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日本語は天才である(1)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2018年 1月10日(水)18時31分31秒
          「日 本 語 は 天 才 で あ る」 (1)

皆さま、アケオメ、コトヨロ(「明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします」の短縮形です)。この駄文配信は昨年までは「日本語が面白い」というタイトルでしたが、今年から「日本語は天才である」に変えます。別に意味があるわけではありません、単なる気分転換です。これは柳瀬尚紀(翻訳家)著「日本語は天才である」(新潮文庫)をそのまま拝借するものです。
この駄文は、友人・知人に、本人の事前の諒解もなく私が勝手に送信しています。このようなものに興味や関心のない人にとっては却ってご迷惑のことでしょう。もし、そうであれば、お手数ながら「配信無用」とメールをください。直ちに配信を停止します。

[1]「やばい」
昨年10月27日づけ日本経済新聞の1面コラム「春秋」に面白いエッセーが載りました。一部加筆削除して転載します。(すでに新聞で読んだ人は、どうぞ読み飛ばしてください)
《「やばい」の語源は「やば」だという。不都合なことや危険なさまを表す言葉として江戸時代から使われていて、広辞苑によれば「東海道中膝栗毛」にも用例があるそうだ。これが形容詞化して「やばい」になったようだが、肝心の「やば」が何なのかは謎らしい。
江戸っ子作家の正岡容がまとめた「明治東京風俗語事典」では、「やばい」の意味がずいぶん具体的だ。いわく「犯人が、警察の探査がきびしく身辺が危ないこと」。多分、もとになった「やば」もやくざ者の隠語のたぐいだろう。そういうルーツのためか、今でも「やばい」にはどこか物騒で、まがまがしい響きがある。
なのに不思議なもので、いつからか正反対の意味の「やばい」が登場した。若者が好物をほおばって「これヤバイっす」というやつだ。かの広辞苑も、今年発売の第7版から「のめり込みそうである」との記述を加えるという。新語の扱いには慎重な広辞苑だが、さすがにそろそろ認めないと「やばい」と見定めたのだろう。(古賀注:私にとっては広辞苑に対する信頼感の失墜です)
これで肯定的な方の「やばい」も晴れて市民権を得そうである。ただ、本来の意味(否定的)も健在だからややこしい。シニア世代が「安倍一強はやばい」と言えば、自民党支持が多いとされる若者たちが「そう、安倍さんてヤバイ」と勘違いの同意をしてしまう…などと言うことがないとも限らぬ。日本語がまた難しくなる》。

[2]「良い癖」「勝ち癖」に違和感
「今後のために『勝ち癖』をつけたい」。スポーツ選手や監督などの談話で「勝ち癖」という言葉が近年増えたように思います。しかし、この表現、少し違和感がありませんか。
「良い癖」や「勝ち癖」という言葉は、新聞などで1990年代から徐々に使われ始め、2000年代になって登場することが多くなってきました。タイトルに「勝ち癖」とつく書籍も最近多く出ています。比較的新しい言葉といえるかも知れません。
さて、「癖」という漢字の部首は「病垂(やまいだれ)」です。病垂れの漢字には「癌」「疾病」「痴」など、身に降りかかりたくないような事を指すものが多くあります。また「年下のくせに生意気だ」のような「~のくせに」は漢字で書くと「~の癖に」です。辞書で「癖」を引くと「性格や外形または表現などにおける特異なところ。多く、悪い面についていう」(「小学館・現代国語例解辞典」)とあり、広辞苑(岩波書店)はずばり「欠点。非難すべきこと」と記しています。「癖」の字を使った表現としては本来「負け癖」はあっても「勝ち癖」はないのかも知れません。
「癖」の本来の意味が時代とともに薄れ、新しい用法が増えてきたのでしょうか。「(おいしくて)癖になる味」のような言い回しも定着した感じがあります。ただ、新しい使い方に少し違和感をもつ人も多いのでしょう。そのためか書籍のタイトルに「勝ちぐせ」や「クセになる味」など意識的に漢字を使わない表記も目立ちます。

[3]「処分」
新聞やテレビなどに、しばしば「処分」という言葉が登場します。ところが、この「処分」の意味が両極端に分かれます。不思議な言葉ですね。
(1)○省では、部下にセクハラをしたA職員を訓告「処分」にした。
(2)鳥インフルエンザで、1万羽の鶏を「処分」した。
(1)の「処分」は、規律違反などをした人に対して「こういうことはいけません。今後は注意してください」と注意することですが、(2)の「処分」は、1万羽もの鶏を、生きたまま土中に埋める悲惨なことです。両者には天と地ほどの違いがあります。
広辞苑で調べたところ、「処分」とは「基準に照らして処理すること」、「かたをつけること」とありました。なるほど、「訓戒処分」は前者、鶏などの「殺処分」は後者ですかね。

[4]続「もりど」vs「もりつち」
昨月号(平成29年12月)で「盛土」の読み方について、テレビなどは「もりど」と読んでいるが、本来の読みは「もりつち」と書きました。このことについて、私の長女・R子(長野市)から情報があり、「もりど」は土木工学界内部での独特の読み方であることが分かりました。これは彼女が夫(国立S大学教授・工博)から直接聞いた話ですから、間違いないでしょう。つまり、土木工学界内の専門的な読み方をテレビなどメディアが意識的に(または無意識に)に取り入れ、大々的に使っているのです。しかし、本来の読み方は「もりつち」です。
一方で、Iさん(ハワイ在住、大阪出身)からは、「関西地方では『もりつち』と呼ぶのが一般的です」との投稿もありました。これにて一件落着。

《おまけ》 久しぶりに「恐れながら、あなたの日本語力を試すテスト」(25)です。
次の言葉の正しい読み方は何でしょう。
問1。「株を守る」 ①「くいぜをまもる」、②「かぶをまもる」
〈正解〉①「くいぜをまもる」
「株を守る」とは、古くからの習わしを守り、臨機応変にできないこと。

問2。「拱く」 ①「さばく」、②「こまねく」
〈正解〉②「こまねく」
「拱く」とは腕を組むこと。事が起きたときに、何もできずに傍観している様子。

                 平成30年1月11日  古賀幸治
 
 

日本語が面白い(20)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2017年12月10日(日)16時55分12秒
           「日 本 語 が 面 白い」(20)

[1]「誕生日の1日前に1歳年をとる」!
(これは5年ほど前、本欄で一度取り上げましたが、重要なことにも拘わらず、忘れている人も多く、意外に知られていないことですので、大幅に加減のうえ再度取り上げます)。
皆さんは、日本人は誕生日の1日前に1歳年をとることをご存じですか。例えば今日(12月11日)に生まれた人は、実は昨日(12月10日)に1歳年を取っているのです。具体的なことをお話ししましょう。4月1日に生まれた子供は、前年度(~3月31日)に生まれた子供と一緒に小学校に入学しますが、これは、4月1日生まれの子供は3月31日に1歳年をとり、6歳になっているからなのです。「1日くらい大めに見よう」という発想ではありません。
誕生日に家族で、または友人を招いて「誕生パーティー」を開き、本人は「私は今日20歳(はたち)になりました」などと言いますが、あれは法的には間違いです。本当はその前日に20歳になっているのです。そうすると、誕生祝いは、誕生日にではなく、その前日に開くのが正しいことになり、なんだかおかしいですね。
社会保険労務士の立場からいうと、4月1日生まれの人は、3月31日に1歳年をとっているだけでなく、各月1日生まれの人も、前月末日に1歳年をとってことを知らないことによって、社会保険(老齢年金・医療保険・失業保険など)で不利な扱いになりかねないので、要注意です。
4月1日生まれの人は、統計的には1/365の割合でいます。現在の日本の人口は1億2700万人ですから、全国で約35万人が4月1日生まれですし、毎月1日生まれの人はその12倍(420万人)います。なんとも不思議な年齢の数え方ですが、「年齢の数え方に関する法律」(六法全書に載っている)があり、そのような数え方になっているのです。なぜ法律の定めがそのような年齢の数え方になっているのか、そして、この法の定めが日本独自のものか世界共通のものか、残念ながら私は知りません。

[2]「蕎麦を打つ」
昨月号にも登場したHさん(我孫子市)から新たなご質問をいただきました。「蕎麦を打つ」や「蕎麦打ち」という言葉があります。蕎麦は打ったり叩いたりするものではなく、「蕎麦粉をこねる、延ばす、包丁で切る、ゆでる、盛る」ものですが、なぜ「蕎麦を打つ、蕎麦打ち」などと言うのでしょうか、という質問です。私は蕎麦大好き人間で、毎日1回は蕎麦を食べないと1日が終わった気がしないほどの「蕎麦狂い」です。その私も答えられない「不意を打たれる」質問に仰天しました。
そこで、私以上に「蕎麦狂い」で蕎麦に関する蘊蓄の深いKさん(入間市)に問い合わせたところ、彼も答が分からず、インターネットで調べて教えてくれました。
《山形県の「板蕎麦」(いたそば)の紹介の中で、蕎麦のうまさを引き出すため、つなぎを入れない「生粉(きこ)打ち」について次のように記されている。『この地方では、大きく丸くのす。それを麵棒に巻き付け、のし台に打ち付ける。典型的な田舎蕎麦の打ち方』とある。このように、蕎麦は古くから「打つ」「手打ち」という言葉があり、その作り方に「叩く、打つ」に近い動作があることから、「打つ」という語ができた。古い著書「風流大名蕎麦」には、「捏ね上げて玉にした生地を木槌で『打った』工程がまさしくあった」という記述がある》

〈古賀記〉 実際に「打つ」(英語でいえば「Strike,Beat」など)という行為はないのに「打つ」という言葉は意外に多いですね。「不意を打つ」「心を打つ」「注射を打つ」「電報を打つ」など。

[3]「訪日」と「来日」
最近の新聞報道で「外国人の『訪日』客数が1年間で2000万人を超えた」とあり、11月9日づけ日経新聞報道では「『訪日』客で旅行黒字最高」とありました。一方では、東京や大阪で宝石などが相次いで盗まれた事件で逮捕されたルーマニア人が「窃盗目的で『来日』した」と自供したという新聞報道がありました。
いつも気になっていましたが、外国人が日本に来ることを意味する言葉に「来日」と「訪日」の2つがあり、両者は同じものか、異なるものかと…。国語辞典(精選版日本国語大事典)では、「『来日』は外国人が日本にやって来ること、『訪日』は日本を訪れること」と解説してあり、私には意味がよく分かりません。アメリカのトランプ大統領が日本に来たとき、日経新聞は「来日」と報道し、その前に同大統領の長女・イヴァンカさんが日本にきたときも「来日」と報道しました。
「来日」と「訪日」はどう違うのでしょうか。私の手許にある「謎だらけの日本語」(日本経済新聞社編、日経プレミアシリーズ)によると、《「訪日」は相手側の見方で、外国人が「訪ねる・訪ねた」場合に見られることが多く、「来日」は日本側から見て「来る・来た」場合によく登場します》とあります。一方、長期に日本に滞在する外国人が「来日○年目」ということに違和感はなく、「訪日○年目」という表現は不自然ですね。
いろいろ調べてみましたが、結局「よく分からない」が私の結論でした。その区分を知っている方は是非ご投稿ください。

[4]「盛土」の読みは「もりど」?
「盛土」という言葉があります。広辞苑によると「地面の上に更に土を盛って高くすること」と解説してあります。ここで問題にするのは、その読み方です。あなたは、「盛土」を「もりど」と読んでいますか、それとも「もりつち」? 「盛土」は築地市場の豊洲移転問題で、新市場予定地の豊洲に、計画にあった公害汚染防止用の「盛土」が実施されていなかったとして、昨年から今年前半にかけて連日のようにテレビ・新聞などに取り上げられましたが、テレビでは「もりど」「もりど」…の連呼でした。私もそれにつられてか「もりど」という読み方に何の疑問ももっていませんでした。ところが、Nさん(池田市)から投稿があり、「もりつち」が正しい読み方ではないか、と指摘されました。私は「まさか!」と思いながら広辞苑を引いてみると、なんと!「もりつち」と解説があり、「もりど」の項目はありませんでした。
二字熟語の読みにはルールがあり、「音読み+音読み」と「訓読み+訓読み」が原則です。ところがこれには例外も多く、「音読み+訓読み」を「重箱(じゅうばこ)読み」、「訓読み+音読み」を「湯桶(ゆとう)読み」といいますね。このルールからみると、「もりど」は「湯桶読み」に該当しますので、「もりつち」がルールどおりの読み方になります。一方、パソコンの文字情報で「もりど」と入力すると「盛(り)土」が出てきますから、「もりど」でもあながち間違いではないのでしょうが、本来の読みは「もりつち」です。
Nさんは現役の医師で工学博士(医学博士ではない)という異色の人材です。このような友人が「正しい日本語」にこだわっていることを知り、私はとても嬉しかった。
                  平成29年12月11日  古賀幸治
 

日本語が面白い(19)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2017年11月10日(金)17時19分24秒
          日 本 語 が 面 白 い(19)

[1]「りょ」?!?!
日本語は、世界中で最も多様性・柔軟性に富んだ言語だと思います。①漢字・ひらがな・カタカナ・カタカナ英単語・アルファベット・アラビア数字を自由自在に使いこなす、②丁寧語・尊敬語・謙譲語などがある、③文章言葉と話し言葉が異なる、④話し言葉には男言葉と女言葉がある、そして次のような、⑤言葉の短縮があります。「マスコミ」「パソコン」「省エネ」「バス停」「安保理」、最近では「KY」「ガラケー」など数え切れないほどです。このことについて、9月13日づけ日経新聞の1面コラム「春秋」に面白いエッセーが載りましたので、ほぼそのまま再掲します。
《「りょ」。新入社員にメールを送ったところ、たった2文字のこんな返事がきて仰天した…という話は都市伝説だろうか。「りょ」とは「了解」の短縮形である。もっと略すと「り」。上司とのやりとりに使うかどうかはともかく、若い世代にずいぶん広まっている。
いろいろと考えて長々と書くオジサン、オバサンに比べると、若者のメールは総じてあっさりしたものだ。「短っ!」と驚くばかりだが、文章を縮めたり略語を作ったりするのは昔から日本人の得意技である。人々は「当たり前だ、べらぼうめ」を「あたぼう」とはしょり、天下の豪商・紀伊国屋文左衛門を「紀文」と呼んだ。
日常的にはほとんど絶滅した電報も、かつては短縮文のオンパレードだった。古い映画を見ていると電報を打つ場面がよく出るが、スクリーンに大写しになる「ウナヘンマツ」とか「アトフミ」とか今は判じ物である。前者は「至急、返事を待っています」、後者は「あとは詳しく手紙に書きます」という意味なのだ。
オリンピックは「五輪」、万国博は3文字を更に縮めた「万博」が世に知れわたった。短い言葉がもつパワーである。だから政府も、次々に打ち出す大仰なキャッチフレーズの短縮形など掲げたらいい。例えば1億総活躍は「億総」、人づくり革命は「人革」…。しかしやはり、肝心ななのは中身です。ヨロオネ。》
<古賀の推測> 最後に出てきた「ヨロオネ」は「よろしくお願いします」の短縮形?!?!

[2]「一両編成の列車」?
私以上に日本語にこだわるHさん(我孫子市)からの投稿を紹介します。
《ヘンな日本語というか、前々から気になっている表現があります
①列車の車内放送で、「ただいま、この列車は時刻どおりに運転しております」と。ヘンな日本語だと思います。それを言うなら、「定刻どおりに運転中」とか、「ダイヤどおりに運転中」というべきでしょう。
②ローカル線の旅番組などで、ナレーターが「一両編成の列車」と。これもヘンな日本語。二重にオカシイと思います。まず、一両だけでは「編成」という表現は馴染みません。さらに、一両だけでは、列車が列をなしていませんから、「列車」じゃないでしょう。
この件、数年前にNHKに照会したことがあります。次のような回答でした。
「うーん、確かに理屈はそうですね…。しかし、『一両だけの鉄道車両』が正確なんでしょうが、堅苦しいですね。『一両編成の列車』という表現で誤解をする人はいないし、定着した表現といえましょう」です…と。いまひとつ、納得できない気持ちのままでおります》
<古賀評> Hさんの日本語にこだわる姿はすごいです。わざわざNHKに照会するなど、私も負けてしまいそうです。

[3]「采配」は「振るう」もの?
「指揮をする、指図する」ことを、采配を「振る」といいますか、それとも「振るう」といいますか?
文化庁の「国語に関する世論調査」では、采配を「振る」は28.6%で、「振るう」は」58.4%に上りました。しかし、本来は「振る」が正解です。
「采配」とは、戦国時代、大将が兵士を指揮するためにに使った道具のこと。短冊状の細長い厚紙を束ねて柄をつけ、「はたき」のような形にしたもので、大河ドラマなどで見ることがありますね。その「采配」を前後左右に振って指揮したことから、「采配する」や「采配を振る」で「指図する」を意味するようになりました。
では「采配を振るう」と言う人が多いのはなぜでしょうか。「振るう」には、「大きく振り動かす、十分に発揮する」といった意味があり、「剣を振るう」「腕を振るう」などと言います。「振る」と「振るう」は1字違いで意味もそっくり。また「采配」も、実際に大きく振り動かす、つまり「振るう」こともできますから、一層あいまいになったとも考えられます。
近年、一部の辞書には「采配を振るう」を認めるものも出ています。今後は「振るう」も定着して行くかもしれませんが、本来の使い方は「采配を振る」です。

[4]「おやつ」
「お」は接頭語。「やつ」は「八つ」で、昔の時刻の「八つどき」をいい、今の午後2時から4時ごろまでを指します。そこから、午後の3時ごろに食べる間食を「おやつ」というようになり、今では3時に限らず三度の食事以外に食べるお菓子や果物などを総称して「おやつ」といいます。
なお、昔の食事は朝夕二食で、江戸時代から朝と晩の間に「お四つ」(午前10~12時)・「お八つ」(午後2~4時)といってお茶を飲んだりお菓子を食べる習慣ができました。「おやつ」はその習慣の名残りです。

《おまけ》 恐れながら、あなたの日本語力を試すテスト(24)です。
問1。「相手の言葉に『あいづち』を打つ」と言いますが、これを漢字で書くとどちらが正しい?
 ①相槌、②合槌
正解は①(相槌) 「相槌」は、向き合った鍛冶の師と弟子が交互に槌を打ち合ったことからきた言葉。人の言うことに調子を合わせたり、うなずいたりすることをいいます。相手に調子を「合わせる」からといって、「合槌」と書くのは誤りです。

問2。「『ごうきぼくとつ』仁に近し」と言いますが、これを漢字で書くとどちらが正しい?
 ①剛毅朴訥、②剛毅木訥
正解は②(木訥) 「剛毅木訥仁に近し」とは、「意思が強く、口数の少ない飾り気のない人は、道徳の理想とする『仁』に近い」という意味。「木訥」は「朴訥」と同じ意味ですが、原典の「論語」に従って「木訥」と書くのが本来の表記です。「朴訥」でもあながち間違いではない。

                      平成29年11月11日 古賀幸治
 

日本語が面白い(18)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2017年10月11日(水)15時32分14秒
          「日 本 語 が 面 白 い」 (18)

[1]しゃもじは「恥ずかしい道具」?
よくこの欄で引用する「遊遊・漢字学」(5月21日づけ日経新聞コラム。筆者は漢字学者・阿辻哲次さん)を一部取捨選択し、私なりのエッセーにまとめました。
もう半世紀も昔、白い割烹着(かっぽうぎ)を着こんだおばさん達が手に手に「しゃもじ」をもち、「公共料金値上げ反対!」などと書いたプラカードを掲げ、よく街中をデモ行進したものです。
この「しゃもじ」を漢字で書くと「杓文字」となりますが、この場合の「文字」は、口に出しにくい事を婉曲にぼかしていうための表現で、このようなものを「文字言葉」と呼びます。
世はまさにグルメブームで、食に関する情報が氾濫しています。食事はおいしいものを、家族や仲のいい人たちと楽しく食べたいものだと現代人は思います。ところが、かつての日本では、ものを食べるのは「いじましくあさましい行為」と考えられました。特に身分の高い人は、なるべく人前ではものを食べないようにと、しつけられました。
室町時代に御所に使えた「女房」(「妻」の意味ではなく、天皇の身辺で種々の仕事をしていた官職名)にとっては、食事とは極めて恥ずかしく、包み隠さねばならない行為でした。彼女たちはそんな「あさましく恥ずかしい」行為をそのまま口には出さず、婉曲的な言葉を作りだして表現したのです。その時代では、「空腹である」ことを「ひだるし」といい、漢字では「饑し」と書きました。「饑」は「飢」の異体字で、「飢餓」と言えば随分大げさに感じられますが、「饑」は「空腹である」ことをいう漢字です。
人間であれば誰だってお腹がすきます。しかし「私はいま空腹である」などとは、やんごとなき女房たちは口が裂けても言えません。それでも空腹であることはどうしようもない事実です。だから女房たちは遠回しに「私は今、あの『ひ』という文字で始まる状態なのよ」という言い方で「ひだるい」ことを表しました。それが「ひもじい」、即ち「ひ文字い」だったのです。
「しゃもじ」は食事に使う「恥ずかしい道具」であり、軽々しく口に出すわけがありません。そこで「しゃ」という文字から始まる「杓子」(しゃくし)を女房言葉で「杓文字」とも呼んだわけです。

《古賀記》 わが国では、外国の賓客(国王、大統領など)を招いて天皇主催の晩餐会があり、テレビでもよく放送されます。そのとき、天皇など皇族が乾杯のシャンパンを口に持って行く姿までは放送されますが、食事をするシーンを見たことがありません。これも、「食事はあさましい行為」という大昔からの考え方が今も続いているからでしょうか。天皇を初めとする皇族が国民に近い存在になった今もこのしきたりが存在するとしたら、「時代錯誤」のような気がしますがね。

[2]「湯飲み」と「茶碗」の不思議
お茶を飲む器を「湯飲み」といい、ご飯を食べる器を「茶碗」といいますね。お湯を飲む人もいるかもしれませんが、普通はお茶を飲むのだからこちらの方が「茶碗」で、ご飯を食べる器は「飯椀(はんわん)または(いいわん)」と呼ぶのが正しいと私は思うのですが、なぜこのような呼び方をするようになったのでしょうか。
お茶を飲む器を「湯飲み茶碗」と呼び、ご飯を食べる器をわざわざ「ご飯茶碗(ごはんぢゃわん)」と呼ぶことがありますが、これは「お茶」を飲む器を「湯飲み」、「ご飯」を食べる器を「茶碗」と呼ぶことに違和感があるためでしょうか。
私の手許にある文献では、このことについて触れたものはありません。その語源やいきさつを知っている方は、私に是非教えてください。この欄で紹介します。

[3]「丈夫」と「大丈夫」
2回にわたって「狂乱」と「半狂乱」を採り上げましたが、今回は「丈夫」と「大丈夫」です。
広辞苑によると「丈夫」とは「達者、壊れにくいこと、十分」と解説してあり、一方「大丈夫」は「とりわけ壮健なこと、危なげないこと、間違いないさま」と書いてあります。要するに「大」は次に来る言葉を強調しています。英語でいえば、「丈夫」は「Healthy、Strong」、一方の「大丈夫」は「Very healthy、Very strong」でしょうか。
ところが先日あるファミレスで私が実際に見たのは次のような光景でした。店のレジ係の人が「レシートはどうしましょうか?」と若い客に聞いたところ、彼は「イエ、大丈夫です」と言いました。これは「ノー・サンキュー、レシートは不要です」という意味でしょう。「壮健」と「ノー・サンキュー」…若者言葉とはいえ、あまりの違いに驚きました。

[4]英語版「回文」
昨月号で紹介した柳瀬尚紀著「日本語は天才である」(新潮文庫)から英語版回文の引用です。
私は「回文」は日本語だけかと思っていましたが、英語にも同じようなものがあるそうです。「回文」のことを英語では「Palindrome」というそうです。単語としては「Evil」(邪悪な)を逆から読むと「Live」(生きる)となり、意味が異なってしまいます。日本語の回文とは違いますね。でも、日本語流の回文もあります。英語のもっとも有名なパリンドロウムに次のようなものがあります。
 「Madam、Im Adam」 「マダム、私はアダムだ」
最近のアダムなら携帯電話を持っているでしょう。アダムがマダムに電話をかけます。マダムもケータイをもっていて、着信メロディーが鳴り、マダムはスイッチを入れて耳にあてます。そのとたん、いきなりアダムは愛を告白します。
 「はい、アダムだ。マダムだ、愛は」。これはまぎれもない日本語流回文です。
同著では日本語版回文も紹介していますので、本欄でも載せます。
「軽い機敏な子猫何匹いるか」、「うかつにダムをひく国費を無駄につかう」、「飼い慣らした豚知らないか」、簡単なところでは「食いに行く」、「色白い」、「夏まで待つな」

《古賀記》 日本企業で英語版回文の社名があるのをご存じですか。それはリビング用品大手メーカーの「LIXIL」(リクシル、旧・伊奈製陶)です。気の利いた、ユーモアのある社名ですね。

《おまけ》 恐れながらあなたの日本語力を試すテスト(24)です。
問。全体が崩れることを「がかい」といいますが、これを漢字にするとどちらが正しい?
①「瓦解」 ②「瓦壊」
正解は①(解) 瓦ががらがらと崩れるように、一部の崩れから全体が崩れることを「瓦解」と言います。「瓦壊」と書くのは誤りです。
                平成29年10月11日  古賀幸治
 

日本語が面白い(17)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2017年 9月10日(日)11時24分50秒
         「日 本 語 が 面 白 い」(17)

[1]続・「狂乱と半狂乱」
昨月号で、「狂乱」と「半狂乱」の違いが分からず、なぜ「半狂乱」という言葉があるのかという疑問を皆さんに投げかけました。早速、Tさん(横浜市)、Oさん(横浜市)、Kさん(佐倉市)、Wさん(沼津市)、Sさん(横浜市)、Iさん(佐賀県)など多くの皆さんから意見が寄せられました。皆さんの意見にはニュアンスの違いはありますが、おおむね次のようなことです。
《①「狂乱」は常に心が狂っている人の状態。②「半狂乱」はいつもは正常な考え方をする人が、突然の異常事態に直面し、一時的に言動が狂うこと。③「狂乱する」という動詞はあるが、「半狂乱する」という動詞はない、④「狂乱」は集団や社会現象に使われるが「半狂乱」は個人の場合に限る、⑤半狂乱の「半」は「半分」の意味ではなく、「半ば(なかば)」の意味で、「ほとんど」の意味がある》。
いずれも正解でしょう。でも、「半」の語源は依然として不明です。わが国で今から40年ほど昔、年率10%を越えるインフレがありましたが、その当時「狂乱物価」という流行語が生まれました。一過性のインフレでしたが、確かに「半狂乱物価」という言葉はありませんでしたね。

[2]「七(7)」は「しち」か「なな」か
(これは、柳瀬尚紀(翻訳家)著「日本語は天才である」(新潮文庫)の興味ある一部を採り上げ、私が編集し直したものです)。
日本語には「音読み」と「訓読み」の二つがあり、前者は漢字本来の読み、後者は日本独自の読みですね。ところが、同じ文字でも、音読み・訓読みのルールは一定ではありません。その代表的なものが「数字」です。1~10までの数字のうち、主として2つの読み方が混在するのは、「一(1)」(「いち」と「ひと」)、「四(4)」(「し」と「よん」)、「七(7)」(「しち」と「なな」)、「九(9)」(「く」と「きゅう」)でしょう。(ひい、ふー、みー、よう…という読み方を除く)
標記の「日本語は天才である」では、そのうち「七(7)」を採り上げて、本の「第七章」は「第しち章」か「第なな章」かと…。著者の分類によると、「しち」と「なな」は次のように分かれています。
『しち』=「七回忌」「七月」「七並べ」「七人の侍」「七福神」「伊豆七島」「北斗七星」「荒野の七人」
『なな』=「七色」「七重八重」「七草」「七癖」「七転び八起き」「七光り」「環七」「七不思議」

著者(柳瀬さん)が「七は『しち』か『なな』か」に拘るようになったきっかけは「将棋」だそうです。彼は将棋の大ファンで将棋評論家でもあり、羽生善治名人(現在は王座・棋聖)とも親交があります。その羽生さんが平成8(1996)年に将棋界の七つのタイトルを独占した大事件のとき、新聞・テレビはこぞって「ななかんおう」とはやし立てました。柳瀬さんは、「冠」を「かんむり」と訓読みする場合は「なな」でいいが、「かん」と音読みする場合は「しちかんおう」と発音すべきだと考えたのです。しかしメディアは「ななかんおう」の大合唱。大きな違和感を覚えたそうです。
さらに続けます。「一段落」は「いちだんらく」で「ひとだんらく」ではない。「一目惚れ」は「ひとめ」で「いちもく」ではない、反対に「一目置く」は「いちもく」で「ひとめ」ではない、「一足違い」は「ひとあし」で、「一足飛び」は「いっそく」である(これは「音・訓」のルールどおり)。

《ここからは古賀の創作です》
わが国の憲法の中でもっとも有名な憲法第9条は「きゅう条」と読むのが普通で、「く条」と読む人はいないでしょう。もし「くじょう」と読んだら「苦情」が来るかもしれません(つまらないシャレですみません)。一方、ベートーベンの有名な交響曲第9番(「歓喜の詩」、年末の定番)は「第く番」と呼ぶのが一般的で、「第きゅう番」とは普通呼びません。愛称も「だいく」で、「だいきゅう」ではありませんね。「条」も「番」も同じ音読みなのに、なぜ「きゅう」と「く」に分かれるのでしょうか。ベートーベンの「第九」と同じくらいに有名な交響曲に「第4番」(「田園」)がありますが、これは「第よん番」と読み、「第し番」とはいいません。このように、ベートーベンの交響曲の中でも、数字の読み方がバラバラであることが不思議ですね。
一方、「4丁目」や「4番地」はそれぞれ「よんちょうめ」「よんばんち」と呼ぶのが普通ですが、これは「し」が「死」を連想させ、縁起が悪いからでしょう。ところが、京都の整然とした区画では「条」がありますが、「四条」は「よんじょう」ではなく「しじょう」と読みますね。古都・京都では「死(し)」をあまり意識しない文化があるのでしょうか。

[3]「取材時○歳」と「撮影時○歳」の謎
テレビのコマーシャルで、芸能人、学者、通行人などに自分の体験や意見を述べさせ、その姿や様子を撮影してよく放送しますね。サプリメント関連商品のコマーシャルに多いようです。「私はもう5年も飲んでいますが、見違えるように元気になりました」「3年前に飲み始める前は1晩に4~5回もトイレに起きていましたが、今はたった1,2回になりました」などなど。
サプリメントのコマーシャルでは「年齢」が重要な要素ですから、ほとんどの場合、写真(動画)に「取材時○歳」と書いてありますが、私はあれは「ごまかし」だと思います。広辞苑によると、「取材」とは「ある物事・事件から作品・記事などの材料を得ること」と解説してあり、あくまでも客観的なデータを蒐集することが目的のはず。しかしコマーシャルの場合、芸能人・学者・通行人であれ、相手を特定してあり、「出演料」も支払われ、コメントも「こう発言してください」と前もって決められているはずですから、もはや「取材」ではないのです。「取材」とは「新たな客観的情報を得ること」のはずですから。
公正取引委員会は、なぜこのような「ごまかし」のコマーシャルを黙認するのでしょうか。
特にサプリメント商品のコマーシャルでは、あの大企業のサントリーや大正製薬、味の素などを含めてほとんど「取材時○歳」と書いてありますが、あれははっきり言って「ゴマカシ、デタラメ」です。正しくは「撮影時○歳」と書くべきです。ごく例外的に「撮影時○歳」と表記してある商品コマーシャルを見ると、私は担当者の「日本語力の強さ」と、会社の「良心」を高く評価します。

《おまけ》 恐れながらあなたの日本語力を試すテスト(23)です。
問。「その危険性は『いやがうえにも』増えた」などといいますが、これを漢字にすると…。
①否が上にも ②弥が上にも ③嫌が上にも
正解は②(弥) 「弥」とは「ますます」の意味。「弥が上にも」のほかに「弥(いや)増す」などがあります。「いやおうなし」や「いやでも」の場合は「否」と書きます。

                            平成29年9月11日 古賀幸治
 

「日本語が面白い(16)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2017年 8月10日(木)17時39分21秒
         「日 本 語 が 面 白 い」(16)

[1]「狂乱」と「半狂乱」
「半狂乱」という言葉がありますね。「事故で大怪我をしたわが子を、母親は半狂乱になって抱き抱えた」などです。「半狂乱」ですから、「狂乱」の半分くらいの狂おしい行動のはずです。しかし、実際の表現を読むと、「狂乱」よりむしろ「半狂乱」の方が「狂おしさ」が激しいようにも見えます。

手許の「広辞苑」(岩波書店)や「国語辞典」(三省堂)には「狂乱」の項目がありますが、「半狂乱」は載っていません。そう考えると「半狂乱」は正式な日本語ではないのでしょうか。広辞苑によると、「狂乱」とは「心が狂い乱れて常態を失うこと」と解説してあります。一方、インターネットの文字情報によると、「半狂乱」とは「精神的に常軌を逸し、それが異常な行動となって表れる状態をいう」とし、例として「彼の妻が浮気現場に半狂乱で乗り込んで来た」を挙げています。
このように考えると、「狂乱」も「半狂乱」もほとんど同じ意味に取れますが、なぜ「狂乱」のほかに、「半分」を意味する「半狂乱」という言葉があるのか、私にはまったく理解できません。その意味やいきさつを知っている人は是非私に教えてください。この欄で匿名で紹介します。

[2]「忖度」(そんたく)
「忖度(する)」という今まであまり聞き慣れない言葉が、最近の新聞やテレビなどマスコミに連日のように出てきます。今年の「流行語大賞」の最有力候補に挙がっているそうです。いうまでもなく、「森友学園」(大阪市)への国有地の超安値払い下げ、そして「加計学園」(岡山市)への獣医学部の早期認可問題で、文部科学省などの官庁が、安倍さん(昭恵夫人を含めて)の「考え」を思い図って、その趣旨に沿うような行政判断を行ったと思われることです。

まず、読み方が不思議ですね。「度」は「支度(したく)」の例がありますから「たく」と読んでも不思議ではありませんが、「忖」という文字は私は今まで見たことも聞いたこともありません。手許の「大人の国語力事典」(青春出版社)では、「忖」には「寸」があることから『すんたく』ではない、とわざわざ断っているくらいです。
広辞苑で調べたところでは、「忖度」とは「他人の心中を推し量ること。推察」と解説してあり、三省堂「国語辞典」でも「推し量ること、推測」とあります。いずれにせよ、お役人が我が身の保全のために、「お偉いさん」の意に沿うような行政判断を行うことです。「超安定政権」として国際的にも信頼感の高い安倍政権が、このような重要政策と無関係なことで「脇の甘さ」が原因で崩壊しなければいいですが。

[3]「麻雀」はスズメの焼き鳥?
(またまた日経新聞のコラム「遊遊・漢字学」からの転用です。一部削除や私の追加があります)
《5月10日から16日まで、愛鳥週間だった。世の中にはいろいろな鳥がいるが、私にもっともなじみ深い鳥はスズメだ。「雀」の文字は《小》と《隹》(とり)からできていて、文字通り「小さな鳥」という意味を表す漢字である。そしてこの文字は、実際の鳥を表す他に「麻雀」というゲーム名に使われているから、私などは学生時代からこの漢字との付き合いが深かった。
麻雀は中国で発明された遊びだが、その起源については諸説ある。その中で一般的に言われている話では、唐代に遊ばれた「彩選」というゲームがルーツとされ、それが種々の変化を経て、明代中期に「馬吊」(マーチャオ)という名前になった。ここまでで麻雀の基本形がほぼできあがり、やがて清代初期に現在の麻雀の形態と内容が完成したらしい。
ところでこのゲームの名前に「雀」という漢字が使われるのは、「索子」(ソーズ)というマークが竹をモチーフとしていることからの連想と考えられ、また一説にはレンガ状の牌(パイ)をかき混ぜる音が、竹藪に群がるスズメの鳴き声のように聞こえるからだ、ともいう。
かくしてスズメがゲームの名称と密接な関連をもつようになったのだが、しかし今の中国でマージャンのことを「麻雀」と書くのは香港など南方だけで、大多数の地域では「麻将」と書く。そして中国の標準語で「麻雀」と書けば、それはゲームの名前ではなく「スズメ」という鳥を表すのが普通である。
来日したばかりの中国人や観光客は、日本の街角のいたるところ「麻雀」と書かれた看板があるのを見て、日本人はそんなにスズメの焼き鳥が好きなのだろうか、と不思議に思うそうだ》。
(古賀評)今どき、日本にスズメの焼き鳥などありませんよね。

[4]いずれが「あやめ」か「かきつばた」
「菖蒲(あやめ)」と「かきつばた(定まった漢字はない)」は、実際にどっちがどっちか区別がつきにくいことから、両方とも美しくて選択に迷う時に使う褒め言葉です。
「源平盛衰記」に出てくる話で、武将の源頼政が、天皇から評判の美女・菖蒲前(あやめのまえ)を賜る時のこと、天皇は菖蒲前にそっくりな美女ふたりに同じ衣服を着せ、三人並ばせてこの中から菖蒲前を当ててみよ、見事に引き当てたらそちにとらそう、と頼政の眼を試しました。困り果てた頼政は得意の歌で次のように詠んだ。「五月雨(さみだれ)に沼の石がき水越えていずれかあやめ引きぞわずらふ」。これを聞いた天皇は感心して、自ら菖蒲前の手を取って頼政に賜った、という故事から出たものです。
この話が謡曲や浄瑠璃に使われていくうちに、あやめもかきつばたも、よく似た花で区別がつきにくいことから「いずれがあやめかかきつばた」となったのだそうです。

《おまけ》 恐れながらあなたの日本語力を試すテスト(22)です。
問1。「いっすいの夢」という故事がありますが、これを漢字で書くとどちらが正しいでしょうか。
①「一炊」、②「一睡」
正解は①「一炊」。昔、中国の盧生という青年が、栄華を極めた自分の一生を夢に見たが、目が覚めてみると、粟飯を炊いているほんの短い時間だったという故事に由来します。栄枯盛衰のはかなさのたとえとして用いられる言葉。「夢=睡眠」からの誤解が多いのでしょう。

問2。「そんな褒め言葉は『がいこうじれい』に過ぎない」といいますが、これを漢字にすると。
①「外交辞礼」、②「外交辞令」
正解は②「辞令」。外交に「礼儀」はつきものだけに「辞礼」としてしまいそうですが誤り。「辞令」とは、応対の時に使われる言葉のこと。「外交辞令」のほか「社交辞令」などと言います。

                    平成29年8月11日  古賀幸治
 

日本語が面白い(15)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2017年 7月10日(月)18時18分42秒
           「日 本 語 が 面 白 い」  (15)

[1]「元号」…今は日本だけ (6月11日づけ日本経済新聞を要約・再編集)
平成天皇が「生前退位」(私は今も「存命譲位」が正しい表現だと思っています)されることが法律で決まりました。中でも注目されるのが「元号」(和暦)の変更です。
「元号」は紀元前の中国で使い始めました。為政者の交替や政治の心機一転を図る時などに改めるのが特徴で、日本のほか朝鮮半島やベトナムなど東アジアに広がりました。しかし近代化の影響などで、本家の中国は1912年に滅んだ清朝を最後に使われなくなり、今も維持しているのは日本だけ。日本の元号は西暦645年の「大化」(あの「大化の改新」)に始まり、1989年の「平成」まで247を数えます。最も長く続いたのが「昭和」で64年、近世以前では室町時代の「応永」が35年です。改元には面白いエピソードがあります。江戸時代の「明和9年」に大火災や大水害があり、「めいわくねん」は「迷惑年」と読めるため縁起が悪いとして、「安永」に改元したのです。まるで落語の世界ですね。
ところで、日本には「昭和・平成」など元号のほかに神武天皇即位(BC622年)を「紀元1年」とする年号の数え方がありますね(実際は、ほとんど使われない)。これに似た数え方をする国もあります。たとえばイスラム教国の多くで、預言者ムハンマドがメッカからメディナに拠点を移した「聖遷(ヒジュラ)」の622年を元年とするイスラム暦を使い、台湾には中華民国成立(1912年)を元年とする「民国紀元」があります。歴史学者N氏は「日常生活で使われているものを含めれば、大半の国や地域では西暦以外も併用している」と指摘しています。
日本では明治以降、天皇一代に元号1つの「一世一元」を採用しています。しかし今回は存命中の譲位ですから、従来の改元(元号の改正)とはいろいろな面で異なります。まず、「譲位」(現天皇の退位と新天皇の就位)の日付けがあらかじめ決まっている(新聞報道によると2つの案があり、いずれにせよ事前に発表される)こと、加えて改元の数ヶ月前に新元号を公表し、周知期間を設ける方針です。この件でもっとも神経をとがらせているのが、官庁・金融機関と印刷業界などです。銀行などは、賃貸借契約などを年号表示しており、お役所の申請書や許可書なども生年月日などは、明治・大正・昭和・平成のうち○をつける仕組みですね。いずれにせよ、新しい年号を入れた様式の印刷が大至急必要になります。

ところで、あなたは年号を表すとき、西暦を使いますか、それとも元号(和暦)で言いますか。私の世代では、生年、就職年、結婚年、東京オリンピックの年などほとんど元号(和暦)で表現します。それは「昭和」が64年間も続いたからでしょう。しかしそれ以降(平成時代)は西暦で表すことが多いですね。新聞でも「09年」など西暦表示が多いのです。「西暦」と「元号」が混在しているのが現在のわが国の状況ですが、大型書店(横浜・有隣堂)で調べたところでは、カレンダーも手帳もすべて「西暦」表示で、「元号」(平成)表示は一例もありませんでした。今後は「西暦」表示が中心になり、「西暦表示一本化論」が表面化するかも知れませんね。

[2]「極めつけ」それとも「極めつき」?
あなたは「極めつけ」と「極めつき」、どちらが正しいと思いますか。正解は「極めつき」。「極め」とは、もともと書画・刀剣・骨董品などについている「極め書き(きわめがき)」という鑑定の証明書のことです。桐の箱の裏側に書かれていたり、極札という札が入っている場合もあります。この「極め」がついている、つまり「極めつき」のものは、確かなものとして値が上がることから、「定評のあるもの、高い評価を受けているもの」という意味となり、美術品以外にも「極めつきの店」「極めつきの演技」など、広く使われるようになったのです。
しかし、NHK放送文化研究所の調査では、62%の人が「極めつけ」を使うと答えています。言葉の元となった「極め」が何かを知らない人多くなっているからかも知れません。また最近では、「極めつけにデザートまで食べてしまった」とか、「仕事で遅くなり極めつけに雨まで降ってきた」という悪い意味での使い方も出てきたようです。「極限に達する」という意味の「極める」からの連想でこのような使い方をするのかも知れませんね。

[3]「高」と「髙」は違う文字
新横綱・稀勢の里の弟・弟子で、今回見事に大関昇進を果たした「たかやす関」は「髙安」(本名も同じ)、すでに半世紀以上も私が熱狂する阪神タイガースの昨年の新人王「たかやま選手」も「髙山」です。「高」と「髙」は違う文字であることをご存じですか。私が勝手に命名したところでは、その形から「高」は「口(くち)たか」、「髙」は「はしごたか」といいます。画数も違い、「高」は10画、「髙」は11画です。
大相撲やプロ野球のライブ放送の表示(取組表や打順表など)で「髙」と「高」を間違えることはありませんが、テレビの字幕や翌日の新聞などでは、しばしば「髙」を「高」と表示しています。テレビや新聞の関係者は「たか」が二種類あることを知らないのでしょうか。
苗字や名前ではそれ以外でも間違いやすい文字が多くあります。その代表格は「わたなべ」姓でしょう。「渡辺」「渡邊」「渡邉」「渡部」「渡鍋」…など実に20種ほどあるそうです。「さいとう」姓も、「斉藤」「斎藤」「齊籐」「齋藤」の4つがあります。私の友人知人には多くの「わたなべ」さんや「さいとう」さんがいますが、誰がどの字か覚えられません。多分、間違った漢字で送信しています。この場を借りてお詫びします。「國」と「国」、「廣」と「広」、「眞」と「真」なども異文字です。
私は現役の社会保険労務士ですが、厚生年金などで、たとえば「齋藤さん」が「斉藤」と間違って登録されている場合、いざ年金受給を申請するとき別人と認定されて、「氏名変更届」など厄介な手続きが必要になることがありますから要注意です。

《おまけ》 恐れながらあなたの日本語力を試すテスト(21)です。
問1。「気むずかし屋の彼が珍しく『相好』を崩した」などといいますが、その本来の読みは?
①そうこう ②そうごう
正解は②(そうごう) 「表情を崩して、にこにこする」ことを「相好(そうごう)を崩(くず)す」という。「相好」は元来は仏教用語で、仏の容貌を形づくるさまざまな優れた特徴を指す「三二相(そう)八十種好(ごう)」という言葉から転じて「顔つき」「容姿」の意味に使われるようになった。

問2。「秘策が『こうをそうする』」などといいますが、これを漢字で書くと?
①「効を奏する」 ②「功を奏する」
正解は②(功) 「功を奏する」は、もともとは「事の成功を君主に申し上げる」の意味。ここから「目的どおりに物事を成し遂げる」の意味に使われるようになった。
                       平成29年7月11日  古賀幸治
 

日本語が面白い(14)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2017年 6月10日(土)15時45分26秒
                     「日 本 語 が 面 白 い」(14)

[1]「おめでとうございました」??
「お早うございました」という人はいませんね。でも、「ありがとうございました」と過去形でいう人は多いです。このことを私が話題にすると、過去のことでお礼をいう場合には「ありがとうございました」といい、現在のことで謝意を表すときは「ありがとうございます」という、と主張する人が多いですが、必ずしもそうではないと私は思います。何かのプレゼントを宅配便などで送られてきたとき(過去)には電話で「有り難うございました」といい、いま目の前でプレゼントをいただいたとき(現在)は「ありがとうございます」と使い分けするのでしょうか。私は過去のことも現在のことも「ありがとうございます」と言うことにしています。
私は英語が不得手ですが、英語で「I thanked you」とは決して言わないと思います。もし英語でそう言ったら「あのときは感謝したが、今はそうではない」という意味になりかねません。フランス語で「Merci」、ドイツ語で「Danke」にも過去形はあるのでしょうか。
次に「おめでとうございます」について。過去に起きたことでお祝いをいうとき「おめでとうございました」というのは不自然で、ましてや今起きたことでお祝いの言葉をかけるときも「おめでとうございました」というのも奇妙な表現です。もう5年以上も前に、NHKの超長寿番組「のど自慢」で、合格者(鐘3つ)に対して司会者(アナウンサー)が「おめでとうございました」と言ったときには私は本当に驚きました。文法的には誤りではないかもしれませんが、常識としては不自然ですね。

[2]「登竜門」
「鯉のぼり」の季節は終わりましたが、これにまつわる話題を一つ。これは4月30日づけ日経新聞のコラム「遊遊・漢字学」(筆者は漢字学者・阿辻哲次さん)の転載(前半部分を省略)です。
《中華文明の中心地だった黄河中流域には淡水魚しかいないので、中国では鯉が珍重された。中華料理の宴席で鯉の丸揚げに甘酢をかけたものがよく登場するのはそのためで、それ以外にも中国では鯉はめでたい魚とされてきた。
中でも代表的な話が「登竜門」である。黄河上流にある三門峡は昔から黄河最大の難所で、船ですら難渋する激流だから、ほとんどの魚は登れなかった。しかし鯉だけはそれができた。こうしてこの滝を越えた鯉はそのことで神通力を獲得し、やがて龍に変身するという伝説ができ、その渓谷はやがて「龍門」と呼ばれるようになった。
鯉が「龍門を登」って龍になることから、非常な難関を突破して大きな躍進の機会を得ることを「登竜門」という。日本で五月の節句に空を舞う鯉のぼりには、男の子がすくすくと成長して立派に「龍門を登れる」ようにとの願いが込められているのだが、ただ最近のマンションのベランダ用に作られた小さな鯉のぼりでは、あまり大きな龍になれそうにないのが、ちょっと可哀想だ》
「登竜門」と「鯉のぼり」には重要な共通点があったのですね。

[3]「じゅ」と「じ」、「しゅ」と「し」
あなたは「新宿」をどう呼んでいますか? 「しんじゅく」? それとも「しんじく」? 同じく「下宿」は「げしゅく」? それとも「げしく」? 「手術」は「しゅじゅつ」? それとも「しじゅつ」?
このような言葉の場合、「じゅ」を「じ」、「じゅく」を「じく」、「しゅ」を「し」などと呼ぶことが多いですね。私もほとんど無意識にそう呼んでいます。
このような発音を「拗音(ようおん)」というそうですが、拗音そのものが必ずしも発音しやすいものではありません。また、発音の地域差や個人差など、さまざまな要因がからんで、こうした現象が起きると考えられています。

こうした実態を考慮して、日本国営放送(別名「NHK」)では、「じゅ」「しゅ」を含む言葉の中でも特に発音しにくいものは「じ」「し」に近い発音をしてもいいことにしています。「下宿」(げしく)、「原宿」(はらじく)、「宿題」(しくだい)、「学習塾」(がくしゅうじく)などの語が含まれます。ただし、「出典」と「失点」、「手術」と「史実」のように「しゅ」「じゅ」をそれぞれ「し」「じ」と発音すると別の言葉に聞き取られるおそれがあるものは「しゅ」「じゅ」とはっきり発音しなければならないことにしているそうです。

[4]続・「エスカレーター、片方立ち・他方歩き」
(このテーマについては、今年1月号で取り上げましたので、その続編です)
私は5月中旬に、姉の一周忌に参列するため佐賀行きました。途中、昔の職場の旧友4人に会うため大阪でワンストップしました。出発地の横浜ではエスカレーターはほぼ全員が「左立ち・右歩き」でしたが、大阪ではほとんどの人が東京・横浜とは反対の「右立ち・左歩き」でした。そして到着地の福岡では多くの人が東京・横浜と同じ「左立ち・右歩き」でした。1日のうちにエスカレータの二種類の乗り方を順繰りに体験したのです。
このエスカレーターのことについて、5月13日づけ日経新聞のコラム「春秋」に面白いエッセーが載りましたので、要約して転載します。

《先ごろ華々しく開業した「GINZA SIX」はいま東京で人がいちばん集まる場所だろう。銀座で最大という商業施設だが、その広いフロアも客でぎっしり。ラッシュアワーの雑踏みたいだ。エスカレーターにも鈴なりの人である。見事に左側1列で…。
「どうか2列でご利用ください!」。従業員が声をからすが、誰も聞く耳をもたない。こんなに混んでいるのだから、どう考えたって2列の方が効率的だ。なのに、急いでいる人のために片側を空けておくというルールは強固なようである。係員が叫べども叫べども、客は頑として片側空けを崩さない。奇観というべきか。
地域により国により、空けるのが右か左かの違いはあっても世界に広がったこの風習の成り立ちは定かでないという。ただ日本で普及したのはさほど昔ではないらしい。1993年の朝日新聞には、英国の例を挙げて片側空けを勧める投書が載っている。これぞ先進国のスマートなマナーとされる時期もあったわけだ。
それも今は昔。エスカレーターを歩くのはそもそも危険だと鉄道会社は呼びかける。よし、2列主義を実践しようと某日、かの銀座新名所で地下2階から6階まで、右側に立ってみた。すると後ろに1人、2人、3人…。なーんだ、誰かやれば習慣は変わるじゃないか。いやいや、顔をよく見ると、追い越そうとしても追い越せず舌打ちしていた!?!?》

《追記》今回は紙面の関係で「あなたの日本語力を試すテスト」はお休みです。ホッとした?
                   平成29年6月11日  古賀幸治
 

日本語が面白い(13)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2017年 5月11日(木)07時35分52秒
        「日 本 語 が 面 白 い」(13)

[1]なぜ「漢字」と呼ぶのか?
私は、「漢字」は中国の「漢王朝」の時代(紀元前3世紀~紀元後3世紀)に考案され、普及したものとばかり思っていました。ところが、意外や意外…そうではないのです。3月12日づけの日経新聞コラム「遊遊・漢字学」(筆者は漢字学者・阿辻哲次さん)を要約・加筆して転載します。

《漢字はいうまでもなく中国で生まれた文字である。そして日本では非常に早い時期に中国から受け入れ、さらに漢字からひらがなとカタカナを作って、それらをまじえて日本語を書く独特の表記形態を開発したのだが、それでは中国で生まれた「日」「経」「新」「聞」などの文字を、いったいなぜ「漢字」と呼ぶのだろうか。
「漢」という字は古代中国の王朝名に使われており、その「漢王朝」の時代に作られた文字だから「漢字」というのだと思っている人が多いが、それは大きな誤解である。
いま私たちが見ることができるもっとも古い漢字は、紀元前1300年あたりから使われていた「甲骨文字」である。一方、劉邦(のちの漢王朝の初代皇帝・高祖)が宿敵・項羽を倒して、秦の始皇帝が統一した中国を再統一したのは紀元前202年のことだから、漢王朝ができる1000年以上も前から漢字は使われていた。
だから「漢字」の「漢」が王朝の名前に由来するものではないのは明らかだが、それでは「漢」とはいったい何かというと、それは実は民族の名前なのだ。漢字の故郷である中国は、合計56の民族から構成される多民族国家であり、国内で使われている言語は決して一種類ではない。例えば北朝鮮と中国との国境で中国側にいる人々は中国の国民だが民族としては朝鮮族が多く、彼らは日常的に朝鮮語を話す。同じように内モンゴル自治区に暮らすモンゴル族の人々も国籍は中国人だが、日常的にはモンゴル語を話す。
このような多民族多言語国家に暮らす人々の中でもっとも多いのが漢民族で、実に人口の95%を占めている。この漢民族が話す言語を「漢語」といい、その「漢語」を書くための文字を「漢字」というわけだ》。

[2]「声を荒らげる」
文字で書くと「声を荒らげる」ですが、あなたはこれを「あらげる」と読んでいますか、それとも「あららげる」と読んでいますか。実は「あららげる」が本来の読み方です。「あらげる」も江戸時代には用例があり、現在の辞書でも「あらげる」を載せるのもありますが、そのほとんどは「あららげる」の変化した語と説明しています。しかし、平成22年の文化庁の調査では、「声をあららげる」という本来の言い方を使うと答えた人は11%あまりで、80%の人は「声をあらげる」を使うと答えています。全国的に「あらげる」が多数派になっているようです。

「あららげる」の由来は、まず「荒い」に「らか」という状態を表す接尾語がついて、態度などが荒い状態を意味する「荒らか(あららか)」という言葉ができました。「高い」に「らか」がついて「高らか」になるのと同じです。この「荒らか」に接尾語「げる」がついて「荒らげる」という動詞ができました。これに対して、「あらげる」はどこからでてきたのでしょうか。「荒らか」という言葉を使わなくなったため、「荒い」に直接「げる」がつけられるようになったのかも知れません。また「荒らげる」の漢字の送りがなを勘違いし、「荒(あ)らげる」と読み間違えたのではないかととも考えられます。放送では今のところ「荒(らら)げる」を使いますが、もし「あらげる」と読むのであれば、送りがなて「荒げる」と書かなければならないでしょう。
なお、「広辞苑」では、「荒らぐ(あららぐ)」の項で「あららげる」と表示しています。

[3]続・「九分九厘」&「五分五分」
昨月号で、実現の可能性が非常に高いことを「九分九厘(くぶくりん)」というのはおかしい、同じく実力などが拮抗している状態を「五分五分(ごぶごぶ)」というのも理解できないと私の疑問を皆さんに投げかけました。広辞苑によると、「割」は「10分の1」、「分」は「割」の10分の1、「厘」は「割」の100分の1ですから、「九分九厘」は9.9%で10%にも満たず、「五分五分」は5%対5%を意味し、日本語として理解できない…と。

これに対し、Tさん(佐賀)、Hさん(香港)、Oさん(横浜)、Sさん(横浜)などから意見が寄せられました。これらの人の意見には多少の違いがありますが、集約すると、次のようになります。
《(1)「分」には「十分(充分)」という意味や、「分(わ)かつ」の意味があり、それに対する割合を示しているのではないか。例えば「腹八分目」は、満腹(腹十分)に対して二分ほどの余力がある。(2)割・分・厘とは違った「尺貫法」ではないか。(3)「五分五分」も、「十分」を満額として、能力を分け合っていることを示している…など》
いずれによ、「割・分・厘」と「分」は違う次元の単位ということでしょう。どれも説得力がありますが、これだけでは「九分九厘」の「厘」は説明できませんね。ただ、「厘」を「分」の10分の1だと考えれば納得できないこともありませんが。

似たような言葉に「五十歩百歩」(ごじっぽ・ひゃっぽ)があります。孟子の言葉「五十歩をもって百歩を笑う」から来ています。戦場にあって、怖くて五十歩逃げた者が百歩逃げた者を臆病だといって笑うのと同じように、自分をかえりみないで人の行動を批判したり蔑(さげす)んだりすることをいいます。50歩と100歩は2倍の差があるのに、孟子は同じような事だと言っているのです。

《おまけ》 恐れながら、あなたの日本語力を試すテスト(20)です。
問題。「なさぬ仲」という言葉がありますが、正しい使い方はどちらでしょうか。
①彼女は後妻なので、その子とは「なさぬ仲」である。
②二人は親しく付き会ううちに「なさぬ仲」となった。

正解は①。「なさぬ仲」は「生さぬ仲」と書きます。「生んでいない仲」、つまり、血のつながりのない間柄という意味(広辞苑で確認)。「道ならぬ仲」など、「仲」には恋愛関係を表すものが多いせいか、②のような誤用をしてしまう人が跡を絶ちません(私も)。

                 平成29年5月11日  古賀 幸治
 

「日本語が面白い」(12)

 投稿者:古賀幸治  投稿日:2017年 4月10日(月)17時31分44秒
          「日 本 語 が 面 白 い」(12)

[1]「九分九厘」&「五分五分」の不思議
私たちは、物事や願望がほぼ間違いなく成就することを「九分九厘,(くぶくりん)間違いない」などといいますね。なぜ「九割九分」ではないのでしょうか。
何でも気になると夜も眠れない私は「広辞苑」で詳しく調べてみました。広辞苑によると、「割」とは「10分の1」の率と書いてあり、「分」とは「1割の10分の1」、「厘」とは「1割の100分の1」と解説してあります。つまり、「割」は10%、「分」は1%、「厘」は0.1%を意味しています。それは野球の場合、打率が例えば「.321」と書けば「3割2分1厘」のことで、打数1000に対して321本の率で安打を放つことですね。この理屈によると「九分九厘」は9.9%、つまり10%(10分の1)にも満たない低い確率のことで、おかしな言葉ですね。確率がほぼ100%に近いのでれば、「九割九分(くわりくぶ)」が正しいのではないでしょうか。

別の言葉を取り上げてみると、例えば実力や成功率が拮抗している場合に「五分五分(ごぶごぶ)」という表現をしますね。「A君とB君の実力の差は五分五分だね」などです。上記の理論でいうと、「五分五分」とは「5%対5%」ということですから、これも意味が通じません。
なぜ「九割九分」や「五割五割」ではなく「九分九厘」や「五分五分」というのか、その由来を知っている人は是非メールで私に教えてください。この欄でも紹介します。

[2]「暮れなずむ」
「♪暮れなずむ町の 光と影の中♪」…海援隊のヒット曲の有名な一節ですが、これはどんな光景を表しているのでしょうか。これを「日が暮れた」ことと勘違いして、「すっかり暮れなずんでしまった」とか、「日がくれなずむまで待った」などという人がいますが、これは誤った表現です。
「暮れなずむ」とは、実は「日が暮れそうでなかなか暮れないでいる状態」のことを言います。つまり、「あくまでも、まだ暮れていない」のです。聞き慣れない「なずむ」という言葉が意味を分かりにくくしているのかも知れませんね。
「なずむ」は古事記や万葉集にもでてくる古語で、「はかばかしく進まないこと」を表します。漢字では「泥む」と書き、泥がぬかるんで前進できない状態から、「物事が滞る」という意味になりました。この「暮れなずむ」には、夕焼けなど秋のイメージがあるのかも知れませんが、「秋の日はつるべ落とし」ともいいますから、むしろ日足の長い春にぴったりの言葉です。

もうひとつ、「♪暮れそうで暮れないたそがれどきは♪」という歌もあります。「たそがれ」も夕暮れのことですが、古くは「誰彼」と書き、「誰(たれ)ぞ?彼は」と、夕暮れになって人の見分けがつきにくい時間帯を指した言葉です。これもイメージの豊かな言葉ですね。

[3]「昭恵氏」
安倍晋三夫妻が、森友学園との癒着(離反?)問題で大揺れしており、最悪の場合は安倍さんは退陣に追い込まれかねません。連日のように新聞などで報道されていますが、その陰の主役は安倍晋三首相夫人の「昭恵」さんです。昭恵さんは「飲み屋」を開業するなど日頃の奔放な言動が話題になっていますが、今回の森友学園をめぐるトラブルは彼女の「奔放な性格」を遙かに飛び越えて、日本中を騒動に巻き込んでいます。

いや、今日の話題はそのような政治のことではありません。新聞やテレビでは、彼女のことを「安倍首相夫人昭恵さん」や「安倍昭恵氏」と書いたり呼んだりしていますが、「昭恵氏」と書いた新聞やテレビの字幕を読んだとき、私は「えっ!」と驚いてしまいました。最近では女性に対しても「氏」の尊称を使うことに私は以前から大きな違和感をもっていましたが、まさか「姓」にではなく「名前」にまで「氏」を使うことなど考えもしなかったからです。
「氏」は「うじ」とも読むように「姓」に対する尊称のはず。「名前」につける尊称ではないのです。広辞苑で調べていても、「血族の系統を表示するためにとなえる名。嫁した女の実家の姓氏に添えて敬意を表す語」と解説してあり、決して名前につける尊称ではありません。私がそのことで考え込んでいたとき、私以上に日本語にうるさいHさん(我孫子市)からメールが入りました。
《最近の報道で気がかりな表現があります。それは、例の森友学園問題のニュースで気づいたことです。安倍昭恵夫人のことを、NHKまでがしばしば「昭恵氏」と表現しているのです。ファースト・ネーム(名前)に「氏」を使うのは、ハッキリ言って間違いだと思います。「氏」はファミリー・ネーム(姓)につける敬称だと思うのですが…》
そして更に《私も、よせばいいのに、「昭恵氏」表現に対する疑問をNHKの相談窓口に照会しました。それに対する回答返信メールが届きましたので、転送します》
以下はNHKからの回答。《安倍昭恵氏の表現についてお問い合わせいただきました。ニュースで安倍昭恵氏を取り上げる場合、夫である安倍総理大臣にも触れることが多く、苗字(みょうじ)を何度も読み上げると、却って伝わりづらくなるのではないかといったことも考え、苗字をつけずにお伝えすることが多くなっています。字幕などでは「安倍昭恵氏」と標記することもあります。ニュースの表現については、ご指摘の趣旨も踏まえ、よりふさわしく、かつ伝わりやすい表現を模索してまいりますので、今後もNHKの報道に対するご理解とご支援をお願いいたします》
(古賀評)何とも歯切れが悪く、回答にもなっていないような気がしますがね。

《おまけ》 恐れながらあなたの日本語力を試すテスト(19)です。
問題1。「酒池肉林」の意味はどれが正しい?
①多くの酒と料理、②多くの酒と女

正解は①(酒と料理) 「肉林」を女性の体だと誤解している人が多いようです。女性の体が林のように居並ぶさまは壮観でしょうが、「肉林」にはそのような意味はありません。ここでいう「肉」とはご馳走としての肉のことです。

問題2。「どろじあい」を漢字でかくと、どちらが正しい?
①泥試合、②泥仕合

正解は②(仕合) 泥にまみれて争うこと。転じて互いの失敗や欠点を暴露し合う醜い争い。

                 平成29年4月11日  古賀幸治
 

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