で「敬称の不思議」を採り上げました。わが国では「殿・氏・様・さま・さん・先生・君・くん・ちゃん」などさまざまな敬称(尊称)があり、使い方を間違うととんでもないことになりかねません。近年では新聞などで、女性(とくに政治家・経営者・学者など)に「○○氏」と表示することに、私は強い違和感を覚えることを書きました。ご記憶でしょうか。

                       平成31年1月11日  古賀幸治
 

日本語は天才である(12)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年12月10日(月)17時09分29秒
          「日 本 語 は 天 才 で あ る」 (12)

[1]「地面師」!!
つい先日、新聞紙上で「地面師」という言葉を初めて知り、本当に驚きました。新聞報道によると「積水ハウス」が約15人で構成する「地面師」グループ(それぞれ役割を分担)から63億円をだまし取られ、犯人は次々と逮捕(1人は海外逃亡中)されたとのこと。
恩師や老師、医師に教師など、「師」のつく言葉からは「敬うべき人」や「この道一筋」というイメージが思い浮かびます。では「地面師」はどうでしょう。他人の土地の所有者になりすまし、勝手に売却を企てたりする悪い輩(やから)のことを指します。何とも奇妙なネーミングですね。
ところで、主として公的資格を表す漢字に「師」と「士」の二つがあります。いずれも厳しい試験に合格した人だけが名乗ることを許され、関係法律に「資格名」が明記してあります。一方では公的資格ではないものもありますが、国語辞典などでは表示が統一されています。
まず「師」=「教師」「牧師」「医師」「看護師」「美容師」「調理師」「柔道整復師」…。
次に「士」=「弁護士」「社会保険労務士」「不動産鑑定士」「司法書士」「行政書士」…。
ところで、同じ医業に携わる「医師」に倣って「看護師」といいますが、一方では、同じく歯科医師とともに歯科医療に携わる人は「歯科衛生士」です。以前は「看護婦」と呼ばれていましたが、男性にも門戸が開かれ「看護師」という公的資格になりました。同じく医療に携わる「看護師」は「師」で、「歯科衛生士」は「士」。どうしてこのように「師」と「士」に分かれるのでしょうか。
「地面師」のほか、どうしても「尊称」とは思えない「師」に「詐欺師」「ペテン師」などがあります。このような「反社会的」としか思えない人に「師」という尊称をつける理由は?一種のギャグ?

[2]「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」
現代仮名遣いで、私たちがもっとも迷うのが「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」の使い分けでしょう。私自身も、「エッ!どっちだろう?」と迷うことがしばしばです。私たちは日常会話の中で、「じ」と「ぢ」、そして「ず」と「づ」を区別して発音することはほとんどないからでしょう。辞書を引くときやインターネットで漢字変換するとき、「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」を間違うと正しい文字は出てきません。
私は、漢字で「し」と読む字の濁り読みは「じ」、「ち」は「ぢ」で、同じく「す」と読む字の濁り読みは「ず」、「つ」は「づ」と信じてきました。ところが、このルールに当てはまらない熟語が意外に多いのです。具体的な例をあげましょう。以下は「広辞苑」で確認したものです。
まず、ルールどおりの読み。「鼻血=はなぢ」「入れ知恵=いれぢえ」「底力=そこぢから」「近々=ちかぢか」「湯飲み茶碗=ゆのみぢゃわん」「横綱=よこづな」「お小遣い=おこづかい」…。
ルールどおりでない読み。「地震=じしん」「築地=つきじ」「地面=じめん」「世界中=せかいじゅう」「稲妻=いなずま」「常磐津=ときわず」「躓く=つまずく」…そのほかにも多くありますが、これらは、昭和61年7月内閣告示(平成22年11月一部改正)によるものです。
(これから例に挙げる「沼津市」については、本欄で数年前に一度とり上げました)
静岡県に「沼津市」と「焼津市」があります。「沼津」は「津(つ)」の濁音ですから、当然「ぬまづ市」、アルファベットで書くと「Numadu City」のはずです。ところが、沼津市の現地に行ってみると、「JR沼津駅」は「ぬま『ず』駅」(Numazu Station)で、道路標識もすべて「ぬまず」(Numazu)となっています。同じ静岡県には「焼津市」がありますが、先日、焼津観光協会に電話で確認したところ、何と「やい『づ』市」が正式なふりがなであることが分かりました。おなじ静岡県でも「津」が「ず」と「づ」の二つに分かれているのです。
なお、私の手許にある「日本地図」(成美堂出版)では、「沼津市」は「ぬまづ市」、「焼津市」は「やいづ市」と、いずれも「づ」と表記されています。正しい仮名遣いからすれば、当然のことでしょう。

[3]「鳥肌がたつ」
「鳥肌がたつほどの素晴らしい演奏」…このような表現を最近よく見聞きしますが、日本語として正しいのでしょうか。
「鳥肌がたつ」とは、本来は寒さや恐ろしさに遭遇し、肌が鳥の皮膚のようにぶつぶつになることを言うのですが、近年「感動で鳥肌がたつ」などという言い方する人が増えています。近年の文化庁「国語に関する世論調査」によりますと、男女とも40歳以下の世代を中心に、その意味で使う人が増加傾向にあるという調査結果が出ているそうです。この調査を受けてかどうかは分かりませんが、それ以降に改訂した国語辞典では、「感動で鳥肌がたつ」という意味を新たに加えるものが増えてきています。
このような表現を「誤用」と考えるべきかどうか、意見が分かれるところです。辞書は規範を重んじるべきものか、言葉の現象を追いかけて、それを記述すべきものなのか、さまざまな考えがあるからです。後者は「言葉は時代とともに変わるもの」を具現化したものでしょう。
広辞苑で確認してみました。広辞苑では「鳥肌」を「立毛筋の反射的な収縮により、皮膚に鳥の毛をむしり取ったあとのようなぶつぶつを生じる現象」としたうえで、「鳥肌がたつ」を「寒さや恐怖・興奮などの強い刺激によって、鳥肌が生じること」と解説しています。さらに加えて、「近年、感動した場合にも用いる」として、使用例に「名演奏に鳥肌がたつ」を挙げています。
広辞苑といえば、今年10年ぶりに大改訂した第7版で、「やばい」の欄で、「不都合である、危険である」の本来の意味のほかに、正反対の「のめり込みそうである」を追加し、使用例として「この曲はくせになって『やばい』」をあげて話題になりました。

[4]「週末」(ウィーク・エンド)
私たちが日常会話の中でしばしば使うにも関わらず、実態が意外にバラバラな言葉の一つに「週末」があります。この言葉は英語の「Week end」からきたものですが、「今度の週末に会おうよ」と言われたとき、皆さんは具体的にいつのことだと思いますか。
 (1)土曜日、(2)金曜日と土曜日、(3)土曜日と日曜日、(4)金曜日の夜から日曜日の夜
各種の日本語辞典でもそれぞれ違った定義をしています。広辞苑では「土曜日、また土曜日から日曜日へかけていう。近年は金曜日を含めてもいう」と総花式に解説しています。
「完全週休2日制」が定着したことが、「週末」の意味を変えたのでしょう。今から半世紀前の「完全6日制」(休みは日曜のみ)の時代は「週末」とは日曜日しかなかったのです。

《おまけ》 続・続「立ちション」  Yさん(静岡県函南町)から、ある日本食レストランの男子トイレで見かけた張り紙の紹介がありましたので転載します。
  「一歩前、脇にたらすな松茸の露(つゆ)」 ウーン! けだし名(謎?)川柳!!

                    平成30年12月11日  古賀幸治
 

日本語は天才である(11)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年11月11日(日)10時34分35秒
           「日 本 語 は 天 才 で あ る」(11)

[1]「狼狽」(ろうばい)
本欄の主要なヒント源である日経新聞の「遊遊・漢字学」(筆者は漢字学者・阿辻哲次さん)の7月8日号から短縮・再編集して「盗用」します。(阿辻さん、いつもありがとうございます)
≪「うろたえる」と入力して変換キーを押すと、画面に「狼狽える」と表示された。パソコンやスマホでは「狼狽」(ろうばい)が「うろたえる」の漢字表記に充てられているようだ。
あわてふためき、とまどうことを意味する「狼狽」はどちらの漢字にもケモノへんがついているように、本当は二種類の動物を並べた熟語である。「狼」はもちろんオオカミで、きわめて獰猛なこの動物は、人里に下りて来て家畜を襲うなど、古くから人間社会に大きな害を与えてきた。しかし人間も負けてはおらず、オオカミを捕らえて肉を食べたり、毛皮から衣服や敷物を作ったりしてきた。またオオカミの糞は燃料として使われ、燃やすと煙がまっすぐに上がることから、ノロシを上げる時の燃料にもってこいであった。ノロシを漢字で書くと「狼煙」と書くのはそのためである。
ところでもう一方の「狽」は想像上の動物で、もともとはオオカミの一種だったという。そしてこれはなかなか滑稽な姿の動物だった。
明(みん)時代の随筆集に、「狼は2本の前足が長く、後ろ足が短かった。一方の「狽」は逆に前足が短く、後ろ足が長かった。狼は狽がいなければ立てず、狽も狼がいなければ歩くこともできなかった。お互いに離れれば、「狼」「狽」とも歩くこともできなかったのだ。
それで、あわてふためき、うろたえることを「狼狽(ろうばい)」というようになった≫

[2]珍名「バス停」
全国で「バス停」は約25万以上もあるそうです。今日はその中で思わず「エッ!」と唸る珍名バス停を紹介します。これはインターネット情報からの「盗用」です。
まずドキッとするのは「女体入口」(にょたいいりぐち)。長野県駒ヶ根市にあるこのバス停の由来には諸説あり、かつて近隣にあった「女体」という集落の入り口にあたる場所だから、あるいは中央アルプスの山脈が女性の横たわる姿に似ており、中央アルプスの入り口になぞらえて、という説もあります。
女性つながりでいくと、西鉄バスには「姉」(あね)というバス停があります。佐賀県神埼市の「千代田町姉」という地名から名付けられたバス停名です。福井県おおい町には福井鉄道の「父子」(ちちし)というバス停があり、兵庫県三田市には神姫バスの「母子」(もうし)があります。家族全員が揃いそうな勢いです。
「伯母様」(おばさま)というバス停もあります。神奈川県伊勢原市にある神奈川中央交通のバス停で、「伯母様」は地名でもありますが、一説には室町時代に神奈川県一帯を治めていた北條家康の家臣の「おば」である梅林理香大姉のことだそうです。彼女がこの地を所領していたことから、文字通り本物の「おば」をルーツとする地名が生まれ、バス停近くには「伯母様橋」という橋もあります。
一方、北海道で特に多いのが、個人の名前がそのままバス停に使われるパターンです。網走市にある網走観光交通の「柏崎さん宅前」や「荒木さん宅前」、同じく網走市にある網走バスの「北村宅前」や斜里町の「寺口宅」、西興部村にある名士バスの「寺口宅」など、その人の家の近くだから、という理由でつけられたバス亭名が多く見られます。これらは、北海道の地方部では一つの地名がかなり広範囲を示すうえに、住宅以外の目印がどうしても少ないためです。上に挙げたうちの一部では、すでにその人が住んでいない所もあるとのこと。

[3]続・「立ちション」
昨月号で採り上げた「立ちション」については、多くの読者から反応がありました。「私は自発的に『座りション』を実践している」「駅などの公衆便所の床面がびしょびしょなのは立ちションのせいだ」「昔、田舎では田んぼなどでお婆さんが立ちションするのをよく見かけた」などなど。
一方では、配信の翌日(10月12日)にインターネット上に「便座離婚、あなたは大丈夫?」という私にとってはショッキングな記事が掲載されました。要約して転載します。
《熟年男性はご存じだろうか、最近、主婦のコミュニティーサイトなどで「便座離婚」や「トイレ離婚」という言葉が飛び交っているという。例えばこんな書き込みだ。「うちの旦那は何度言っても便座を上げっぱなしです。愛情を感じられず空しくなります」(広島の主婦・38歳)、つまりオシッコ後、便座を上げっぱなしにしているのは、次に使う妻への気遣いがないというわけだ。「そんなの、いちいちやってられっか」という熟年男性もいるだろうが、これはどうか。
「夫が出た後はオシッコの滴が床に飛び散って、すごく汚い。トイレ掃除をしながら、いっそのこと離婚したいと思うほどです」(パート主婦・52歳)。本人に直接その不満を聞いた。「便座を上げてオシッコしても、便器の掃除はしない。正直、私を家政婦か何かと勘違いしている夫と別居したいくらいです」。
また、他の奥様方にも夫のトイレに関する不満を聞いたが、出るわ出るわ。「『大』がこびりついたままにして出る。その後に入る気持ちはもう最低」(38歳)。「布製の便座カバーが濡れていることがあるんです。気づかずに座ったときは、本当に夫の頭を蹴りたくなります」(39歳)。夫はオシッコのとき鍵をかけないんです。中学生の娘が鉢合わせすることがあって…すごく嫌がっています(43歳)。トイレだけに(?)奥様たちの不満は溜まりに溜まっている。男性読者は「便座を下げないくらいで離婚されたらたまらない」と思うだろうが、その慢心が危ない。前述のパート主婦がこんな話を明かす。「実は、私の友達に『トイレを掃除しているときに離婚を決意した』という人がいるんです。ある日、ダンナが汚したトイレを掃除していると、突然『もう、こんな人のためにトイレ掃除をするのは耐えられない』と思ったそうです。積もり積もったうっぷんがトイレ掃除で限界に来たんだろうけど、彼女の話は女の私には、よく分かります」》
〈古賀記〉 昨月号では気楽な気持ちで「立ちション」を書きましたが、「トイレ(便座)問題」がこんなに深刻だとは思いもしませんでした。私自身も大いに自戒、反省!

《おまけ》 恐れながら、あなたの日本語力を試すクイズ(第29回)です。
『問題』 次の文章で「あわ」はどちらが正しいでしょう。
「景気が良かった頃は、土地を売っただけでも大儲けができた。まさに濡れ手に『あわ』だったよ」
 ①「泡(あわ)」、②「粟(あわ)」
正解は②「粟」。「濡れ手に粟を掴めば粟(食用の穀物)がたくさんついてくる」ことから、「大した苦労もなく、多くの利益を得る」ことを言います。「泡」と「粟」の発音が同じことから誤解が多い。「濡れ」と「泡」が両方とも「水」に関連することも「混同」の原因かも知れません。
                     平成30年11月11日  古賀幸治
 

日本語は天才である(10))

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年10月10日(水)16時08分59秒
        「日 本 語 は 天 才 で あ る」 (10)

[1]「一・二・三・四シリーズ」(第3回) 「二の舞」
あなたは「二の舞を踏む」という言い方をお聞きになったことはありませんか。自分はいつもそう言っているという人もあるかも知れません。しかし、この「二の舞を踏む」は誤った使い方で、「二の舞を演じる」が正しい言い方だとされています。私が使っているパソコンのワープロ・ソフトでも、「二の舞を踏む」と入力すると「二の舞を演じるの誤用」と教えてくれます。「二の舞を踏む」が誤用である理由は、「二の足を踏む」との混同から生まれた言い方だからだと説明されることが多いようです。
「二の舞」とは舞楽(舞が伴う雅楽)の曲名で、「安摩の舞の次にそれを見ていた二人の舞人(笑い顔の面の老爺と、腫れただれた顔の老婆)が滑稽な所作で安摩の舞を真似て舞う舞。安舞の舞に対する答舞」のことです。人の後に出てきて前の人と同じ事をしたり、滑稽なしぐさをしたりすることから、「二の舞」は前の人の失敗を繰り返すという意味になります。そしてそのような「二の舞」を“演じる”が本来の使い方だというわけです。
ただ、古い文献に「二の舞を踏む」という使い方をしたものもあり、最近の国語辞典には「二の舞を踏む」を誤用説を紹介せずそのまま載せるものが増えてきていることから、「二の舞を踏む」があながち間違いともいえないでしょう。

[2]「立ちション」
7月19日づけ日経新聞の第一面コラム「明日への話題」に「立ちションと草食男子」というエッセー(筆者は江波戸哲夫さん=作家)が掲載されました。ほぼそのまま転載します。
《「わが家は夫も息子もトイレでの立ちションはご法度です」。先日のバラエティー番組で、某ママ・タレントが胸を張ってこう言うのを見た。
近年、若い母親のこの種の発言をよく耳にする。ションのしぶきが立って便器や壁が汚れ、臭うからだそうだ。その度に私は「なんだかなあ」と思う。ションの作法は、犬のオス・メスで違っているように、動物によって大いにセクシャリティー=性の在り方に関わっている。LGBTなんて言葉生まれるずっと以前にL(レズ)の機関紙で男役の人が「ああ、立ちションをしてみたい」と切望している投稿を見て、目からうろこが落ちた。ママ・タレが嫌う立ちションは、男役には憧れの“男性・性”なのだ。男児・女児両方を育てた親ならたいていは知っているだろう。多くの男児が、生来、乱暴に動き回り、大声を上げ、衣服を汚し、女児より扱いにくいのを。
ところが、最近の若い母親や学校はそれを嫌い、一日中たしなめている。「静かにしなさい」「走り回らないように」「そんな汚いものには触らないように」と。寄ってたかって男児生来の「男性・性」を薄めようとしているのだ。そこに「立ちションはさせない」が加わったのだ。“男性・性”が薄められた「草食男子」はますます多くなるだろう。
脱乱暴、脱大声、脱汚れ…は成熟社会では「正義」なのかも知れない。しかし草食男子が増えすぎることに不安を覚えるのなら、母親にも学校にも何か工夫の余地がないだろうか?》
≪古賀記≫ 皆さんはどう思いますか。私は「ション」の都度、ズボンとパンツをずり下げ、便器にしゃがみ込むことを考えただけでも恐ろしくて身震いがしますがね…。

[3]「杜撰」(ずさん)
「いいかげん」という意味の「杜撰(ずさん)」という言葉がありますね。「杜」を「ず」、「撰」を「さん」と読む例はほかにはほとんどないので、読みにくい言葉です。でも、そもそも「杜撰」と書いてなぜこの意味なのでしょうか。
まず「撰」(せん)には「詩文を作ったり、編集したりする」という意味があります。「勅撰和歌集」といった使い方をします。そして「杜」は古く中国人の人名に由来すると言われています。その人が誰なのかについては諸説がありますが、宗(そう)の時代の詩人「杜黙(と・もく)」という説が有力です。杜黙のつくる詩は作法に合わずいい加減なことが多かったため、「杜が詩を作る=杜撰」という言葉が、「いいかげん」の意味で使われるようになったのです。
また、別の「杜」さんだったという説もあります。唐(とう)時代の文学者「杜光庭」(と・こうてい)です。杜光庭が書物を書くと、でたらめが多かったからなのです。
これらの説から、「杜撰」は詩文などの限定して「誤りが多いこと」を意味しました。今は詩文以外でも、「いいかげん」なことを指すようになっています。

[4]「もりば」&「ホッカイキセン」
私も含めて、誰でも勘違いがあるものです。その「勘違い・読み違い」をする相手に注意・指摘をするかどうかは、難しい問題です。場合によっては、相手の方は不愉快に思うかも知れないと思うと、つい躊躇しますね。
このことについて、私には10年・5年も昔のことで、今も忘れない2つの「事件」があります。
≪はとバス事件≫ もう10年以上も前、私は東京周辺を巡る「はとバス」に乗りました。バスが東京に戻るとき、女性バスガイドさんは「間もなく新宿に到着します。新宿は東京でも有数の『もりば』です」とガイドしました。私は一瞬、「エッ!『もりば』?…何のことだろう」といぶかりました。しばらくして「あ!これは『盛り場』(さかりば)」の読み違いだろうと気づきました。私はよっぽど本人に注意しようと思いましたが、私の座席が遠かったこともあり、声をかけませんでした。
その後数年間も彼女は読み違いをしたままガイドを続け、数百人・数千人の乗客は「何のこと?」と思いながら過ごしただろうと今でも思います。多分、はとバスにはマニュアルがあって、ガイドさんはそれを丸読みして「もりば」と呼んだのでしょう。今も私は「あのとき注意しておけばよかった」と後悔しています。
《台湾ツアー事件》 5年ほど前、私は台湾ツアーに参加しました。北は台北から南は高尾を経て台湾を一周する5日間のバス・ツアーです。台湾のほぼ中央部には「北回帰線」があり、そこには巨大なモニュメントがあって観光名所にもなっています。台湾人バスガイドさん(女性)は流暢な日本語で、「ここが有名な『ホッカイキセン』です」と言いました。私は一瞬「エッ!ホッカイキセン?」といぶかりました。しばらくして「ああ、これは「北回帰線」(きたかいきせん)の読み違いだろう」と気づきました。私は休憩時間に彼女に小声で「日本では『ホッカイキセン、ナンカイキセン』とは言わないんですよ」と注意しました。彼女はびっくりして「日本ではどう呼ぶのですか?」と聞きました。私は「日本では『きたかいきせん、みなみかいきせん』と呼ぶのです」と教えました。彼女はその後すぐに「きたかいきせん」と言い直しました。私の注意がなければ、彼女はその後も「ホッカイキセン、ナンカイキセン」と呼びつづけて、日本人ツアー客を悩まし続けたことでしょう。そう思うと、私の「余計なおせっかい」も役に立ったのだろうと今も思い出します。
                      平成30年10月11日  古賀幸治
 

日本語は天才である(9)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年 9月 9日(日)09時55分24秒
  この序文は、早稲田大学に学んだOBの皆さんだけに配信します。

8月29日づけ日本経済新聞の最終ページ「文化」欄に「早大生と歩んだソバ屋『三朝庵』が7月末日に112年の歴史に幕」という、三朝庵女将・加藤峯子さんの随想が掲載されました。
早稲田に学んだ人で「三朝庵」を知らない人は多分一人もいないでしょう。在学中一度も行ったことがない人もほとんどいないでしょう。馬場下の交差点の角にある「三朝庵」、まさに大学への入り口にあり、当時は木造2階建てで、1階は倚子席、2階は座敷でした。5年ほど前に行ったときは、2階が歯科医院になっていました。
三朝庵の建物はもともと大隈重信侯の持ち物だったそうです。その後、井伏鱒二や尾崎士郎などの文人が足しげく通い、仕事場代わりにも使いました。一方「早大雄弁会」のたまり場にもなり、のちに首相になる竹下登や小渕恵三なども三朝庵を集合場所のようにしていたそうです。

私にとっては三朝庵はまさに「こころのふるさと」(校歌「都の西北」の一節)でした。私は九州・佐賀で高校卒業(18歳)まで育ちました。佐賀では「うどん」は常食といえるくらいにほとんど毎日食べましたが、「蕎麦屋」などまったくなく、蕎麦は食べたことはもちろん、見たことさえありませんでした。早大進学のため上京し、初めて蕎麦を食べたのが三朝庵でした。そのとき「蕎麦って何とおいしい食べ物だろう」と驚いたことは60年近く経った今も鮮明に覚えています。
とくに3年と4年次には馬場下に下宿しましたので、三朝庵まで徒歩3分、大学への通路にありますから通算して100回以上は三朝庵に通ったと思います。以来、蕎麦は病みつきになり、私にとって今では蕎麦は生きていくうえに欠かせない食べ物で、周囲の人からは「古賀は蕎麦狂いだ」と言われるほどです。

私の蕎麦の食べ方、「蕎麦はのど越しに食べるもの、噛まない。蕎麦つゆは先っぽの2、3センチほどつけるだけ」も三朝庵で学び、今も実践しています。これが私の最高の食べ方です。
三朝庵が廃業することが事前に分かっておれば、惜別の念に堪えかねて多分一人で行ったことでしょう。女将さんも随想の中で、「事前に告知すると常連さんだけでなく昔を懐かしむ人たちが殺到してしまうから、ひっそり最終日を迎えた。後日に閉店を知った方々にお詫びしたい」と書いています。

わが青春のふるさと、ありがとう!「三朝庵」!!


     「日 本 語 は 天 才 で あ る」 (9)

[1]「一・二・三・四シリーズ」(第2回) 「二つ返事」
「二つ返事」とは、「はい、はい!」と返事を二つ重ねて、気持ちよくすぐに承諾することですね。一方では「返事は一回!」と教えられてきた世代(私もこれに属します)にとっては、返事を2回重ねるのはおかしいと思っている人も多いでしょう。私などにとっては「はい、はい!」は何だかふてくされて返事しているようにも聞こえます。
ところが、ある言語学者によると、「二つ返事」と「一つ返事」のどちらが正しい言い方かというと、「二つ返事」が正しく、「一つ返事」は従来なかった言い方だそうです。広辞苑で確認してみました。「二つ返事」とは「ためらうことなく、すぐ承諾すること」と解説し、例として『二つ返事で引き受ける』を挙げています。一方の「一つ返事」の項はありませんでした。
しかし文化庁の調査によると、「一つ返事」と答えた人(46%)の方が「二つ返事」(43%)と答えた人より多いという結果が発表されています。同調査によると、従来はなかった「一つ返事」と言っている人の割合が高かったのは、北陸・中部・近畿・中国・九州といった西日本の各地域でした。なぜ西日本に「一つ返事」が多いのか、その理由は学者にもよく分からないそうです。
文化庁の調査によると、もう一つ不思議なことが分かりました。それは年配者になるほど「一つ返事」の率が増えるということです。男性では60歳以上、女性では50歳以上になると「一つ返事」の割合が「二つ返事」を逆転してしまうのです。通常、言葉の誤用を調査した場合、誤用率が高いのは若者層の方ですが、この語は逆なのです。
私は「はい!」の「一つ返事」派ですが、これは私が西日本(九州)育ちからでしょうか、それとも「年配者」のせいでしょうか。ところで、あなたは「一つ返事派」? それとも「二つ返事派」?

[2]「差別用語」
多分もう30年以上も前から、いわゆる「差別用語」が厳しく制限されるようになりました。目の不自由な人を「め○ら」、耳の不自由な人を「つ○ぼ」、足の不自由な人を「ち○ば」などと呼ぶことを「差別用語」といいます。これは新聞やテレビなどメディアが、たとえ不用意に使った場合でも社会的に大ブーイングが起きますし、私たちが日常会話で使うこともほとんどなくなりました。これは、わが国の文化水準や民度が向上したことの表れで、素晴らしいことです。
ところが、これには不自由なことがあり、またいくつかの疑問もあります。
不自由の一つが「古典落語」です。私は古典落語の大ファンで、とくに「六代目・三遊亭円生」(1900~1979)の熱狂的な信奉者です。20枚近くのCDをもっています。しかし戦前や30年ほど前までの録音・録画には、差別用語が盛んに出てきます。当時は「差別用語」という概念もなかったのですから、落語家にとっては当然のことで、ユーモアの一種として彼等に何の落ち度もありません。ところが、今ではそのような「差別用語」がでてくる古典落語をテレビなどで放送することがほとんどなくなりました。私にとっては少し淋しいですね。
「障害者」という言葉が「差別用語」だと非難されるようになったのは、他の差別用語から遅れること約30年で数年前からのこと、「障がい者」と表現すべきだというものです。多分、障害者団体からの主張でしょう。私は、なぜ「障害者」が「差別用語」で、「障がい者」が差別用語でないのか不思議でした。案の定、「障がい者」という新しい用語の普及は中途半端で、新聞・雑誌などの最近の記事を読んでも、「障がい者」よりも従来通どおりの「障害者」が圧倒的に多いようです。ちなみに、わが国の法律で、心身が不自由な人の雇用を促進するため、企業に一定率の雇用を義務づける法律は「障害者雇用促進法」で、「障がい者雇用促進法」ではありません。国が「差別用語」を公的に使っているのでしょうか。(最近では、国の主要省庁が障害者の雇用数を誤魔化して大きな問題になっています)。
私が永く住んでいる横浜市には、観光地としても有名な「外人墓地」があります。総面積2万㎡の広大な墓地には、嘉永7(1859)年のペリー来航時に事故死した乗組員など、40か国4500人が眠っています。かつては「外人(がいじん)墓地」と呼んでいましたが、今は「外国人(がいこくじん)墓地」と呼ばれるようになり、現地の標識も「外国人墓地」と変更されています。これも「外人(がいじん)」が差別用語にあたるからだそうです。なぜ「外人」が差別用語で「外国人」が差別用語でないか、私は今も分かりません。そういえば、プロ野球やサッカーには多くの外国人選手がいますが、アナウンサーや解説者は多くの場合、「外国人選手」と呼んでいます。
「黒人」(または「二グロ」「ニガー」)は差別用語でしょうか、最近では「アフリカ系」と称することが多いのも、何だか不自然ですね。
一方、「バカ」「アホ」「キチガイ」「オカマ」などは一般的には「差別用語」とは言いませんね。

[4]「時計回り」と「反時計回り」
昨月号の「山手線は内回りvs外廻り? それとも「右回りvs左回り?」の続編です。
「右回り」を「時計回り」、「左回り」を「反時計回り」ともいいます。時計は屋外表示はデジタル表示が主流になりましたが、腕時計は今でもアナログ時計が圧倒的に多いですね。アナログ時計が何故「時計回り(右回り)」になったかというと、「日時計」がそうであったからだそうです。日時計は、固定した指針に太陽の光が当たってできる影の位置によって時刻を知るものですが、太陽は東から西に向かって移動するので、できる影は西側から東側に移動、つまり「右回り」の移動となります。それを思い浮かべれば「右回り」と「左回り」を間違えることはありません。
時計が右回りなので、世の中のほとんどが「右回り」かというと、そうでもありません。トランプ・ゲームは「反時計回り」(左回り)です。陸上のトラック競技(長距離走)も、スケートの長距離走も自転車競技もすべて「反時計回り(左回り)」です。
ところが、競馬場は「時計回り」と「反時計回り」の両方があるそうです(私は競馬についてはほとんど知識がない)。お馬さん(競走馬)には「右利き」と「左利き」がるとすれば、お馬さんにとって「今度の競馬場は左回りだから出場したくない!」という選択権はないのでしょうね。

《おまけ》 久しぶりに、失礼ながらあなたの日本語力を試すテスト(28)です。
問。次の2つ文章で、正しい使い方はどちらでしょうか。
①父は娘に対し、「腫(は)れ物に触(さわ)るような」言い方をしていた。
②父は娘に対し、「腫れ物に触らないような」言い方をしていた。

正解は①(触る)。腫れ物に触ると痛くて機嫌が悪くなるという意識が働くのか、近年「腫れ物に触らないように」という言い方が増えていますが、これでは「恐る恐る接する」ことになりません。言葉として整合性を欠いています。
                   平成30年9月11日  古賀幸治
 

日本語は天才である(8))

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年 8月10日(金)17時22分53秒
           「日 本 語 は 天 才 で あ る」 (8)

[1]「一・二・三・四シリーズ」(第1回) 「人一倍」
「彼は人一倍の努力家だね」「俺は今回の件では、人一倍頑張ったよ」などといいますね。この「人一倍」の「一倍」とは何倍のことでしょうか。
「一倍」は数字だと「×1」なので「人一倍頑張る」とは、「人並みに頑張る」ということですね。人よりも頑張るのなら、正しくは「人二倍」というべきではないでしょいうか。
一方、「日本国語大事典」によると、「一倍」は「二倍の古い言い方で、ある数量にそれと同じだけのものを加えること」とあります。江戸時代には、親が死んだときに返却する約束で借りる「一倍銀」(いちばいがね)というものがあったそうです。もちろん借りた額だけ返せばいいという慈善事業のようなものではなく、2倍にして返さなければならない相当な高利貸し事業でした。
無理に理屈をつければ、「倍」そのものに「二倍」の意味があるので、「一倍」は「倍」が一つで「2倍」なのだと説明できないでもありません。しかし、実際の日常語としてはそんな厳密なものではなかったでしょう。だから、やがてそれが転じて、「人一倍」のように正確な数量を表すのではなく、ほかと較べて程度が大きいという、「いっそう」「ずっと」の意味になったものと思われます。
したがって、「人一倍頑張る」は人の2倍も頑張る必要はなく、人よりもちょっと頑張れば、「1.1倍や1.2倍程度」でもいい、という意味ではないでしょうか。

[3]「よろしくお願いします」の不思議
(このテーマは数年前に一度とりあげましたが、先日ある友人から提起があり、新たな構想で再度とりあげます)。
私たち日本人は日常会話の中で、しばしば「よろしくお願いします」と言いますね。どういう場合にこの言葉を使うかを分析してみました。
(1)初対面の人と挨拶を交わすとき=私的・公的、親類、先輩・後輩などを問わず、初めて会う人に対して、「○と申します、どうぞよろしくお願いします」は常套句です。この場合の気持ちは「未熟者ですが、どうぞ末永いおつきあいをお願いします」という意味でしょう。
(2)ビジネスで取引先の担当者と初めて会うとき=「○社の△と申します。どうぞよろしくお願いします」と挨拶するのが常識です。この場合の「よろしくお願いします」は「お取引を始めるに当たって、お互いに譲り合うことは譲り合って、両社にとってビジネスがうまくいくよう頑張りましょう」という意味でしょうか。
(3)テレビのトークショーなどでコメンテーターが司会者から紹介されたとき=テレビのニュースやトークショーなどで、招かれた学者・評論家・専門家などのコメンテーターが、司会者の紹介に応じて「○です。どうぞよろしくお願いします」と言いますね。この場合の「よろしくお願いします」は不思議なことばですね。私が「忖度」するには、「番組のなかで、間違ったことや失言をするかも知れませんが、そのときは何とぞご容赦ください」と予防線を張っているようにも聞こえます。
(4)友人・知人と食事して別れる時=私たちが友人と飲食などをしたあと、別れ際に「奥さんによろしくお伝えください」などと言います。この言葉も実に意味不明ですね。帰宅して妻に「Aさんが君によろしくと言っていたよ」と言われても本人(妻)はどういう意味の言葉か理解不能でしょう。単に「Aさんはキミ(妻)のことは覚えているよ」という意味しかないようにも思えます。
《番外編》 プロ野球の試合終了後、勝利チームの殊勲選手がヒーロー・インタビューで「お立ち台」に立っていう常套句は「応援よろしくお願いします」ですね。「こいつ、他に言葉を知らないのか」と思ってしまいます。

このことについて、5月号で紹介した旧友Greg(アトランタ市在住・米国籍)に英語圏ではどのように表現するかを聞きました。以下は彼からの回答です。上記(1)(2)(3)(4)の順に…。
(1)It´s nice meet you.  It´s my pleasure to meet you.?
(2)My name is Robert Brown. Please call me Bob.
(3)Thank you for inviting me.  Im glad to be here.
(4)Please give my best regards to your wife.
《古賀記》 意味は日本語とほぼ同じですね。ただ、(2)は少し違いますし、日本人としては少し照れます、(3)は日本の場合は視聴者に対する挨拶のようであるの対し、英語圏では司会者に対する挨拶のように思えます。

[3]「18歳」と「81歳」
Tさん(福岡市)から、『「18歳」と「81歳」』という思わずニヤッとする投稿をいただきました。ほぼそのまま転載します。「1」と「8」をひっくり返しただけですが、明日の我が身を考えて…。
・恋に溺れるのが18歳、風呂で溺れるのが81歳
・道路で暴走するのが18歳、道路を逆走するのが81歳
・心がもろいのが18歳、骨がもろいのが81歳
・偏差値が気になるのが18歳、血圧・血糖値が気になるのが81歳
・まだ何も知らないのが18歳、もう何も覚えていないのが81歳
・東京オリンピックに出たいと思うのが18歳、東京オリンピックまで生きたいと思うのが81歳
・自分探しをするのが18歳、皆が自分を探しているのが81歳

[4]山手線は「外回りvs内回り」? 「右回りvs左回り」?
先日、テレビで「送電線の故障で、山手線の外回りが不通!」とのテロップが流れました(よくあること)。私は「エッ? 外回り」ってどちら方面に回る山手線のこと?」と一瞬考えました。
ご存じのように、「山手線」は東京の中心部を循環する、都民だけでなく私達も日常的に利用する最重要な交通手段です。私は数秒考えました。「わが国ではクルマは左側通行だから、外廻りとは右回りのことだろう」と思いつきました。つまり、東京→品川→渋谷→新宿→池袋→神田→東京と、右回りの電車のこと。左回りはその反対です。このケースでも、「内回り」といわれても、「左回り」と思いつくのに数秒の時間が必要です。
テレビなどの緊急報道は、簡単明瞭で一瞬に理解できる言葉が必要なはず。なぜ「右回り」といわず「外回り」というのか、私にはその理由が分かりません。
ご参考までに、「JR山手線」はかつて長い間「やまて線」と呼ばれていましたが、1972(昭和47)年から「やまのて線」と呼ぶようになりました。これは、東京の中心部の高台地区を昔から「やまのて」と呼ぶことから、これに合わせたものです。

                  平成30年8月11日  古賀幸治
 

日本語は天才である(7)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年 7月10日(火)16時07分52秒
           「日 本 語 は 天 才 で あ る」(7)

[1]「牛耳(ぎゅうじ)る」
「牛耳る」という言葉があります。広辞苑(第7版)によると、「首領となって、組織を意のままに操縦する」という意味です。例として「会社を牛耳る」を挙げています。国語辞典(三省堂)では、「思うままに支配すること」と解説しています。
一部の政治家の中には、議席さえ維持できれば信念や公約はたちどころに翻し、さっさと次のバスに乗り換えるという、常人には真似のできない独特の素質があるようです。海千山千の猛者がわんさといる中を巧みに泳ぎわたる能力がないと、あの世界では生きていけないに違いありません。権謀術数がうずまく政治の世界を、マスコミはしばしば戦国時代に例えますが、戦国時代の領主たちは、誠実で確固たる信念がありました。現代の一部の政治家などと一緒にされたら迷惑だと、彼らはあの世で憤慨していることでしょう。
国中が戦国状態にあった中国の春秋戦国時代では、覇者の地位を求めて攻防が繰り返されましたが、その動きの中で彼らは、しばしば近隣の諸国と同盟を結び結束を固めました。王たちが集まって同盟を締結することを「会盟」といいい、誓った内容を石や玉に書いたものを「盟書」といいました。
文献によると、同盟を結ぶ時にはまず盟書を読み上げて内容を確認し、次に神に捧げる牛の耳にナイフを入れて生き血を取り、それを全員が唇に塗って、盟主のもとに団結し、裏切らないことを誓い合ったそうです。ある団体や組織の中で主導権を握って行動することを「牛耳を執る」、またはそれを縮めて「牛耳る」というのは、この時の同盟の主催者が、生けにえとする牛の耳をつかんで会場に入り、みずから牛の耳に刃物をあてて生き血を取ったことに由来する表現です。
現代の政治家どもに教えてあげたい「金言」ですね。

[2]「河」と「川」
水の流れる道を「かわ」と言いますが、これを漢字で書くと「川」と「河」がありますね。「河川(かせん)」という言葉があるくらいですから。この「川」と「河」の違いを考えてみました。
広辞苑によると、「川」も「河」も、「地表の水が集まって流れる水路、河川」と素っ気ない解説です。つまり「川」と「河」を区別していないのです。手許の和英辞書で調べてみると、単に「a river」と書いてあり、英語でも「川」と「河」を区分していないことが分かります。
しかし常識的に考えると、日本語で「川」は比較的に小さい、または短い「かわ」で、「河」は大きな、または長い「かわ」を指すでしょう。その証拠に、NHKの1年間の長期ドラマは「大河ドラマ」といい、「大川ドラマ」とはいいません。人工的な大きな「運河」も「運川」ではありません。
ところが、世界地図帳で調べてみると、あの世界一長い「アマゾン」さえ「アマゾン川」で、「アマゾン河」ではありませんし、エジプトのど真ん中を流れる「ナイル」も「ナイル川」です。世界中の「かわ」で「河」を名乗っているのは、中国の「黄河」だけです。そうすると、日本語でなぜ「川」と「河」の2つの文字があるのか不思議ですね。
同じく自然現象を表すことば(二字熟語)に「森林」「湖沼」「道路」などがあります。広辞苑によると、「林」とは「「樹木の群がり生えたところ」とあり、一方の「森」とは「樹木が茂り立つところ」とあり、ほとんど同じ意味です。しかし常識的には「林」は樹木がせいぜい10本ほど小規模に生えているところ、一方の「森」はそれより大規模に樹木が群がり生い茂っているところの意味ですね。
「湖沼(こしょう)」も、「沼」は比較的小規模の水のたまり場で、一方の「湖」は「海」にも匹敵するほどの広い面積のものをいう言葉です。「ミシガン湖」「琵琶湖」などがそうです。
一方、「道路」の「路」は「路地」という言葉があるように車も通らない小幅で短い道のこと、一方「道」は一般的に長い「みち」を表します。
このように、同じことを意味する言葉が2つもあり、その区分がはっきりしないのも、日本語の特徴でしょうか。その他では「温暖」「寒冷」などもあります。
ところで、「海」と「湖」の違いをご存じでしょうか。私のシロート知識では、「海」は、太平洋、インド洋、大西洋、北極海、南極海をはじめとして世界中の海とつながり、すべて塩水です。それに対して「湖」はこれら海とのつながりがなく(川でつながっていることは多い)、単独で存在します。基本的には「淡水」ですが、塩水湖もあります。
一方、「湖」であるにも関わらず「海」と名乗っているものが私が調べた限りでは世界に2つあり、その代表が「カスピ海」。ロシア、アベルバイジャン、イランなどに囲まれた日本全体より広い大面積で、しかも塩水湖。なぜ「湖」なのに「海」でしょうか。その理由はもともと「海」だったものが、太古の昔、地殻変動で世界の海と隔離されて、「湖」となったからだそうです。

[3]「小」(こ)
「小春日和」(こはるびより)という言葉がありますね。これを「春の温かい日」と思っている人も多いと聞きますが、本当の意味は「10月(秋)ごろの温かい日」のことです。この場合の「小」とはどういう意味でしょうか。広辞苑によると、「小」とは「小さい」という意味のほか、「いうにいわれない、何となく、の意を表す」と解説してあります。つまり、季節は「春」ではないが、まるで「春のような陽気」のことです。
「小京都」(こきょうと)という言葉もあります(広辞苑には載っていない)が、これは「金沢市(石川県)」のことを指します。つまり、「まるで京都のような風情の街」という意味です。一方では「小江戸」(こえど)という言葉もあります。これも「まるで江戸のような風情の街」という意味で「川越市(埼玉県)」を指す言葉です。
最近の新聞で「小尾瀬」(こおぜ)という言葉を初めて目にしました。これは「玉原高原(たんばらこうげん)」(群馬県)を指すそうです。玉原高原には尾瀬と同じく水芭蕉が繁茂しており、「まるで尾瀬を思わせる光景」という意味でしょう。そうなると、「小○○」という言葉は今後、数多くでてくるかも知れませんね。「小橫浜」(こよこはま)など…。

《追記》 ここまで書いたところで、念のため広辞苑とインターネットで再確認してみました。「小京都」は「こきょうと」と読むとばかり思っていましたが、正解は「しょうきょうと」でした。しかも、「全国京都会議」というものがあり、全国で約40の市町が参加し、「小京都」を名乗っており、肝心の金沢市は脱退したそうです。一方、「小江戸(こちらは「こえど」と読む)サミット」もあり、川越市のほか栃木市、厚木市、彦根市など6市が参加し、共同活動をしています。
しかしいずれにせよ、本命は「小京都=金沢市」、「小江戸=川越市」でしょう。なぜ「小京都」は「しょう」で、「小江戸」は「こ」でしょうか。「きょうと」は「音読み」だから「しょう」、「えど」は「訓読み」だから「こ」? 私も頭が混乱してきました。
                      平成30年7月11日  古賀幸治
 

日本語は天才である(6)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年 6月10日(日)11時15分2秒
        「ハイネケン」(誤) → 「バドワイザー」(正)

4月21日に配信した「中欧4か国を往く」の中で、思わぬ落とし穴(ミス)がありましたので、このテーマについて再度とりあげます。

第1ステップ=本文の中で、ツアーガイドの説明を基にして、「チェコが現在のラガービール発祥の地であり、一人あたりのビール消費量は日本の3倍である。『ハイネケン』はもともとチェコの地ビールのブランドであったが、この会社で修行した人が『渡米』してビール会社を設立し、勝手に『ハイネケン』と名乗ったことから国際的な裁判になった」と書きました。

第2ステップ=これに対して、複数の読者から、『ハイネケン』はオランダの会社だから、『渡米して』ではなく『オランダに渡って』が正しいのではないかと指摘がありました。
私は翌月号で、「私も『ハイネケン』がオランダの会社であることは知っているが、ツアーガイドは『渡米して』とはっきり表現した。設立したビール会社が「アメリカ」か「オランダ」かは、(1)ツアーガイドの勘違い、(2)私(古賀)の聞き違い、(3)創業地はアメリカで、その後なんらかの理由で会社がアメリカからオランダに移転した、のいずれかではないか。その経緯を知っている人は是非情報をご一報ください」とお願いしました。

第3ステップ=早速、Iさん(西東京市)、Aさん(東京・世田谷区)、私の長女R子(長野市)から情報が寄せられました。3人からの情報は表現に多少の違いはありますが、内容はほとんど一致していました。それによると、『ハイネケン』は間違いで、『バドワイザー』のことではないか、というものでした。つまり、チェコの地ビールのブランドは『バドワイザー』で、ここで修業した人が『渡米』してアメリカで会社を設立し、『バドワイザー』を名乗ったことから国際的な裁判になった、というものでした。特に実際にチェコに行ったことがあるR子からの情報では、『バドワイザー』のチェコでの読みは『ヴァードヴァー』で、世界中でもっともおいしいビールの一つであるとのコメントもありました。
『バドワイザー』は今もアメリカを代表するビール会社ですから、すべての点で矛盾がありません。とんだことでお騒がせしました。お詫びして訂正します。
私の結論は、この件はツアーガイドの勘違いで、正解は『ハイネケン』ではなく『バドワイザー』でした。これにて一件落着。

          日 本 語 は 天 才 で あ る (6)

[1]財産のシンボルだった「貝」
この欄でお馴染みの日経新聞2月25日づけ「遊遊・漢字学」(筆者は漢字学者・阿辻哲次さん)を大幅に短縮・再構成して掲載します。
《惚れた女が望むなら、少々の無理をしてでも何とかかなえてやりたいと男なら思う。しかし、その要望が絶対に不可能なら、そんな要求などいっさい相手にしない方がよい。
まさか月世界から来た女とは夢にも思わないから、貴族たちが求婚したところ、かぐや姫は「黄金を茎とし、白玉を実としてたてる木」とか、「龍の首の五色に光る玉」とか、実に無茶苦茶な要求を出す。「竹取物語」のこの一節を読むたびに、私は男という生き物がどうしようもなく悲しく感じられる。
このかぐや姫が出す無理難題の一つに、「燕(つばくらめ)のもたる子安貝」というのがある。子安貝は熱帯から亜熱帯の海に生息するタカラガイのことで、姫はさらに、燕の巣の中にあるそれが欲しいという。そんな無茶をいう女とは、さっさと縁を切るのが正解だ。
平安時代の日本人は、「こやす貝」など恐らく見たこともなかっただろう。だが見たこともない貝の名前がなぜ物語の中に登場するのか。それは中国からの伝承であろう。
「貝塚」が示すように、貝は古代では重要な水産資源だったが、同時にまた「財産」の象徴でもあった。だからこそ「財」や「貴」「貧」「賤」「貯」など『貝』にによって意味を与えられる漢字には、金銭や地位・身分などに関係するものが多い。
しかし「貝」なら何でもよかったわけではない。近くの川や池、または浜辺でたやすく手に入る貝が財産の象徴になるのであれば、誰だって大金持ちになれる。しかし、古代中国で財産の象徴として使われた子安貝は、はるか数千キロ離れた東南沿海地方から黄河流域にまで運ばれた、貴重品中の貴重品だった。
江南省安陽市郊外から発見された殷時代の墓からは、七千枚近くの大量の子安貝が出土した。もしかぐや姫が殷時代の中国に降臨していたならば、地上人の妻となっていたかも知れない》

[2]「有田焼と伊万里焼」、「陶器と磁器」
私は九州・佐賀ののどかな農村で、10人兄弟の9番目の子として生まれ、18歳の高校卒業まで佐賀で育ちました。東京に出て卒業したW大学の創立者・大隈重信侯も佐賀出身で、卒業と同時に入社し定年まで在籍、その後も5年以上にわたってビジネス関係にあった大手事務機メーカーR社の創業者・市村清も佐賀出身です。親類のほとんどが今も佐賀を中心に九州に住んでおり、私も1年に1~2回は佐賀に帰省します。こう考えると、18歳以後の大半を東京と横浜で生活しているとはいえ、私は一生佐賀とは縁が切れない「さがんもん」です。そこで、今回は佐賀にまつわるお話をしましょう。

佐賀県は、福岡県と長崎県に囲まれた人口約90万人の小さな県ですが、吉野ヶ里遺跡、唐津(風光明媚で「くんち」と「唐津焼」が有名)、嬉野温泉、祐徳稲荷神社、名護屋城址(秀吉の朝鮮出兵の拠点)、世界バルーン大会、サガン鳥栖(サッカーJ1)、佐賀牛、むつごろう、などいくつかの有名な観光地や産物のなかで最も有名なものの一つが「有田焼」でしょう。
数年前に新聞か雑誌で「佐賀県には『有田焼』と『伊万里焼』がある」という記事を読んで驚いたことがあります。多くの人が誤解しているようですが、「有田焼」と「伊万里焼」は呼称が違うだけで、本当は同じものです。有田焼は、16世紀末、豊臣秀吉が朝鮮出兵のおり、朝鮮から連れてきた陶工・李 参平(日本名・金ケ江三平)が磁器に適した「石」を発見し、有田磁器が生まれました。李は有田焼の「陶祖」として陶山神社に祀ってあります。
このように有田はわが国の磁器の発祥の地です。やがて有田焼がその美しさからヨーロッパで絶大な人気を呼び、輸出が盛んになりました。有田は海に面していませんから、隣接する伊万里港から欧州に大量に輸出されるようになり、海外ではいつの間にか「伊万里焼」と呼ばれるようになったのです。
多くの場合、「陶磁器」とひとくくりに言いますが、「陶器」と「磁器」は材料がまったく違うことをご存じですか。まず「陶器」は「粘土」をこね、轆轤(ろくろ)を回して形を作り、炉で焼きます。一方の「磁器」は特殊な「石」を砕いてこねて形を作り、焼きます。原料は「粘土」と「石」と、まったく違うのです。一般的には、厚手のごわごわした感じの器は陶器、薄手で透明感のある器は磁器です。有田焼はほとんどが磁器です。なのに、毎年4月から5月にかけて開かれる全国的に有名な有田焼の大々的な展示・即売会をなぜ「有田『陶』器市」というのでしょうか。
私自身も以前から疑問に思っていましたので、先日よせばいいのに有田観光協会に電話で問い合わせしました。担当者の回答は次のようなことでした。「陶器市」と呼ぶ理由の一つは、多くの人は「陶器」と「磁器」を合わせて「陶器」と呼ぶことが多く、「瀬戸物」と呼ぶこともある。二つ目は、有田陶器市は有田焼以外の陶磁器も展示・即売する…とのことでした。何とも釈然としない回答でしたが、これ以上問い詰めるのも大人気(おとなげ)ないと思って、それ以上は追及しませんでした。
ちなみに、同じ佐賀県の有名な唐津焼は典型的な「陶器」です。
そういえば、「陶芸家」という言葉はありますが、「磁芸家」という言葉は聞きませんね。
ご参考までに、わが家の食器・花器はほとんど有田磁器(主として香蘭社)です。

[3]「~しなさい」
本欄の常連投稿者であるHさん(我孫子市)からの、思わず「なるほど!!」と思う投稿です。
《「~なさい」は、通常は「~すること」を指示(または命令)する場合に用いる言葉ですね。「勉強しなさい!」「我慢しなさい!」など。ところが、次の2語は、そうではない使われ方です。
(1)「お帰りなさい」…外出先から帰宅(または帰社)したとき、戻って来た人が「ただいま(戻りました)」と声をかけると、中にいる人が「お帰りなさい」といいますが、これなんか、「指示」ではなく、歓迎とねぎらいの意味合いですよね。
(2)「おやすみなさい」…今から自分が就寝しようとするときに「おやすみなさい」という言い方をしますが、これなんか、相手の人に対して「もう寝ろよ!」と指示命令しているのではなく、「私はもう寝ますね」のつもりで言っている表現ですね。ただし、「おやすみなさい」は文法形式でみると「指示命令形」にあたるので、目上の人に対してこの言葉を使うと気分を害する人もいるかも知れないので、「お先に休ませていただきます」と言った方が無難だと、どこかで読んだ記憶があります》。  《古賀記》 なるほど! 私も気がつかなかった不思議な「日本語」ですね。

                平成30年6月11日   古賀 幸治
 

日本語は天才である(5)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年 5月11日(金)16時16分4秒
          「日 本 語 は 天 才 で あ る」 (5)

[1]「膾炙」(かいしゃ)
世間に広く知れわたることを「人口に膾炙する」といいますが、その語源について、本欄でおなじみの日経新聞1月14日づけ「遊遊・漢字学」(筆者は漢字学者・阿辻哲次さん)から大幅に割愛して転載します。
《今のもっともポピュラーな肉料理がバーベキューやビフテキであるように、古代の肉食でも最初に行われたのは肉を直火(じかび)で焼いて食べる方法で、漢字ではこれを「炙」で表す。「炙」は《月》(ニクヅキ)と《火》からなり、まさに火の上に肉をかざした、そのものずばりの字形である。
この漢字を使った成語に「人口に膾炙する」がある。これは孟子の表現で、「膾」は動物の肉を生で食べる料理だから、「膾炙」とは要するに肉の刺身と焼き肉のことである。「膾」と「炙」はいつでも人々が賞味する美味な料理の代表だから、そこから、誰かの素晴らしい行動や優れた詩文などが多くの人に讃えられ、世間に広く知れ渡ることを「人口に膾炙する」というようになった。
この「膾」を使った成語でよく使われるものにもう一つ、「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」がある。「羹」は肉や野菜を煮込んだスープのことで、熱いスープをすすって口にやけどをした人が、それに懲りて、膾のように冷たい料理をわざわざ吹いて、冷ましてから食べようとする、つまり一度の失敗に懲りて、それ以降はばかばかしいまでの注意をすることをいう》

[2]「敬称」の不思議
昨年11月号でも取り上げたように、日本語は世界中の言語と比較して、よく言えばもっとも多様性・柔軟性に富んだ言語、悪く言えば「複雑怪奇」な言語でしょう。その一つに「敬称」(尊称)があります。「様」「さま」「さん」「殿」「氏」「先生」「君」「くん」「ちゃん」…上司や先輩に「君づけ」するなど使い方を間違うと、とんでもないことにもなりかねません。このうち、この数年の間に大きく変わったのが「氏」と「さん」です。かつて一昔前は女性に「氏」をつけることはありませんでした。ところが最近の新聞などでは女性を「○氏」と呼ぶことが多くなりました。主として政治家・経営者や学者などが対象です。「野田聖子氏(政治家)」「小渕優子氏(政治家)」「南部智子氏(DeNA社長)」「寺田千代乃氏」(アート引越センター社長)、「小保方晴子氏(科学者)」…。
一方で、スポーツ選手などには敬称をつけません。テレビで「次のバッターは○さんです」などあ
りませんし、日常会話で「氏」を使うことはありませんね。「○△『氏』が~と言った」などと言うことはありませんし、人を呼び止めるとき「○△『氏』!」ということもありません。
最近の新聞の死亡記事を丹念に調べてみました。日経新聞の死亡記事を私なりに分類すると、「一般ニュース」「死亡告知」「追想録」に分けることができます。「一般ニュース」とは、政治家・経営者・文学者・スポーツ選手などを問わず、有名人が亡くなったときにニュースとして大きく報道される記事、「死亡告知」とは社会面の最下欄に小さく「氏名・役職・告別式の日時場所」などを最小限に記載します。「追想録」とは職業などを問わず、死亡した「大物・有名人」の経歴や社会的貢献などを物語風に記事(毎週金曜日)にします。この場合に、「一般ニュース」と「追想録」では、同じ人物が「氏」と呼ばれたり、「さん」づけされたりします。例えば、「野中広務『氏』(もと官房長官)が死去」、「豊田達郎『氏』(もと豊田自動車社長が)死去」、一方では「早坂曉『さん』(「夢千代日記」などの作家)が死去」と報道されました。一般ニュースでは、政治家や経営者は『氏』ですが、文化人などは『さん』づけ。ところが「追想録」ではそれぞれ「野中広務『さん』」、「豊田達郎『さん』、「早坂曉『さん』」になります。
最近の大ニュースとしては「星野仙一『さん』が死去」と新聞報道。ところが後日の新聞報道では「星野仙一『氏』の背番号77が永久欠番に」とありました。
一方、社会面最下欄に小さく載る政治家や経営者の「死亡告知」では、同じ日本人・外国人でも男性は「氏」、女性は「さん」づけされることが多いのです。「真屋順子『さん』(「欽どこ」の母親役)が死去」、「フランス・ギャル『さん』(「夢見るシャンソン人形」で知られるフランス歌手)が死亡」。そう考えると、女性に対する敬称は、存命中は『氏』、死亡後は『さん』でしょうか。
一方で、皇族の皆さんには「さま」をつけますね、しかも漢字の「様」ではなく「ひらがな」で。「天皇さま」「美智子さま」、最近では「真子さま」。私たちが手紙を書くときは「様」と表記し、「さま」とは普通書きません。「さま」と「様」はどう違うのでしょうか。
英語圏での敬称について旧友のGreg(アトランタ在住・米国籍)に問い合わせました。彼からは丁寧な回答がありました。それによると…
(1)日本では男女共通の敬称として『氏』が使われているようだが、アメリカでは男女共通の敬称はない。未婚女性(Miss)と既婚女性(Mrs.)を合わせた「Ms.」はあるが、男性にはない。最近では性転換をした人が多くなったが、この人たちには転換後の性(男か女か)で呼んでいる。
(2)男女共通の職業は、人種差別や性差別に敏感なため、いろいろな呼び方がある。businessman→businessperson、fireman→firefighter、housewife→homemaker、anchorman→anchor、policeman→policeofficerなど。
《古賀の主張》 このようにわが国で敬称がこの数年で大きく変わったのは、文化庁の行政指導によるもではなく、恐らく新聞・テレビなどメディアが申し合わせたものでしょう。特に新聞紙上の『氏』と『さん』の使い分けは理解不能です。日本語の敬称はいよいよ複雑になり、外国人にとってはほとんど理解不能でしょう。私は、職業、男・女、生存中・死後を問わず『さん』づけが簡潔・明瞭で、しかも生前の社会的地位や身分による差別もなく、もっとも正しい敬語だと思います。

[3]「男」と「男性」
これは「敬称」とは直接関係ありませんが、新聞などメディアは「男(女)」と「男性(女性)」を使い分けますね。
《○日深夜○時ころ、○駅前の歩道で、○歳くらいの「男性」が、○歳くらいの「男」に刃物で刺され、○円入りの財布を奪われた。その際、「男性」は重傷を負い救急車で病院に搬送され、犯人と思われる「男」は駅の反対方向へ逃走し、警察が行方を追っている》
このように、被害者(と思われる)人は「男性(女性)」で、犯人(と思われる)人は「男(女)」と表現されます。「男性」と「男」は日本語としてどう違うのでしょうか。広辞苑によると、「男性」も「男」も「一方の性である男子」とあり、同じ意味であることが分かります。
このことについても、前記のGregに問い合わせました。彼からの回答は『日本では犯人(容疑者)」を「男」、被害者を「男性」と器用に区分しているようですが、何となく言葉の遊びのようですね。米国の新聞などでは、犯人(容疑者)・被害者とも男性は「Man」、女性は「Woman」と書いています』。
                 平成30年5月11日  古賀 幸治
 

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