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「日本語が面白い」(12)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2017年 4月10日(月)17時31分44秒
          「日 本 語 が 面 白 い」(12)

[1]「九分九厘」&「五分五分」の不思議
私たちは、物事や願望がほぼ間違いなく成就することを「九分九厘,(くぶくりん)間違いない」などといいますね。なぜ「九割九分」ではないのでしょうか。
何でも気になると夜も眠れない私は「広辞苑」で詳しく調べてみました。広辞苑によると、「割」とは「10分の1」の率と書いてあり、「分」とは「1割の10分の1」、「厘」とは「1割の100分の1」と解説してあります。つまり、「割」は10%、「分」は1%、「厘」は0.1%を意味しています。それは野球の場合、打率が例えば「.321」と書けば「3割2分1厘」のことで、打数1000に対して321本の率で安打を放つことですね。この理屈によると「九分九厘」は9.9%、つまり10%(10分の1)にも満たない低い確率のことで、おかしな言葉ですね。確率がほぼ100%に近いのでれば、「九割九分(くわりくぶ)」が正しいのではないでしょうか。

別の言葉を取り上げてみると、例えば実力や成功率が拮抗している場合に「五分五分(ごぶごぶ)」という表現をしますね。「A君とB君の実力の差は五分五分だね」などです。上記の理論でいうと、「五分五分」とは「5%対5%」ということですから、これも意味が通じません。
なぜ「九割九分」や「五割五割」ではなく「九分九厘」や「五分五分」というのか、その由来を知っている人は是非メールで私に教えてください。この欄でも紹介します。

[2]「暮れなずむ」
「♪暮れなずむ町の 光と影の中♪」…海援隊のヒット曲の有名な一節ですが、これはどんな光景を表しているのでしょうか。これを「日が暮れた」ことと勘違いして、「すっかり暮れなずんでしまった」とか、「日がくれなずむまで待った」などという人がいますが、これは誤った表現です。
「暮れなずむ」とは、実は「日が暮れそうでなかなか暮れないでいる状態」のことを言います。つまり、「あくまでも、まだ暮れていない」のです。聞き慣れない「なずむ」という言葉が意味を分かりにくくしているのかも知れませんね。
「なずむ」は古事記や万葉集にもでてくる古語で、「はかばかしく進まないこと」を表します。漢字では「泥む」と書き、泥がぬかるんで前進できない状態から、「物事が滞る」という意味になりました。この「暮れなずむ」には、夕焼けなど秋のイメージがあるのかも知れませんが、「秋の日はつるべ落とし」ともいいますから、むしろ日足の長い春にぴったりの言葉です。

もうひとつ、「♪暮れそうで暮れないたそがれどきは♪」という歌もあります。「たそがれ」も夕暮れのことですが、古くは「誰彼」と書き、「誰(たれ)ぞ?彼は」と、夕暮れになって人の見分けがつきにくい時間帯を指した言葉です。これもイメージの豊かな言葉ですね。

[3]「昭恵氏」
安倍晋三夫妻が、森友学園との癒着(離反?)問題で大揺れしており、最悪の場合は安倍さんは退陣に追い込まれかねません。連日のように新聞などで報道されていますが、その陰の主役は安倍晋三首相夫人の「昭恵」さんです。昭恵さんは「飲み屋」を開業するなど日頃の奔放な言動が話題になっていますが、今回の森友学園をめぐるトラブルは彼女の「奔放な性格」を遙かに飛び越えて、日本中を騒動に巻き込んでいます。

いや、今日の話題はそのような政治のことではありません。新聞やテレビでは、彼女のことを「安倍首相夫人昭恵さん」や「安倍昭恵氏」と書いたり呼んだりしていますが、「昭恵氏」と書いた新聞やテレビの字幕を読んだとき、私は「えっ!」と驚いてしまいました。最近では女性に対しても「氏」の尊称を使うことに私は以前から大きな違和感をもっていましたが、まさか「姓」にではなく「名前」にまで「氏」を使うことなど考えもしなかったからです。
「氏」は「うじ」とも読むように「姓」に対する尊称のはず。「名前」につける尊称ではないのです。広辞苑で調べていても、「血族の系統を表示するためにとなえる名。嫁した女の実家の姓氏に添えて敬意を表す語」と解説してあり、決して名前につける尊称ではありません。私がそのことで考え込んでいたとき、私以上に日本語にうるさいHさん(我孫子市)からメールが入りました。
《最近の報道で気がかりな表現があります。それは、例の森友学園問題のニュースで気づいたことです。安倍昭恵夫人のことを、NHKまでがしばしば「昭恵氏」と表現しているのです。ファースト・ネーム(名前)に「氏」を使うのは、ハッキリ言って間違いだと思います。「氏」はファミリー・ネーム(姓)につける敬称だと思うのですが…》
そして更に《私も、よせばいいのに、「昭恵氏」表現に対する疑問をNHKの相談窓口に照会しました。それに対する回答返信メールが届きましたので、転送します》
以下はNHKからの回答。《安倍昭恵氏の表現についてお問い合わせいただきました。ニュースで安倍昭恵氏を取り上げる場合、夫である安倍総理大臣にも触れることが多く、苗字(みょうじ)を何度も読み上げると、却って伝わりづらくなるのではないかといったことも考え、苗字をつけずにお伝えすることが多くなっています。字幕などでは「安倍昭恵氏」と標記することもあります。ニュースの表現については、ご指摘の趣旨も踏まえ、よりふさわしく、かつ伝わりやすい表現を模索してまいりますので、今後もNHKの報道に対するご理解とご支援をお願いいたします》
(古賀評)何とも歯切れが悪く、回答にもなっていないような気がしますがね。

《おまけ》 恐れながらあなたの日本語力を試すテスト(19)です。
問題1。「酒池肉林」の意味はどれが正しい?
①多くの酒と料理、②多くの酒と女

正解は①(酒と料理) 「肉林」を女性の体だと誤解している人が多いようです。女性の体が林のように居並ぶさまは壮観でしょうが、「肉林」にはそのような意味はありません。ここでいう「肉」とはご馳走としての肉のことです。

問題2。「どろじあい」を漢字でかくと、どちらが正しい?
①泥試合、②泥仕合

正解は②(仕合) 泥にまみれて争うこと。転じて互いの失敗や欠点を暴露し合う醜い争い。

                 平成29年4月11日  古賀幸治
 
 

「ほの字会」懇親会

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2017年 3月29日(水)14時28分19秒
           「ほの字会」懇親会のご案内

Spring has come !
ようやく春の訪れです。私たち老体にとっては厳しく寒い冬でしたが、間もなく本格的な春の到来です。桜も、もうすぐ満開です。
「ほの字会」の皆さん、寒かった冬をものともせず、無事に生き延びていますか。

さて、わが「ほの字会」の定例懇親会を次のように開催します。
今年度中に全員が80歳の大台を超えるのを機会に、今回をもって「最終回」とします。最終回ということは、仲間とはもう会えないことになるかも知れません。
是非、全員の皆さんのご参加を期待しております。

(1)日 時
    5月25日(木) 12:00(正午)~約2時間半

(2)場 所
    高田牧舎(個室) 「ほの字会」で予約ずみ
    03-3202-2376

(3)会 費
  5000円(参加者数により多少の変化があるが、5000円以内に収まる見込み)

(4)出欠のご連絡
  4月25日ごろまでに、次のいずれかの方法でご連絡ください。
  あとで変更(参加→欠席、欠席→参加)でも構いませんから、できるだけ早く

  電話&ファックス 045-481-2988
  ケータイ     090-6516-5028
    メール          yykoga333@nifty.com

            平成29年3月29日  今回世話役  古賀幸治
 

日本語が面白い(11)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2017年 3月10日(金)16時14分17秒
           「日 本 語 が 面 白 い」(11)

[1]ロシアの略称「露」、昔は「魯」だった
国の名前を表現するとき、たとえばアメリカ合衆国を「米国」、イギリスを「英国」、フランスを「仏国」などと漢字表示しますね。発音はともかくとして、新聞などでは多くこの表示をします。スペースの節約という意味もあるのでしょうか。
ロシアの漢字略称でよく目にするのは「露」ですが、かつて「魯」と表記していた時代がありました。1855年に日本とロシアの間で結ばれたのは「日魯通好条約」ですが、現在の歴史教科書では「日露和親条約」(日露通好条約)となっています。なぜ「魯」が「露」に取って代わったのでしょうか。その背景にはロシア側からの強い抗議があったそうです。1935年の古い文献では、「『魯』の字は『おろかもの』の意味があるといふので、ロシア政府からわが国に抗議して来た。その後は『魯』のかはりに『露』の字をあてるやうになった」とあります。また別の文献では、1872(明治4)年ごろロシアから「魯というのは魯鈍の魯であって、字が悪いから「露」の字に変えろ」という依頼があったと述べています。ちなみに東京外国語学校(現在の「東京外語大」の前身)の「魯学科」が「露学科」に名称を変えたのは条約の後の1877(明治10)年です。

漢和辞典で「魯」を調べると、確かに「おろか、にぶい」という意味が書かれていますが、日本ではロシア側が気にするほど「魯」に悪いイメージはなかったようです。水産最大手「マルハニチロホールディング」の前身である「ニチロ」の旧社名は最近の1989(平成1)年まで「日魯漁業」でした。旧日魯漁業が設立された1914(大正3)年はすでに「露」が使われていたころでしたが、「露」では「はかないツユ」に通じて縁起が悪いとする一方、「日魯」を縦に並べれば2つの「日」が「魚」を挟み、「毎日毎日魚が獲れる」という意味になって縁起がいい、という発想で社名には「露」ではなく「魯」が採用されたそうです。面白いですね。
なお、日経新聞では1991年12月の「ソ連」の崩壊後、ロシアの略称を漢字の「露」ではなく、カタカナの「ロ」で統一しています。各新聞における現在の略称表記は「露」=毎日・読売・産経、「ロ」=朝日・日経に分かれています。

[2]「19年ぶりに日本人横綱誕生」は誤報?
今年の初場所で稀勢の里が見事に優勝を果たし、念願の横綱昇進を果たしました。私はかつて大関・魁皇(私と同じ九州出身で、本名は「古賀」)の熱狂的なファンでしたが、彼は3回も優勝しながら、とうとう横綱にはなりませんでした。その引退後は私は稀勢の里の大ファンに変身しましたので、「初優勝+横綱昇進」には興奮しました。私が稀勢の里のファンになった理由は3つあります。まず愚直なまでの「正攻法」、次はいかにもお相撲さんらしく勝っても負けても表情に出さない重厚な人柄、もう一つは中学卒業と同時に入門した生粋のお相撲さん(大学卒のお相撲さんをみると、「あいつ大学で何を学んだだろう」と思ってしまう)。
新聞・テレビでも連日大々的に報道し、まさに「稀勢の里フィーバー」でした。このことについて、Hさん(我孫子市)から、「エッ!」と思う情報が寄せられましたのでご紹介します。
《「日本出身の横綱」の件、調べたところ次のようなことが分かりました。稀勢の里は若乃花以来19年ぶりの『日本出身の横綱』ですが、若乃花(66代)の次に横綱になった『日本人横綱』がいます。それは武蔵丸(67代)です。彼はハワイ出身ですが、大関時代に日本国籍を取得しており、横綱昇進時には既に『日本人』でした。武蔵丸以降の68代・朝青龍、69代・白鵬、70代・日馬富士、71代・鶴竜はともにモンゴル出身で、いずれも日本国籍を取得していません(つまり外国人です)。従って、稀勢の里は『若乃花以来19年ぶりの日本出身の横綱』であるとともに、『武蔵丸以来17年ぶりの日本人横綱』が正解です。稀勢の里の横綱が決まったときすべてのメディアが『若乃花以来19年ぶりに日本人横綱誕生』と報じましたが、『武蔵丸以来17年ぶりに日本人横綱誕生』という報道はありませんでした。当の武蔵丸(現在は武蔵川親方)に「そのことにどんな感想を抱いたか?」と質問した記者がいたそうです。親方いわく「俺は気にしないよ。そんなこと小さい、小さい」と実に度量の大きい感想だったとのことです》

[3]「回文」(その3) 「優秀作品」賞
①「世の中ね、顔かお金かなのよ」…「よのなかねかお『か』おかねかなのよ」
②「来てもよい頃だろ、来いよモテ期」…「きてもよいころ『だ』ろこいよもてき」
③「ダメ男子、モテ期が来ても死んだ目だ」…「だめだんしもてき『が』きてもしんだめだ」
④「仇、二度江戸に来たか」…「かたきにど『え』どにきたか」
⑤「ん、どうしよう…よし!うどん」…「んどうしよ『う』よしうどん」
⑥「イタリアではトマト派でありたい」…「いたりあではと『ま』とはでありたい」
⑦「夜、板橋に柴田いるよ」…「よるいたばし『に』しばたいるよ」
⑧「野茂のものは野茂のもの」…「のものもの『は』のものもの」
⑨「松茸摘みに来て奇跡的に見つけた妻」…「まつたけつみにきてき『せ』きてきにみつけたつま」
⑩「夜鳴くなよ、柴犬。居場所なくなるよ」…「よるなくなよしばい『ぬ』いばしよなくなるよ」

《おまけ》 恐れながらあなたの日本語力を試すテスト(19)です。
問題1。冬は「ひえしょう」の人にとって辛い季節ですが、これを漢字で書くとどちらが正しい?
①「冷え性」、②「冷え症」

正解は①(性) 手足が冷えやすい体質のこと。病気の一種として「冷え症」としがちですが、「冷え性」が正しい。
(追記)「広辞苑」(岩波書店)と「国語辞典」(三省堂)ではともに「冷え性」となっていますが、2月8日放送のNHK長寿番組「ガッテン!」では「冷え症」とあり、新聞の番組紹介でも「冷え症」と書いてありました。ここでは、どちらも正しいとしましょう。

問題2。「国やぶれて山河あり」という句がありますが、これを漢字で書くと?
①国敗れて山河あり、②国破れて山河あり

正解は②(破れて) 杜甫の有名な詩「春望」の冒頭の句。「破れて」は「滅びて」の意味で、一過性の「敗れる」よりも破滅的な状態を表します。

   平成29年3月11日(今日は東日本大震災からちょうど6年。犠牲者に合掌)
 

「日本語が面白い」(10)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2017年 2月11日(土)09時08分35秒
         「日 本 語 が 面 白 い」(10)

[1]「生前退位」
天皇陛下の「生前退位」が、連日のように新聞、テレビで採り上げられています。ご高齢に加え数回の大手術で体力が衰え、これ以上の激務に耐えられないので、存命中に譲位したいと自ら申し出られ、国民の間で大きな関心を呼んでいます。大多数の国民は陛下のお考えに肯定的で、その理由は、民間人には定年があり、一定の年齢になれば引退して平穏な生活が送れるのに対し、陛下には定年がなく、一生激務に耐えなければならないのは問題が大きすぎるということのようです。先日ご逝去された三笠宮さま(今上天皇の叔父)は、現在の皇室典範が天皇の退位を認めていないことについて、「『死』以外に譲位の道を開かないことは憲法18条の『何人も、いかなる奴隷的拘束を受けない』という精神に反しないか」と疑問を示されたうえ、「退位の自由を認めないならば天皇はまったく鉄鎖に繋がれた内閣の奴隷」とさえ言っておられます。

いや、今回採り上げたのはそのことではありません。私は「生前退位」という言葉に違和感があるのです。まず「生前」。これは昨年6月号でも一度採り上げましたが、状況を時間の経過で表すとき、「入学前と入学後」「結婚前と結婚後」などは意味がはっきりしています。ところが、「生後」が「生後3か月」など生まれたあとのことを意味するのに対し、「生前」は「生まれる前」ではなく、「まだ生きている間」のことを表す不可解な日本語です。正しくは「生中」または「存命中」ではないでしょうか。
次に「退位」。これにも違和感があります。「退位」は単に「天皇の位を退く」という意味で、「その後のことは知らない」という投げやりの感じがします。正しくは、皇太子に「譲位」ではないでしょうか。つまり「生中譲位」(または「存命譲位」)が正しい日本語だと私は思います。天皇も意思表示の際、「退位」ではなく「譲位」という言葉を使われたそうです。天皇陛下が譲位されたのち「上皇」という呼称になるようですが、何だか1300年前の平安時代にタイムスリップしたようですね。

近年中に譲位が実現すると、いろいろな点で状況が変化します。まず、「年号」が変わります。世の中(官庁・民間とも)には数え切れないほどの書式(申請書・許可書など)があり、そのすべてには年号(今では「平成」)が印刷されており、印刷替えが必要です。書式によっては出生年などに「明治=M、大正=T、昭和=S、平成=H」と表現して、該当するものに○をつけることが多いので、新しい年号は、頭文字のアルファベットがM・T・S・H以外になるはずです。何という年号になるか、予測はまったく不可能です。まさか、国民の投票で決めるわけにもいかないし…。

今年1月15日づけ日本経済新聞「現代ことば考」(筆者は言語学者・井上史雄さん)に「年号」に関する興味ある記事がありましたので、大幅に省略して再掲します。
《平成の次の年号はどう決まるのだろう。明治=M、大正=T、昭和=S、平成=Hと略称する習慣があるから、次はこれ以外になるはず。将来を考えると江戸時代末期の文久=B、元治=G、慶應=Kも避ける方がいい。IとOは数字の1と0に紛れてしまう。以上でアルファベット26文字のうち9個が失格。アルファベットの中には日本語で使わない文字がある。LQVXの4個、パ行Pの年号も考えにくいから問題外。合計14文字使えないから、使えるアルファベットは12個に減る。西暦とは別の数え方をする国はアジアに多く、宗教と連動する。仏教暦、ペルシャ暦、イスラム暦、ユダヤ暦がある。そもそも年号は中国の皇帝が始めたが、中国・ベトナム・朝鮮半島では既にやめた。今の年号がいつかは終わり、1年の途中で変わるのは日本だけ。
西暦表示と年号表示。正月に大きな本屋で見たら手帳の表紙は西暦だけだった。カレンダーも西暦優勢。手許の年賀状を見ると、平成と西暦が勢力争いをしている。インターネットで検索してみると、「平成~年」より「20~年」が多い。かなり以前に追い越されていて、最近では西暦表示が圧倒的だ》
☆わが家(古賀)には合計5個のカレンダーがあり、いずれも「2017年」と表示され、「平成29年」の表示はゼロでした。カレンダー界からはすでに「年号」はほぼ駆逐されています。

[2]「太平洋」と「大西洋」
皆さんは今まで気づいていましたか。「太平洋」は「太」、一方の「大西洋」は「大」であることを…。同じ大海で、読みも同じ「たい」なのに、なぜ「太」と「大」と違うのでしょうか。
まず「太平洋」。太平洋は英語で「Pacific Ocean」ですね。単なる名称だと思いがちですが、よくよく「Pacific」のつづりを見ると、これは「Pace」(パーチェ)というラテン語で、「Peace」(平和)の語源です。つまり「パシフィック・オーシャン」は「太平(泰平)の洋(海)」を意味します。ラテン語が公用語であったヨーロッパ中世、マゼランの一行は、1522年に史上初の世界一周に成功しました。この時、彼は今の太平洋を「Mare Pacificum」と呼びました。ラテン語で「Mare」は「海」、「Pacificum」は「太平・泰平」ですから、文字通り「太平洋」ですね。
わが国では幕末期、「パシフィック・オーシャン」を訳して「太平洋」または「泰平洋」「太平海」などと書いていましたが、1873(明治6)年、文部省編「地理初歩」に「地球上には五個所の大洋あり、これを太平洋、大西洋、印度洋、南大洋、北大洋という」と書かれるに至って「太平洋」という書き方が定着しました。

対して「大西洋」。これは古代ローマで、大西洋を「Oceanus Occidentalis(西の大洋)」と読んだのが語源で、こちらも同じく文部省「地理初歩」によって「大西洋」という名称が定着しました。別の見方をすると、「太平洋」は「太平+洋」、「大西洋」は「大+西洋」ですかね。

[3]続・エスカレーター「左立ち・右歩き」vs「右立ち・左歩き」
昨月号で「エスカレーター、左立ち・右歩き vs 右立ち・左歩き」を取り上げたところ、予想以上に多くの皆さんから意見や情報をいただきました。大きく分けると、「否定派」と「賛成派」です。それぞれの代表的な意見・情報を取り上げます。
まず「否定派」。Nさん(技術者・横浜市)は「もともとエスカレーターは歩いて上るように設計されたものではない。広幅(2列)になっているのは多くの客がゆったり上がるためであって、歩くのは危険だから禁止すべき」という強硬派です。一方、Hさん(香港在住)からは意外な情報が寄せられました。「先日アメリカに行ったとき感心したのは、エスカレーターの真ん中にペンキでラインが入っていて、右側に「Stand」、左側に「Walk」とペンキではっきり書いてあり、初めて来た人でも一目で分かります」。これは明らかに一方を歩いて上ることを勧めていますね。

(今回は紙面の関係で「回文」と「日本語力テスト」はお休みです)

                                平成29年2月11日 古賀幸治
 

日本語が面白い(9)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2017年 1月11日(水)08時43分22秒
           「日 本 語 が 面 白 い」(9)

皆さま、明けましておめでとうございます。健康で幸せな年でありますように。

[1]エスカレーター 「左立ち・右歩き」vs「右立ち・左歩き」
皆さんもすでにご存じのように、エスカレーターの利用方法として「左立ち・右歩き」と「右立ち・左歩き」の2つがあり、関東地区では「左立ち」が、大阪では「右立ち」が定番です。急がない人が片方に立ち止まり、急ぐ人のために片方を空けるという考え方です。
わが国で初めてエスカレーターが登場したのは、1914(大正3)年、東京の三越呉服店(現在の日本橋三越)と、上野で開いた東京大正博覧会の会場でした。当時の写真には着物姿で1人づつ1列に並んで手すりにつかまっている姿が映っています。エスカレーターは1列だったのです。
それでは、エスカレーターが2列になり、片方に急がない人が立ち、反対側を急ぐ人が歩くようになったのはいつからでしょうか。
それは1967(昭和42)年、阪急梅田駅(大阪)で阪急電鉄が「左側をお空けください」と放送したのが始まりで、1970(昭和45)年の大阪万博にも引き継がれました。阪急の放送は1998(平成10)年に打ち切られましたが、市民の習慣は変わらないもので、今でも大阪だけでなく通勤圏の奈良、和歌山、兵庫県でも「右立ち・左歩き」です。一方、近接する京都はなぜか左立ちと右立ちが併存し、右に立ったり左に立ったり、場合によっては並んで立ちます。
東京など首都圏では、JR東京駅・新橋駅などで、自然発生的に「左立ち・右歩き」が一般的になり、やがて新幹線が全国的に網羅されるにしたがって、関西地区を除き、各地も首都圏と同じ「左立ち・右歩き」が広がりました。
それでは、世界各国ではどのようになっているのでしょうか。正確な統計はありませんが、「右立ち・左歩き」が圧倒的に多いそうです。主な国では次のようになっています。
「右立ち・左空け」…アメリカ・イギリス・フランス・中国 (+大阪)
「左立ち・右空け」…オーストリア・ニュージーランド・シンガポール (+東京)

私が最近体験したことを報告します。ある日、私は横浜駅周辺の長いエスカレーターに乗りました。朝の通勤時間帯ですから、エスカレーターはとても混んでいました。足に自信のある私はいつも通り右側を歩いて上り始めました。ところが途中に、70歳代とおぼしきジーサン(スーツ+ネクタイ)が1人だけ右側を占領し、歩く人をふさいでいました。私を先頭に10人以上の人たちが行き先をふさがれ前へ進めません。私は、彼の背中を軽くノックして左側に寄ることを求めました。ところが彼は体を振って拒否しました。私はもう一度同じことを繰り返しましたが、再び激しく拒否しました。当人の左側は完全に空いていますから、「嫌がらせ」であることは明白です。私の後ろを歩いて続く人たちも立ち止まるしかありません。私はよほど「アンタのような空気の読めない(KY)ジーサンがいるから、世の中の多くのお年寄りが嫌われるんだよ!」と言ってやろうと思いましたが、人格者(自称)の私は思いとどまりました。
確かに、交通機関によっては「右歩き」の自粛を呼びかけていることもありますが、ここ関東地区では、圧倒的多数の人が「左立ち・右歩き」を実践しています。この方法が、転倒などの多少の危険はあっても「合理的」と認めているからでしょう。このKYジーサンは「正義」を代弁しているつもりでしょうが、昨日も今日も明日もまた右側を独占し、多くの人に迷惑をかけていることでしょう。

[2]「株式会社」の読み
あなたは「株式会社」をどう読んでいますか。「かぶしき『か』いしゃ」?それとも「かぶしき『が』いしゃ」? 私は入社時代から「かぶしきかいしゃ」と読み、何の疑問ももっていませんでした。「かぶしき『が』いしゃ」と読む人がいると、なぜあの人は「か」が濁るかと不思議に思っていました。
ところが、ある時、必要があって広辞苑で調べてみると、何と!「かぶしき『が』いしゃ」とカナが振ってあって、私の常識が覆り、愕然としました。確かに、日本語では「ん」の次に「は」行が来る場合、「ば」と濁ることが多いですね。「日本橋=にほんばし」「新橋=しんばし」などがそうです。私は「は」行のことだけかと思っていましたが、他にも多くあるのですね。例えば相撲界。「大相撲=おおずもう」「横綱=よこづな」「大関=おおぜき」「前頭=まえがしら」、みんな濁っています。「か」「さ」「た」行にも濁ることが多いことを知りました。例えば「駄菓子=だがし」「青空=あおぞら」「友達=ともだち」などです。でも、「株式会社=かぶしき『が』いしゃ」は意外でした。
しかし一方では、「株式会社」を略して「KK」と表示することがありますね。例えば「株式会社リコー」は「KKリコー」とも言いますが、これは明らかに「『か』ぶしき『か』いしゃ」の略です。
[3]回文(その2)
今月から数回に分けて、秀逸な回文を紹介します。回文をいくつかのパターンに分けて、私が厳選して「賞」を授与します。もちろん賞状や賞金はありません。
(1)短文賞
①「新幹線沿線監視」…「しんかんせん『え』んせんかんし」  (注)『』は中心点
②「私、負けましたわ」…「わたしま『け』ましたわ」
③「食い逃げに行く」…「くいに『げ』にいく」
④「任天堂がうどん店に」…「にんてんどう『が』うどんてんに」
⑤「世の中バカなのよ」…「よのなか『ば』かなのよ」

(2)下ネタ賞 (下ネタの内、比較的「ジョウヒン」なものを集めました。「ゲヒン」なものもたくさんありますが、私の品性が疑われるので)
⑥「旦那もホモなんだ」…「だんなも『ほ』もなんだ」
⑦「イタリアでもホモでありたい」…「いたりあでも『ほ』もでありたい」
⑧「旦那といそいそ営なんだ」…「だんなといそ『い』そいとなんだ」
⑨「私とコナン、変なことしたわ」…「わたしとこなん『へ』んなことしたわ」
⑩「イブ、家でAV」…「いぶいえ『で』えいぶい」

《おまけ》 恐れながらあなたの日本語力を試すテスト(18)です。
問。年賀状などには、よく「頌春」と書きますが、正しい「読み」はどちらでしょうか。
①「こうしゅん」、②「しょうしゅん」
正解は②(しょう) 年賀状などの挨拶の言葉。「こうしゅん」は誤りで、「しょうしゅん」が正しい。

                    平成29年1月11日  古賀幸治
 

「モロッコ紀行」(後編)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2016年12月18日(日)08時49分25秒
           「モ ロ ッ コ 紀 行」(後編)

                     平成28年12月  古賀 幸治

[8]「カスバ」
北アフリカではよく「カスバ」という言葉を耳にします。昔わが国に「カスバの女」という歌謡曲がありましたね、だから私は「カスバ」とは、女がたむろする歓楽街のことかと思っていました。ところが、「カスバ」とはもともと外敵の侵入を防ぐための「城塞」のことだったのです。それがやがて隊商(キャラバン)のたまり場になり、さらには「夜の女」がたむろする歓楽街になったのでしょうか。「カスバ街道」などもあり、解説書には「日干し煉瓦造りのカスバを眺めながら、街道沿いの小さな村を尋ねるとまた違った表情が…。バラの谷などオアシスの大自然も魅力」などと書いてあり、私はモロッコを離れるまで、とうとう「カスバとは何か」が分からないままでした。ところで、「カスバの女」の歌詞には「♪ここは地の果てアルジェリア♪」とありますから、この歌謡曲の舞台はモロッコではなく、隣国アルジェリアなのですね。

 (ここからは、訪問先順に書きとどめます。雰囲気を伝えるのはとても難しい)
[9]カサブランカ(CASABLANCA)
私たちが空から入国したのは「カサブランカ」でした。カサブランカはアフリカ大陸で第3位の大都市で、大西洋に面した最大の貿易港でもあります。モロッコの首都はカサブランカと思っている人も多いようですが、それは誤解で、首都は後述するように、カサブランカの東の「ラバト」です。
皆さんもすでにご存じのように「カサブランカ」の「カサ」は「Casa=家」、「ブランカ」は「Blanca=白い」、つまり「白い家」を意味するスペイン語(フランス語の親戚筋)です。
このようにカサブランカはモロッコの首都でもないのに、なぜ超有名でしょうか。それは、映画「カサブランカ」によるでしょう。ハンフリーボガードとイングリッドバーグマン共演のこの映画によって世界的に有名な都市になりました。ところが意外や意外、この映画はカサブランカの現地では撮影されず、すべてハリウッドのスタジオで制作されたのです。信じられないような話です。
カサブランカは、市内の家が白色で覆いつくされているわけでもなく、旧式ビルとフランス時代の近代ビルが混在するだけの、ごく普通の特色のない都市でした。カサブランカに対する私のロマンティックなイメージは消えました。モロッコ随一と思われる広大な敷地にそびえ立つハッサン二世モスク以外は、特別な歴史遺産もわずかしかなく、私たちは観光らしい観光もせず、そのままスルーして、次の宿泊地ラバトに向かいました。

[10]ラバト(RABAT) 《世界遺産》
モロッコの現在の首都は、カサブランカの東方100Kmにある「ラバト」です。首都ですから、王宮があり国王も住んでいます。フランスの植民地支配から独立を勝ち取ったモハメッド5世(現王の父)が眠る廟が市の中心弛にあり、参拝者が絶えません。入口と出口には、着飾った衛兵が身動きも瞬(まばた)きもせず直立不動で常駐しています(ロンドンのバッキンガム宮殿の衛兵と同じ)。もちろん、中央政治組織もここに集中しています。
モハメッド5世がフランスから独立をかちとった1956にモロッコの首都になりました。現在のラバトは観光地としても名高く、首都に相応しい洗練された建造物と、古式豊かで格式の高い各王朝の建築物が混在しています。雑然としたカサブランカと較べて、古代遺跡と近代建築が調和した瀟洒な感じがしました。

[11]フェズ(FES) 《世界遺産》
 モロッコでもっとも異色で、異文化体験のできる都市は「フェズ」でしょう。事実、多くの観光客で大賑わいです。ここの最大の特色は世界一とも言われる「迷路」です。(外敵の侵入を防ぐために、計画的に設計されたのでしょう)。9世紀にできた「メディナ」(旧市街)は1000年以上の歴史を刻んでいます。車が通れない細い道では、荷を背負ったロバや民族衣装を身にまとった人々に混じって、世界各地からlきた観光客が行き交います。道の両側には無数の小さな露天商が並んでいます。1000本以上もの袋小路や小さく暗く細い路地がまるで迷路のように入り組んでおり、ツアー客が仲間とはぐれたら、ここからは一生出られず、のたれ死ぬことにもなりかねません。(まさか!)

[12]サハラ砂漠から日の出を観る
今回私がモロッコに行く最大の目的は、サハラ砂漠から立ち昇る朝日を観ることでした。その願いは100%叶いました。サハラにもっとも近いエルフードのホテルを、まだ真っ暗な朝5時に4WD(TOYOTA製)5台に分乗し、物凄いスピードで約30分走り、ラクダが待つ砂漠につきました。そこからは一人づつラクダに乗って約30分かけて砂漠の奥に向かいます。空はまだ漆黒の闇で、半月と満天の星です。ここでラクダを降りて30分ほど徒歩で砂丘の頂上に向かいます。足は砂に埋まり、靴の中はすでに砂だらけ。そのころは、東の空が少しばかり明るくなっていました。
砂丘の頂上で待つこと20分。やがて太陽の一部が顔を出し、数分の間にゆっくりと真っ赤な太陽が姿を現しました。まさに感動の一瞬でした。このような厳粛な気持ちで太陽を観たのは、生まれて初めてでした。
日の出を観終わって砂丘の頂上からは、ベルベル人ガイドのリードで、絨毯に乗り、すごいスピードでスキー降下をして締めくくりました。「草スキー」ならぬスリル満点の「砂スキー」でした。

[13]アイト・ベン・ハッドウ(AIT BEN HADDOU) 《世界遺産》
実に不思議な風景です。大きな川の向こうに、島とも山(高さ100mほど)とも見える岩肌の村落があり、かつてはベルベル人専用の村でした。昔は他の民族を寄せ付けないベルベル人だけ約3000人が住んで自給自足の生活を営んでいましたが、時代の推移とともに今ではほとんどの人が生活に便利な近辺の村落に移住し、今はわずか10家族ほどが住んでいるだけです。
この島(山)が有名になったのは、多くのハリウッド映画のロケ地になったことです。古代ローマの剣闘士が死を賭けて戦う映画「グラディエーター」の舞台になったほか、10本以上の映画のロケ地になりました。それほど、この地は特異な風景です。
そのためではないでしょうが、今は世界遺産に登録されています。

[14]マラケシュ(MARRAKECH)  《世界遺産》
私たちが最後に行ったのが「マラケシュ」です。かつてモロッコの首都にもなった古都で、わが国では京都にでもあたるのでしょう。しかし、実際は正反対の表情をもっています。京都が「静寂」を表すのに対し、マラケシュは数々の古代遺跡のほか、ユダヤ人村やイブ・サンローラン(長くモロッコに住んでいた)が再建した広大な植物園(椰子・サボテンなど巨大な南洋植物が中心)があるなど、静寂な表情もありますが、市の中心にあるジャマ・エル・フナ広場は、まさに1年中、昼も夜もお祭り騒ぎです。果物などの食品や日用品・小物など雑多な露天商が所せましと林立し、中心部ではヘビ・コブラ使い、猿まわし、アクロバット、水売り、占い師などが集まる大道芸人の見本市とも思える、モロッコ観光のハイライトです。
日本からの観光客は、マラケシュの巨大なスーパー・マーケットでお土産を大量に買い求めて、羽田(または成田)への帰りの飛行機に乗り込みます。Adieu Morocco!!

[15]私の提案
ドーバー海峡(イギリス~フランス間)にはすでに海底トンネルが開通し、高速鉄道と高速道路が通じており、人や物資だけでなく文化の交流も盛んです。一方、スペインとモロッコ間にあるジブラルタル海峡はわずか14Kmで、その距離はドーバー海峡の1/3に過ぎません。ここに、ドーバー海峡同様の海底トンネルを掘削し、高速鉄道と高速道路を作れば、モロッコは一変し、ヨーロッパの一部と化することでしょう。ただ、スペインなど西ヨーロッパ諸国はキリスト教国、モロッコはイスラム教国ですから、思いどおりの融和は難しいかも知れません。逆にいうと、世界的に対立が激化しているキリスト教国とイスラム教国の融和のキッカケになるかも知れません。私は近日中にモロッコのモハメッド国王に直接会って、進言したいと思っています。(もちろん冗談です)

私のくだらない「モロッコ紀行」にお付き合いくださいましてありがとうございました。貴重な時間を私の駄文に費やしていただき、感謝します。
 

「モロッコ紀行」(前編)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2016年12月11日(日)08時48分28秒
             モ ロ ッ コ 紀 行 (前編)

                     平成28年12月  古賀 幸治

11月15日から24日まで10日間、憧れのモロッコに行って来ました。私にとってモロッコ旅行は3年来の夢でした。3年前には旅行会社(JTB)の大ヘマ(航空機の手配ミス)で直前になって中止、2年前はIS(イスラム国)問題が突発し、イスラム諸国の治安が最悪となり参加者が集まらず中止、今回ようやく行くことになったのです。
モロッコに行くことを友人・知人に知らせたところ、「テロに遭って殺されたら新聞に名前が大きく出るからすぐに分かるよ!」とか「必ず生きて帰ってこいよ!」など、脅しとも励ましも分からない言葉を多く貰いました。アリガタイことです。でも、こうして多くの異文化体験と思い出を作って無事に帰ってきました。天候も最高でした。入国初日から、一点の雲もない満天の青空、まさに「モロッコ晴れ」!。これも私が日ごろから実践している「清く正しい行い」を神様が認めてくださり、そのご褒美でしょう。私はこれからも、今まで以上に「善行」に努めようと心に誓いました。
この紀行文は、皆さんに読んでいただく目的もありますが、私自身の、いつまでも忘れない人生の記録として残すことが主な狙いです。

[1]「モロッコ」ってどこにあるの?
皆さんは、世界地図帳を開いて「モロッコ」がどこにあるかすぐに分かりますか。地中海を挟んで北にはヨーロッパがあり、南にはアフリカがあります。その地中海に面した北アフリカを西から東へ国名がすらすらと言える人は地理のベテランです。答えは、モロッコ → アルジェリア → チュニジア(旧カルタゴ) → リビア →エジプトが正解。つまりモロッコは北アフリカの最西端にあります。北は地中海に面し、西は大西洋に面しています。とくに、大西洋から地中海への入り口にあたるジブラルタル海峡を挟んで、スペインの南端とモロッコの北端との距離はわずか14Kmしかなく、お互いにすぐ先に国土がはっきり見えます。私は15年前にスペインに行ったとき、その南端(コスタ・デル・ソル=太陽の海岸)からモロッコの最北端をはっきり見たことを、今も鮮明に覚えています。このように、モロッコはヨーロッパにもっとも近い国なのです。
緯度から見ると、カサブランカや首都ラバトが日本の九州とほぼ同じ。従って、気温も、季節によって逆転しますが、ほぼ日本(関東地方)と大きな差はなく、1年を通すと、2~3度ほどモロッコが暖かいほどです。
でも、日本からモロッコはホントに遠かった。日本とモロッコ間には直行便がありません。私たちは「カタール航空」を利用しましたので、カタールの首都・ドーハ(あの「ドーハの悲劇」の本場)で乗り継ぎ、カサブランカに到着しました。羽田ードーハ間が12時間10分、ドーハでの乗り継ぎ時間が1時間20分、ドーハーカサブランカ間が8時間20分、出国・入国手続き時間を入れると、片道だけで実に約24時間もかかります。帰り(マラケシュ発)のドーハ乗り継ぎ時間は4時間50分ですから、ゆうに24時間を越えます。モロッコへの旅は体力と忍耐力での勝負なのです。

[2]モロッコの政治・治安・宗教・国土・経済など
モロッコの正式国名は「モロッコ王国」(Kingdom of Morocco)。その名のとおり、国王が国のあり方を定め、その下で民間の首相が行政を取り仕切る政治体制です。現在の王様は「モハメッド6世」で、イスラム教の開祖「ムハンマド」の末裔にあたります。国王モハメッド6世は、国民の幸せを第一に考えて政治を行い、国民からの信頼も絶大です。中東や北アフリカのイスラム諸国の中で治安がもっとも安定し、私たち観光客が安心して(?)モロッコに行けるのも、治安がいいからです。そのモハメッド6世は日本食が大好きで、専属の日本料理シェフを雇っているほどです。私たちの世代では、かつてイスラム教の開祖を「モハメッド」と呼び、宗教も「回教」と呼んでいましたが、今では「ムハンマド」「イスラム教」と呼んでいますね。「モハメッド」と「ムハンマド」は同じで、国によって読み方が違うだけだそうです。モロッコ国民の9割以上がイスラム教徒です。
モロッコの国土面積は44万7000K㎡(日本の約1.2倍)、人口は3150万人(日本の約1/4)です。人口構成は、アラブ人=65%、ベルベル人=30%、その他(フランス人・ユダヤ人など)=5%。国土の大部分は、いくつかの大都市や村落を除き、木も生えない禿山と、草木がところどころ生える荒野が占め、他はアトラス山脈(4000m超級の万年雪の山もある)と広大な砂漠です。食用や売上げにつながりそうなのは、都市の周辺や街頭筋にある村落周辺のオリーブ、リンゴ、みかん、ミント畑など(果物は日本と比較にならないほど豊富)で、私たちは全国の主要道路をバス・ツアーしましたが、工場らしいものは皆無に近い状態で、陶器・皮製品工場など小規模工場を除き産業はほとんど振興していない感じでした。

[3]モロッコの通貨・物価・料理など
モロッコの通貨は「ディルヘル」(DH)。大ざっぱに言って、100円=10DH=1USドルと考えてください。欧米や東南アジアと違って、日本YENが通用する店やレストランは少なく、米ドルを用意することをお勧めします。
物価はとても安く、食品・果物などは日本の半額くらい。特にパンは種類が多くてどれもおいしく、しかも驚くほど安く、これも国王の「国民を飢えさせない」という信念からでた政策です。一方で高いのは酒類。普通のレストランで、ビール小瓶(日本の小瓶より小さい)が約700円。イスラム諸国は原則禁酒の国ですから、高い税金が課せられているのでしょう。禁酒国とはいえ、約15回の昼食・夕食のレストラン(ホテルを含む)でお酒を出さない店は2店だけでした。
レストランで食べる料理はどれもおいしく、特に濃厚なスープと、しばしば出るタジン鍋(私は「タジン鍋」は「すきやき」などと同じく「料理」の一種かと思っていましたが、単に調理用の陶器鍋なんですね)は私たち日本人の口にも合うものでした。私はすべての料理を「完食」したほどです。

[4]モロッコの歴史・民族
モロッコに人間が先史時代から住むようになった先住民は「ベルベル人」です。ベルベル人はモロッコに限らず、北アフリカ全域に生息しました。モロッコでは、やがてアラビア半島から大量のアラブ民族が移住し、さらにはヨーロッパを強制的に追われたユダヤ民族が移住して、やがてベルベル人は少数派になりました。しかし、ベルベル人・アラブ人・ユダヤ人は、宗教や生活パターンが根本的に異なるにもかかわらず、大きな争いもなく、今も共存しています。特にベルベル人の多くがイスラム教に改宗しているほどです。
これら三者は、1000年を超える間に混血もし、比較的穏やかに共存しています。ただ、一部では、ユダヤ教徒とベルベル人はそれぞれの宗教と生活パターンに固執し、混血もせず、今も特定の地域に集団で暮らす人たちも各地に散見されます。アフリカに特有の黒人は意外に少なく、たまに見かける程度でした。
特筆することがあります。それは、1911年から約半世紀の間、フランスがモロッコを植民地化して統治したことです。その影響は、建築物・文化・言語などに今なお色濃く残っています。混血を含めて、今も2万人を超えるフランス人がモロッコに住んでいます。

[5]モロッコの国旗
モロッコの国旗をすぐ頭に描ける人は少ないでしょう。真っ赤な台布の中央に緑の「星」をあしらった国旗で、その星も普通とは違い、私たちが一筆書きする星です。このユニークな国旗が、大都市は勿論のこと、片田舎の国道筋にいたるまで、まさに「林立」しており、全国どこに行っても「国旗だらけ」です。これは、政府や地方自治体が推薦しているものか、国民が自発的に掲揚しているものかは知りません。いずれにせよ、国威高揚と国民の団結に貢献しているのでしょう。これは今までに私が行った国の中で突出しています。
この国旗について面白いものを多数見つけました。国旗は普通、1本1枚ですが、モロッコでは、横に長い赤布地に国旗の星が5個以上もつながったものを、のれん代わりに使っているレストランや商店がしばしば見受けられました。数枚の国旗をつなぎ合わせていでいるのではありません。もともと5枚ほどがつながった国旗を作っているのです。思わず笑ってしまいました。わが国で、横に長い白い布地に、日の丸が5個も描かれた国旗を「のれん」代わりに使ったら、どういうことになるのでしょうか。

[6]モロッコの言語
モロッコの公式言語は「アラビア語」で、中東の本場アラビア語がモロッコ風になまったものです。しかし多くのモロッコ人は今もフランス語も話します。半世紀以上もフランス統治下にあったことと、今でも学校ではフランス語の授業が義務づけられているからでしょう。街中の看板や道路標識などもアラビア語とフランス語が併記してありますが、むしろフランス語が多いような感じです。トイレの標識も多くは「Homme」(男性)、「Femme」(女性)とフランス語で表示されていることが多いです。
そのトイレについても不可解なことがあります。わが国に限らず多くの国では、男性用の「小」はオープン形式の「横並び立ちション」型ですね。ところがモロッコでは、国際空港などは別として、「大」と「小」を兼ねた「個室」です。場所によっては男女共用もあります。だから、男性が「小」をするにも扉のある個室をノックして、その都度「空室」を確認しなければなりません。「小」をする男が十数人も並ぶことがあります。何と不可解な習慣でしょう。

[7]イスラム建築の美しさ
世界には美しい建築物が多数ありますが、その中でも共通して美しいものがイスラム建築群(そのほとんどがモザイク模様)だと私は思います。王宮や城門は勿論のこと、イスラム教徒が聖地メッカに向かって毎日数回お祈りを捧げるモスクの美しさはかねてから私は感動していました。ところで、モスクには必ず高い塔(「ミナレット」といい、高さが100m級のものもある)が付属していますが、あれは何だと思いますか。私の知識が正しければ、あれは昔、1日数回のお祈りの時間がくると、鐘撞き男が塔の中の階段を登り、塔の頂上で鐘を突いてお祈りの時間が来たことを知らせるためにありました。今では電気の時代ですから、わざわざ塔の頂上に登る必要もなく、下でスイッチを押すだけで鐘が鳴るようになったのですが、ミナレットは昔のままの伝統として残っているのです。
話は変わります。モスクでイスラム教徒が集団で祈りを捧げる姿(床面に頭をすりつけるような形)がよくテレビなどで放送されますが、画面に映っているのはいつも男性だけです。だから私は礼拝するのは男性だけかと思っていました。ところが現地ガイドに聞いてみると、モスクでは、祭壇の前面の一番いい場所でに男性が集団でお祈りをし、そのずっと後方に女性集団がお祈りをするそうです。だから、テレビなどの画面に出るのは男性ばかりで、女性が映像に映ることはないのです。イスラム教は徹底的な「男尊女卑」です。それは、ほとんどの女性が頭からベールをまとって顔を隠し、極端な場合は目の部分だけしか見せないこととも無関係ではないでしょう。

(「後篇」は数日後に配信します。ご期待ください。え?何も期待していない?スイマセン!)
 

日本語が面白い(8)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2016年11月10日(木)11時11分50秒
            「日 本 語 が 面 白 い」(8)

[1]「素顔・素っぴん・素面」
あなたは「化粧していないこと」を何といいますか。
「ノーメイク」「素(す)っぴん」「素顔」などの言い方がありますが、若い女性を中心に「すっぴん」という人が多いようです。理由は「言いやすい」「素顔だと性格的な部分も含まれる感じがする」とのこと。
確かに「素顔」は、「素顔を垣間(かいま)見る」「素顔に迫る」など、「飾らないありのままの姿」という意味で使われることが多いですね。それで、単に化粧をしていないという意味では「素っぴん」を使うのかも知れません。この「すっぴん」は、もとは芝居や歌舞伎言葉で、「顔に白粉(おしろい)も紅(べに)も使わずに舞台に出る」という意味でした。それが世間にも広まって一般に定着したのは1990年代、比較的最近のこととされています。

歌舞伎では、同様に「化粧をしていないこと」という意味の「素面(すめん)」という言葉もあり、「すっぴん」はこれから変化したのではないかと言われています。
また、美人のことを「別嬪(べっぴん)」といいますが、そのもとは「特別な品物」を意味する「別品(べっぴん)」でした。これも「すっぴん」の由来に関係しているようです。
「彼女は『すっぴん』でも『べっぴん』だね」などと言われたいものですね。

[2]「七転び八起き」
何度失敗しても、めげずに頑張ることを「七転び八起き」といいますね。これは、およそ300年前の文献にも出てくるほど古くから使われている言葉です。
しかし、「七回」転んだのだから、起きるのも「七回」でよさそうなのに、どうして「八起き」でしょうか。ひとつには、最初に起きている状態を「ひと起き」と考えて、その後、七回転んで七回起きるから、1+7=8で「八起き」という説があるそうです。
また、「七起き」より「八起き」が語呂がいいからとか、転ぶ数より起きる数が一つ多いというところに、より前向きな気持ちが込められているのではないか、という説もあります。
そもそも、七や八は具体的な回数を表しているのではなく、それほど「多い」ということを表す「たとえの数」だと言われています。

「七転び八起き」と同じような言い方として、苦痛にのたうち回る様子をいう「七転八倒」や、深く詫びたり嘆願したりすることをいう「七重の膝を八重に折る」といった例もありますね。また、「七曲がりの坂」や「八重桜」も実際の数ではなく、幾重にも重なっていることを表現しています。

[3]「紀尾井町」の由来
東京の千代田区「紀尾井町」は、永田町(政治の中心)や赤坂(都内でも有数の歓楽地)に隣接し、周辺には「赤坂御苑」・「赤坂プリンスクラシックハウス(旧・赤プリ)」・「ホテルニューオータニ」・老舗料亭「福田屋」・「文藝春秋社」・「上智大学」などが集中し、明治維新政府の内務卿・大久保利通が明治11年に暗殺された場所には記念碑もある都内でも超一等地です。都心のど真ん中にありながら、大都会の喧騒とは一線を画する街でもあります。私が顧問を務める団体が近くにあり、よく行く街ですが、なぜ「紀尾井町」というか、不思議に思っていました。それがやっと分かりました。

多くの大名は江戸城の近くに屋敷を構えましたが、徳川幕府の中枢を担った大名家がのちの紀尾井町に集まりました。紀伊徳川家の「紀」、尾張徳川家の「尾」、彦根藩を領地とした井伊家の「井」、それぞれの頭文字が町名の由来となったのです。両徳川家は将軍家に次ぐ格があり、井伊家は将軍を支える最高職になった井伊直弼が特に有名ですね。

[4]「回文」(かいぶん)
あなたは「回文」をご存じですか。広辞苑によると、「回文」とは「和歌・連歌などで、上から読んでも下から読んでも同音のもの」のことです。古いコマーシャルに「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」がありますが、これは漢字のことですから回文ではありません。もっとも簡単なものに「新聞紙=しんぶんし」や「雅子さま=まさこさま」もありますが、これは単語の世界ですから、何の面白みもありません。実はびっくりするような長い文章もあるのです。いい資料が見つかりましたので、次回から連載します。今回は挨拶代わりに私が気に入った回文を二つだけ。
「弱いわよ、阪神は、弱いわよ」…「よわいわよはん『し』んはよわいわよ」 (注)『』は中心点
「酢豚つくりモリモリ食ったブス」…「すぶたつくりも『り』もりくつたぶす」

《おまけ》 恐れながら「あなたの日本語力を試すテスト」(16)です。
問1。よく「馬の耳に念仏」などと言いますが、正しい使い方はどちらでしょうか。
①「社長にいくら説明しても馬の耳に念仏さ」
②「生徒にいくら注意しても馬の耳に念仏さ」
正解は②(生徒) 念仏を馬に聞かせても意味がないことから、いくら言っても聞き入れてもらえない、効き目がないという意味。相手が愚かというニュアンスがあるので、目上の人には使えません。目上の人の場合なら、「いくら説明しても馬耳東風」と言えばいいでしょう。

問2。よく「砂を噛(か)む」といいますが、その使い方として正しいのはどちらでしょうか。
①彼の話は退屈すぎて、「砂を噛む」ような思いだ。
②皆の前で恥をかかされ、「砂を噛む」ような思いをした。
正解は①(退屈) 「砂を噛む」という動作をそのまま想像すると、辛く苦しいイメージがありますが、本来の意味は、何の面白みもなく味気ないことのたとえです。なぜなら砂には味がなく、口当たりも悪いからです。

問3。「姥桜」(うばざくら)の本来の意味はどちらでしょうか。
①いい年増(としま)が年甲斐(としがい)もなく派手な化粧・服装の女性。
②娘盛りを過ぎてもなお艶(なま)めかしく美しい女性。
正解は②(娘盛り…) 「姥桜」は娘盛りを過ぎても若々しく、なまめかしさのある女性のこと。私たちは皮肉をこめていう事が多いですが、本来は純粋な「褒め言葉」です。
              平成28年11月11日  古賀幸治
 

「日本語が面白い(7)」

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2016年10月10日(月)16時01分5秒
            「日 本 語 が 面 白 い」(7)

[1]「今日は」と「今日も」
遠くアメリカに住むFさんから、次のような投稿がありました。私も思わず「ウーン!」と唸るような内容ですので、本稿で取り上げます。これは、7月11日づけの産経新聞電子版の記事です。

ANA(全日空)のCA(客室乗務員)歴12年、500万人のお客様から学んだ「気がきく人」の1秒の習慣です。「も」と「は」のたった1文字の違いが、大きなクレームに!
「皆さま、本日はANAにご搭乗いただき、ありがとうございます。この飛行機は○便、△行きです」。これはANAの機内アナウンスの一例ですが、実はこのアナウンスに対し、お客様からクレームが入ったのです。どこが問題なのか分かりますか。なぜお客様は気を悪くされたのでしょうか。お客様からいただいた苦情は「本日『は』ではなく、本日『も』と言ってほしかった」というものでした。「自分はこれまで何十回もANAに乗っている。それなのに「本日『は』とは何事か!」とそのお客様は考えたのです。この経験をもとに、ANAではCAのマニュアルを変更し、「本日『も』ANAにご搭乗いただき、ありがとうございます」と機内アナウンスをするようになったそうです。

タクシー会社でも同じようなことがあるそうです。たとえばお客様が「渋谷までお願いします」と言ったとき、ドライバーが「渋谷ですか?」と聞き直せば、お客によっては「なんだ、近すぎるから渋谷はイヤなのか!」とクレームになることもあります。このようなときは、「渋谷です『か』?」ではなく「渋谷です『ね』!」と断定的に復唱するのが正しい接客態度だそうです。
秘書をしている友人から聞いた話。お客様に「コーヒー、紅茶などいかがですか」とお声をかけたとき、「コーヒー『で』いいです」というお客様と、「コーヒー『が』いいです」と答えるお客様がいるそうです。「で」と「が」のたった1文字しか違わないが、「…でいい」は、「選ぶのが面倒くさい」「ほかに頼むものはない」という否定的なニュアンスが含まれています。一方で「…がいい」は「それが欲しい」という能動的な気持ちが表れています。相手の気持ちになって「1文字」を吟味する。そうすれば、「…でいい」よりも「…がいい」と答えた方が、「相手の気持ちに寄り添っている」ことが分かります。

[2]江戸川乱歩「怪奇四十面相」
(8月5日づけ日経新聞のコラム「あすへの話題」にに載った作家・北村薫さんのエッセーから)
江戸川乱歩の少年探偵物に「怪奇四十面相」がある。かの怪人二十面相がレベルアップしたぞと誇らしげに自称する名がそれだ。子供の頃から《よんじゅうめんそう》と読んできた。しかし、ある時、《しじゅうめんそう》となっている文章に出会って驚いた。原典の《四十》にはルビがない。友達に電話したところ、「《よんじゅうめんそう》でしょう」と皆が答えた。
この結果に力を得て、この分野の権威、戸川安宣氏に聞いてみた。すると、「その後の作、『塔上の奇術師』の中で、本人が名乗っています。『ぼくはね、かいじんしじゅうめんそうです』と」。降参するしかなかった。
後日、戸坂康二の「折口信夫座談」中に、「よんじゅう」とというのは俗な読み方で、「学問をするものは、そうした読み方をしてはいけない」という言葉があるのを見つけた。折口先生の言葉は重い。なるほど、そう言われてみれば、『論語』の「四十にして惑はず」も、読みは「しじゅう」だ。
そんなことを考えていて、ふと気づいた。題名に『四十』のつく乱歩の著作なら他にもある。回想録『探偵小説四十年』だ。決定版ともいうべき光文社文庫の『江戸川乱歩全集』を見たら、何とこれには『よんじゅうねん』とルビが振ってある。監修者の新保博久氏に電話したら、「あれは当時の編集者に確認しました。乱歩さんは、そう言っていたそうです」。こちらも当人、乱歩さんが言っていたのだ。

[3]「人材を『輩出』する」
8月13日づけ日本経済新聞のコラム「記者手帳」に次のような文章が載りました。
「夏休み中の安倍首相は12日、地元の山口県長門市を訪れ、同市が『輩出』した童謡詩人、金子みすゞのブロンズ像を見学した」。
私はこの文を読んで仰天しました。日経という大新聞の記者ともあろう人がこのように日本語に無知かと、呆れかえったのです。そのわけはもうお分かりですね。私は念のため広辞苑で確認したところ、「輩出」とは「人材が続々と世に出ること」とありました。金子みすゞは確かに多くの国民に愛されている詩人ですが、たった1人の人材が出たことを「輩出」とは決して言わないのです。
新聞記事はまず担当記者が文章を起草し、担当デスクなど二重三重のチェックがあるはず。その誰もが言葉の間違いに気がつかないとは…。新聞記者やテレビのアナウンサーなどは正しい言葉を使うことが必須条件のはず。それもわきまえない人は「退場!」

[4]「読み方に迷う漢字」(その7) 市名編(2)
「意外に読み方が分からない市名」の続編です。あなたは何問読めましたか。
①「匝瑳市」…「そうさ市」(千葉県)
②「曽於市」…「そお市」(鹿児島県)
③「砺波市」…「となみ市」(富山県)
④「羽咋市」…「はくい市」(石川県)
⑤「氷見市」…「ひみ市」(富山県)
⑥「防府市」…「ほうふ市」(山口県)
⑦「美作市」…「みまさか市」(岡山県)
⑧「三次市」…「みよし市」(広島県)
⑨「八街市」…「やちまた市」(千葉県)
⑩「養父市」…「やぶ市」(兵庫県)

《おまけ》 恐れながら「あなたの日本語力を試すテスト」(15)です。
「『ごたぶん』に漏れず、彼も賭け事が好きらしい」などといいますが、この「ごたぶん」を漢字で書くと、どちらが正しいでしょうか。
①御多分 ②御多聞
正解は①(御多分)。 「うわさどおりの」という意味だと思って「御多聞」と書くのは間違い。「多分」とは「大部分」という意味で、「他の多く例と同様に」という意味があります。

      平成28年10月11日 古賀幸治
 

日本語が面白い(6)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2016年 9月10日(土)18時20分18秒
           「日 本 語 が 面 白 い」(6)

「1」「ら抜き」言葉の元祖は川端康成!?
現代語でいつも問題として採り上げられるのは「ら抜き言葉」の是非です。動詞の可能形である「食べられる」「見られる」「出られる」などの「ら」の部分を抜いて「食べれる」「見れる」「出れる」は文法的に誤りではないか、という問題です。(白状しますと、私も「今日は早く帰れて、タイガースのテレビが見れる!」などと無意識に言っています=私は熱狂的な虎キチです)。
文法的には「ら入り」言葉は、「受身」「可能」「自発」「尊敬」の4つの使い分けがされます。このうち、「尊敬語」としては「食べられますか」を「食べれますか」ということはなく、「召し上がりますか」となるでしょう。このように、「ら抜き」は主として可能形の場合です。
ところで、文学上に「ら抜き」言葉が登場した先駆的な例として、川端康成(明治42~昭和47年)の「二十歳」(昭和8年発表)が挙げられます。
「銀作は一家を離れて見れるやうになってゐた」
川端は代表作である「雪国」の初版本(昭和23年)でも「ら抜き」を堂々と使っています。
「土曜日だから、とても忙しいのよ。遊びに来れないわ」
「今日は来れないわよ、多分。他の人の宴会だから」
いうまでもなく川端康成は、わが国で初めてノーベル文学賞を受賞(あ!重複表現)した日本を代表する大作家。その川端が意外にも「ら抜き」言葉の元祖(しかも昭和初期に!)だったとは!

「2」「煮詰まる」
「議論が煮詰まる」とは、どんな状況をいうのでしょうか。もちろん本来の意味は「議論が尽き、結論の出る状況」ですが、逆に「議論が行き詰まり、結論が出ない状況」と解釈している人も増えています。文化庁が2008年に結果を発表した「国語に関する世論調査」によると、「煮詰まる」という意味を本来の「(議論が出尽くして)結論の出る状態にある」と解釈している人が50代で77%と多数派。ところが、16~19歳では逆の意味の「(議論が行き詰まり)結論が出せない状態にある」と考える人が76%もいました。このような状況を背景に、本来の意味と平行して、正反対の意味を「併記」する辞書(広辞苑第6版など)も出ています。

同じ言葉の意味を正反対に解釈する例はほかにもあります。06年の世論調査では「やおら」の意味について、本来の「ゆっくり」という回答と、逆の「急に、いきなり」との答えがともに4割強でした。言葉の意味は時代とともに変化するもの、とは私も理解しているつもりですが、これだけ多くの人の間で解釈が真逆に分かれる言葉を使うとコミュニケーションにも支障がでるでしょう。

「3」「ものの名前」
7月3日づけ日本経済新聞の「文化」欄に、池辺晋一郎さん(作曲家)の「ものの名前」というエッセーが載りました。とても面白い文章なので、大幅に要約して再掲します。
〔ものには名前がある…ま、当たり前なのかも知れない。にもかかわらず、時々不思議に思うことがある。たとえば地名。長野県松本市に「渚(なぎさ)」という地名があり、私鉄の駅名にもなっている。松本といえば、紛れもない山地だ。波が打ち寄せる光景とは無縁だ。が、実はその辺りは古代は湖だった由。その名残の地名なのだ。
大阪の「難波」は「なにわ」?それとも「なんば」?。東京の浅草(あさくさ)にあるのは「浅草寺(せんそうじ)」、なぜ読み方が違うの?。やはり都内。目黒区「洗足(せんぞく)」に大田区「千束(せんぞく)」が隣接するのは奇妙じゃない?。世田谷区と多摩川を挟んだ対岸、川崎市中原区に、同じ「等々力」があるのはなぜ?。日々、渓谷の轟(とどろき)が聞こえていたのだろう。それにしても、多摩川に近い世田谷区の地名は「玉川」だ。これも奇妙。長崎市を走るバスの「女の都行き」という表現を見たときは仰天した。地元の人には馴染みの地名。「メノトと呼ぶばい」と平然。平家の、ことに女性が多く落ち延びた地、という説があるらしい。ー大幅中略ー

合併ばやりだが、最近多いのが新生の市の奇妙な名前だ。また、由緒ある地名が合併ゆえに消滅してがっかりしたことも、何度かある。しかし、理由があるのはまだいい。江戸期の住人の職種が具体的に分かる「大工町」「鉄砲町」「博労町(馬喰町)」などがどんどん消え、何でもない地名に取って代わったりしているのは許せない。「○市中央」「△駅前町」などという安直な地名に出会うと腹がたつ〕(古賀注:まったく同感)

「4」「読み方に迷う漢字」(その6) 市名編(1)
全国各地には難読の市名が多くあります。その中から私が選りすぐった難読市名を2回に分けて挙げます。あなたが正しく読めたのはいくつですか。
①「朝来市」…「あさご市」(兵庫県)
②「射水市」…「いみず市」(富山県)
③「宇陀市」…「うだ市」(奈良県)
④「加須市」…「かぞ市」(埼玉県)
⑤「交野市」…「かたの市」(大阪府)
⑥「可児市」…「かに市」(岐阜県)
⑦「幸手市」…「さって市」(埼玉県)
⑧「四條畷市」…「しじょうなわて市」(大阪府)
⑨「宍粟市」…「しそう市」(兵庫県)
⑩「宿毛市」…「すくも市」(高知県)
《古賀注:》これら難読地名が合併などに乗じて「ひらがな」化することがはやっています。難読とはいえ、漢字にはそれぞれ歴史が詰まっています。ひらがな化することは、その歴史を捨て去ること。歴史を永久に捨てても平気なんでしょうか。

《おまけ》 恐れながらあなたの日本語力を試すテスト(14)です。。
問。「蘊蓄(うんちく)」の使い方として正しいのはどれでしょうか。
①「蘊蓄をたれる」 ②「蘊蓄をひけらかす」 ③「蘊蓄を傾ける」
正解は③(傾ける)。「蘊蓄」とは、たくわえた知識や深い学問のこと。それをすべて注ぎ込むというのが「蘊蓄を傾ける」。知識を見せびらかすといった意味で「蘊蓄をたれる」や「蘊蓄をひけらかす」という人が多いですが、間違った使い方です。

            平成28年9月11日  古賀幸治
 

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